白い花の強打者
高校に進学した鹿村はもちろん野球部に入部するのだった。
兄は鹿村に対して「工業化学を勉強して、野球部を持っているような企業への就職を目指せ」とアドバイスしてくれたが、鹿村は高校を卒業後したらすぐにプロ入りする気だった。しかし、しょせん片田舎の公立校、肝心の野球部の状況は恵まれたものではなかった。
なにせ、この学校のグラウンドは非常に狭く、野球をするためのダイヤモンドを取るとほとんどスペースがなくなってしまうほどだった。
そんな野球部だから、鹿村は入部したての1年生にもかかわらずすぐに4番・キャッチャーとしてレギュラーに抜擢されるのだった。
母を楽にするため、そして、自ら進学を諦めてくれた兄のため猛練習に励む鹿村。
しかし、高校進学は許してくれたものの、母は決して鹿村の野球部入部を快く思ってはいなかった。
「なんのためにオマエは高校へ行ったんだい。野球ばっかりしてないで勉強しておくれ」
明治生まれの母にとっては、プロ野球選手など球遊びをしている大人。とてもまっとうな職業には思えなかったのだろう。息子の将来を憂いての発言なのは分かっているが、肩身が狭かった。
いつも家の庭先で素振りをするのが日課だった鹿村だったが、そんな状況に心苦しさを感じて、いつしか浜辺でバットを振るようになっていた。
そんな、月光と寄せては返す波の音だけがやたらと耳に残るある日の夜。
鹿村は浜辺に咲くひとつの花を発見する。
月見草だ。
その花弁は美しい白色なのだが、太陽の下で燦々と輝く向日葵のような鮮やかさはない。
〝まるで俺にみたいやな〟
日本海の浜辺にひっそり咲く奥ゆかしさに、鹿村は心を惹かれ、親近感を覚えるのだった。
その後も高校生活も鹿村は勉強そっちのけで一心不乱で野球に打ち込む。
しかし、悲しいかな。しょせんは万年1回戦負けの弱小校。鹿村は3年生になっても、まったく甲子園とは縁のないままだったのだった。
そして、最後の夏、甲子園の京都府予選が間近に迫ったある日、鹿村は野球部の顧問である清水先生に呼び止められる。
「鹿村、オマエのもうすぐ卒業やけど、将来は何になりたいんや?」
かつては校舎の窓ガラスを頻繁に割る野球部を目の敵にしていた清水先生だったが、野球好きだった息子の付き添いで野球部の試合を見学して以来、自身も野球に魅せられて今では鹿村のも最もよき理解者となってくれている。
「プロ野球選手になって、母を楽にさせたいです」
「やっぱり、そうか。それで、オマエはプロ野球にいけそうなんか?」
「正直、厳しいと思います。チームは万年1回戦負けですし、スカウトはこんな片田舎の高校をわざわざ見には来ないですから」
「そうか……」
清水先生は腕を組んで、黙考する。
「それで鹿村、オマエはプロに入るとしたらどこの球団に入りたいんや?」
清水先生の問いに、今度は鹿村が考え込む。
鹿村は幼い頃から球界の盟主と言われる『帝都グレイツ』のファンだった(というよりも、片田舎の網野町に入ってくるプロ野球の情報はグレイツ一辺倒だった)。だからと言って、グレイツに入団したいかと問われれば、そうではない。グレイツは常勝チームなだけあって、選手層が厚い。無名の高校生である鹿村が入団してもレギュラーになれる可能性が低いことくらいは分かっていた。
「南洋ですね。『南洋ファルコンズ』に入りたいです」
南洋ファルコンズは、大阪と和歌山を結ぶ私鉄『南洋電鉄』を親会社に持つパ・リーグの球団だ。南洋もグレイツと同じくリーグを代表する強豪球団だが、常にスター選手を獲得するグレイツと違って、新人を1から育成する手腕に定評があった。なによりも、南洋の正捕手はすでに30歳を過ぎており、ちょうど世代交代の時期。それが鹿村にとって魅力的だった。
「南洋やな! よっしゃ! 先生に任せておけ!」
清水先生はパチンと勢いよく手を叩くと、そのままどこかへと立ち去ってしまう。
何度も言うが、志水先生はただのいち教師で、2年前までまったく野球に興味がなかったド素人。当然のことながらプロ野球関係者に知り合いなど存在しない。それなのに、なにが「任せておけ」なのか、鹿村は訳が分からなかった。
そして、鹿村にとっては間近に迫った甲子園の予選のほうが喫緊の課題だった。
こんな片田舎の弱小校の選手をわざわざプロのスカウトが見に来るわけはないが、それでも京都市内でおこなわれる準決勝や決勝の舞台で活躍すればプロのスカウトの目に留まる可能性もある。
高校3年生の鹿村にとって、これがラストチャンス。強い決意で鹿村は最後の夏に挑むのだった。
しかし、数週間後。そんな背水の陣の挑んだ結果は散々なものだった。
4番・捕手として出場した鹿村は複数安打を打ち活躍したのだが、肝心の試合は投手陣が打ち込まれて、終わってみればいつもと変わらぬ1回戦負け。
重い足取りで球場を後にする鹿村。
これでは何も変わらない。
がっくりと肩を落として、鹿村は球場を後にするのであった。
「ほう。あれが鹿村か……」
しかし、その球場のスタンドで鹿村をみつめる鋭い眼光が存在しているのに、この時は誰も気がつかずにいた。
確実に鹿村の野球人生は変わり始めていたのだった。