警告
料理長との話が終わり、厨房から出て行きかけたレヴィゼを、シャルアが呼び止めた。
正面から見たレヴィゼは、やはり女性でもいけそうな気がする。ハンサムと言うよりは、美形という表現の方がぴったりだ。
どちらにしろ、多くの女性が熱い想いを抱きそうな容姿である。彼も青色の瞳をしているが、ジェナスの濃い青の瞳とは対照的なアイスブルー。
その涼やかな瞳が、こちらへ向けられた。
「きみは?」
予想はしていたが、見た目通りに声はあまり低くない。どちらかと言えば、中性的な感じがした。
「こちらへ食材を配達している笑顔屋の者で、シャルアと言います。少しだけお話ししたいことがあるんですが……」
レヴィゼは少し考えた様子だったが、小さくうなずいた。
「そんなに時間は取れないけれど、構わないよ。何だい?」
「あの、えっと……外でお話ししてもいいですか」
外でもどこでもいいが、とりあえず人があまりいない方がよさそうな気がする。使用人達が出入りする厨房では、ゆっくり話もできない。
「……わかった。じゃあ、外へ出よう」
話のわかる人でよかった、とシャルアは心の中でほっとする。
たとえこの前の役所の人みたいに事務的な対応であっても、まずは話を聞いてもらわなければ先へ進めない。
「で、話したいことって?」
厨房から出ると、レヴィゼが尋ねてくる。
やっぱり線は細いけど背が高いし、近くで見ると確かに男の人だなぁ、なんてシャルアはちょっとのんきにそんなことを考えた。
しかし、レヴィゼに尋ねられて「そんな場合じゃなかった」と我に返り、この前見たことを話す。
「そんな賊が?」
「最近、妖精がいなくなる事件が起きてるって人から聞いてたんですけど……その事件の犯人って可能性がすごく高いと思うんです。ここのお屋敷とは直接関係ない話だと思うんですけど、何かの都合でお屋敷の中へ入って来るかも知れないし、気を付けてもらった方がいいと思って。憶測で話してすみません。だけど、本当にあたし、見たから」
本当だと言えば言う程、信用されなくなりそうな気がする。たとえ信用されなくても、こんな話をしていた妙な娘がいた、と記憶に残ってくれれば、少しは注意してもらえるだろう。
「いや、教えてもらってありがたいよ。まさかそういう話だとは思わなくて、ちょっと驚いたけれどね」
レヴィゼにそう言われ、彼は全然違う内容を想像していたのでは、と思い至る。
彼の外見なら、言い寄る女性もきっと多い。実はシャルアが前からレヴィゼのことを見ていて、告白するために呼び出した……なんて考えていたのかも知れない。
彼の顔を見ていたら、そう思われるのもわからなくはないが。
「自分達の周りにどんなことが起きているのか。人が大勢出入りするこういった屋敷では、常に把握しておく必要があるからね。その賊が近くへ来たついでに屋敷から金品をくすねていく、ということだってありえるんだから、貴重な情報だよ」
そう言ってもらえて、シャルアもほっとする。
妖精なんて何をバカなことを、と一蹴されても仕方ない。そう思いながら話したのだ。見えない人にすれば、妖精なんて物語の中にしか存在しないもの。しかし、ちゃんと聞いてもらえたようで嬉しい。
「シャルア、だったね。また何か気付いたことがあれば、知らせてくれるかい」
「ええ、それはもちろん」
優しい笑顔を向けられ、シャルアはどきっとしながら首を縦に振った。男性に挨拶以外で笑顔を向けられたことがあまりないので、免疫がないのだ。
そういうことを除いても、やはり美形は得だということか。
「じゃあ、私はこれで。きみも気を付けて帰るんだよ」
「はい」
レヴィゼは笑顔で軽く手を振りながら、屋敷内へと戻って行った。その後ろ姿を見送り、シャルアは少し息をつく。
とにかく、これで今の自分にできる精一杯のことをした。レヴィゼが他の使用人にこのことを伝えるかどうかはともかく、少なくとも屋敷の人に注意を促すことができたのだ。
たとえ、一人だけでも。
あとは早く役所の魔法使いが真犯人を捕まえ、一件落着してくれるのを待つばかり。その日がとにかく早く来てくれないと、シャルアとしても何となく気が休まらない。
「おい」
低い声で呼びかけられ、シャルアが振り返るとケイレディンがそこにいた。持ち出したところなのか片付けるところなのか、脚立を持っている。
「あ、こんにちは、ケイレディン」
おいって、何よ。
挨拶をしながら、それでもシャルアは心の中でむっとする。
名前をちゃんと覚えてくれていないのだろうか。こちらはケイレディンより短い名前なのに、ずいぶん偉そうな呼ばれようだ。
