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南洋球漫伝  作者: パロスペシャル
球の章
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どんぞこ

 鹿村克也(かむらかつや)の野球人生は常に逆風にさらされていた。


 生まれたのは京都の網野町。網野町は日本海に面した小さな町で、京都市内の華やかさとは無縁の場所だった。秋から冬にかけては晴れる日がほとんどなく「弁当を忘れても傘を忘れるな」と言葉があるくらいだ。鼠色の海から放たれる荒い波と真っ白な湾岸。そして、その海から吹き荒れる風はまるで刃物のように冷たく、鋭かった。今でも鹿村は瞼を閉じれば故郷の風景を容易に思い出すことができる。

 

 そんな鉛色の空とどんよりとした雲の下での暗い少年時代が、まちがいなく鹿村のハングリー精神と異常なまでの上昇志向の原点だった。


 鹿村は1935年に網野町で食料品店を営む両親の次男として生を受けた。


 しかし、3歳の時に鹿村にとって最初の逆風が訪れる。父が日中戦争で徴兵されて中国で戦病死したのだ。


 大黒柱を失い一気に家計が苦しくなる鹿村家だったが、災難はそれで終わらなかった。父が亡くなってからはひとりで食料品店を切り盛りしていた母のふみが癌を患ってしまう。


 母は看護婦の資格を持っており、街では助産婦もしていた.。幸い、その経験が早期発見に繋がり一命を取り留めたのだが、それでも長期入院は免れなかった。


 母が入院をしている間に食料品店は閉店。鹿村も三歳年上の兄・嘉明(よしあき)と共に遠縁の親戚の家に預けられる結果となった。母が退院して再び親子3人で暮らせることになったが、喜びもつかの間だった。貧困という重く苦しい現実が鹿村家に重くのしかかるのだった。


 母はなんとか一命を取り留めたものの、まともに働ける身体ではない。


 一家の収入はほとんどゼロとなり、家にあった家財道具やタンスの中にあった服がどんどんと質屋に入れられた。そして、最後にはタンスさえもなくなり、当初は狭いと感じられた借家の部屋があっというまに広く感じられるようになってしまったのだった。


 鹿村と兄は借家の猫の額ほどの庭を耕して、自給自足の生活を試みる。しかし、海辺に近い土地柄だったので地面は土というよりも砂に近い。そんな痩せた土地では親指ほどの大きさの貧弱なイモしか収穫できなかったが、それでも兄弟はそのイモをふかして分け合って食べた。


 鹿村はまだ小学生だったが、食べるために新聞配達のアルバイトもした。丹後の冬は雪深い。まだ陽が昇りきらないうちから、鹿村は小学生時分の小さな体で深い雪をかき分けながら進んだ。時には足を踏み外して雪の中で身動きが取れなくなることもあった。助けを呼ぶことも出来ずに長靴の中から雪が侵入して、じわじわと体温が奪われていく時の冷たさ、心細さ、惨めさは体験した者にしか分からない。


 また、夏になると、親からもらった小遣いで祭りを楽しむ同級生を尻目に、兄と共にアイスキャンディー売りに励んで、糊口をしのぐ有様だった。 


 そして、そんな少年時代を過ごしてきた鹿村が成り上がりを目指すのを当然のことだった。


「大人になったら金持ちになって、母ちゃんに楽をさせてやる!」


 学も家柄もない鹿村が社会的な成功者になるために最初に選んだのは歌手の道だった。テレビが普及される以前の時代、当時ラジオから流れる歌手の歌声には多くの人が魅了されて、憧れの職業だった。


 そして、鹿村は歌手を志してコーラス部に入るものの、わずか1か月ほどで退部する。生来のダミ声である鹿村は高音がまったく出ずに、流行歌手を諦めざるをえなかったからだ。


 次に鹿村が選んだ目標は映画俳優だった。しかし、当時の俳優は2枚目であることが絶対条件。そして、鏡に映った自分の顔を冷静に自己分析した結果、歌手よりも早く見切りをつけることができた。


 最終的に中学生になった鹿村は野球部に出入りするようになった。


 どうやら歌手や俳優よりも鹿村には野球のほうが才能のほうがあったようだ。入部してから鹿村はあっというまにチーム内で4番・捕手の座を獲得して、ホームランを連発した。


 ポジションが捕手になったのは、とくに大きな理由はない。

 ただ鹿村の目には捕手がつけている防具がかっこよく見えたし、他に誰も希望する者がいなかったので、このポジションに落ち着いたのだ。


 しかし、鹿村は、なぜこのポジションを誰も希望しなかったのか、すぐに理解できた。捕手はずっと座りっぱなしなのでいっけん楽そうに見えるが、とんでもない。1試合のうちに何度も立ったり座ったりしなければならないので、足腰への負担が半端ではないのだ。


 しかも、内野ゴロになるたびにファーストへとベースカバーに走らなければならない。それでいて、投手のように注目をあびる存在ではないので実に割の合わないポジションなのだ。しかし、野球を始めたばかりの鹿村にとって常にボールに触っていられる捕手というポジションは楽しく感じられたのでとくに不満はなかった。


 そして、鹿村は野球部でメキメキと頭角を現していく。


 中学3年生の時に奥丹後地方の予選を勝ち抜くと、京都市内でおこなわれた県大会でも市内の強豪を破ってみごと四強入りしたのだ。その後も鹿村は町の青年団のチームでも補強選手に選ばれると、大人顔負けの打球を連発するのだった。


「克也はこの町いちばんのホームランバッターだな」


 小さな町の野球好きのあいだで、鹿村の名は確実に広がっていったであった。




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