しかも、口調が不機嫌そうに聞こえた。何があったか知らないが、その不機嫌さをこちらへぶつけないでもらいたい。
まだ一度しか、彼とは顔を合わせていないのに。村でも街へ来てからも「おい」なんて、そんな呼ばれ方はしたことがない。
それでも、シャルアは一応の愛想笑いを向けておく。
相手の名前を呼んだのは、こちらは呼んでもらってないけれども、あたしはあなたの名前をちゃんと覚えていますよ、というささやかな嫌みだ。
相手に通じるかはどうでもいい。これくらい言っておかないと、シャルアの気が済まないのだ。
「お前、あいつには気安く近付かない方がいいぞ」
「え? あいつ?」
こちらの名前を呼ぶどころか挨拶もなしにいきなりそう言われ、シャルアは思わず聞き返す。
「あいつって、レヴィゼのこと?」
「ああ」
一瞬、本当に誰のことを言われているのか、シャルアにはわからなかった。わかったらわかったで、理由が不明だ。
「どうして?」
「あいつはたらしだぞ」
「たらしって……」
だしぬけにそんなことを言われ、シャルアは思わず絶句する。
「女たらしってことだ」
「そ、それくらいの意味はわかるわっ」
つい声を荒らげてしまった。いきなり話しかけて来たと思ったら、何を言い出すのだろう。
ケイレディンは、この屋敷に雇われている庭師の助手だ。彼から見れば、レヴィゼは雇い主側。ご主人様……というところまではいかないにしても、この言い方はいかがなものか。屋敷の誰かに聞かれたら、絶対に立場がまずくなる表現だろう。
「田舎から出て来たばっかりの女を手玉に取るくらい、ああいう奴は目隠ししてたって楽勝だぞ」
「な、何よ、それ」
シャルアの方が、その言い方に焦ってしまいそうだ。ケイレディンの方は、全く意に介していない様子。人の悪口を言うのは慣れているのだろうか。
「遊ばれて、後で泣くことになりかねないぜ」
「余計なお世話だわっ」
そうまで言われ、シャルアは本気で腹が立った。
仮にレヴィゼが本当に女たらしだとしても。これがケイレディンの親切な忠告だとしても。
それならそれで、言い方というものがあるだろう。会ってたかだか二度目の人間に、なぜここまで言われなければいけないのだ。
今の言い方は、完全に見下されている。
さっきは優しい笑顔を向けられ、確かに少しどきっとはした。だが、それだけ。普段、経験したことがなかったから、少し驚いただけだ。
レヴィゼにシャルアを狙っている様子はなかった。それが彼の手だとしても、シャルアは特に思うところはない。そもそも、シャルアは下心があってレヴィゼと話していたのではないのだ。
たとえ、彼が女たらしであろうとなかろうと、シャルアにはどうでもいいこと。
「村から来て、まだ一ヶ月も過ぎてないもん。自分が田舎者だってことくらい、あたしだってちゃんと自覚してるわよ。だけど、おあいにく様。あたしはぜーったい引っ掛かったりしないわよ。残念でしたっ」
「そう言う奴が一番危ないぜ。自分は大丈夫って自信満々に言ってる奴に限って、フタを開けてみたら簡単にたぶらかされてるんだ」
腹の立つことを、さらっと言われる。かっとなって頬が紅潮した。
そういう人が世の中にはいるかも知れない。しかし、シャルアは本当に引っ掛からない自信がある。賭けたっていい。
「あたしはねっ、昔からずっと大好きな人がいるの。たとえ彼に本気で言い寄られたって、その人以外になびいたりしないもん。絶対にっ」
そう言うとケイレディンに思い切りあかんべーをし、シャルアはふんっと背中を向けてその場を離れた。
シャルアはジェナスが好きなのだ。彼以外の男性に気が移る、なんてありえない。ジェナスが別の女性を選んだら……あまり考えたくないが、その点についての可能性はゼロではないのだ。ずっとジェナスしか見てなかったのに、もう見るな、と言われるようなものだが……他の男性はしばらく目に入らないだろう。
何よ、この前は一言しか挨拶しないと思ったら、今度はあたしがレヴィゼを好きみたいな言い方して。そりゃ、彼なら放っておいてもモテるだろうし、端から見たら女たらしに見えるかも知れないけど。本人はもしかしたら一途ってこともあるじゃない。ケイレディンって、最近この屋敷に入ったんでしょ。そんな新人にどこまでわかるって言うのよ。見た目だけで判断してるんじゃないの? 人のことをあんなふうに言うなんて、失礼ったらありゃしない。あそばれないようにって注意するにしても、もっと優しく言ったらどうなのよっ。あまりいい噂を聞かないからやめておけ、とかあるでしょ。悪口を言ったら、同じだけ悪口を言われるんだからねっ。
屋敷を出ても、シャルアの怒りは収まらない。
何よ、あんなこと言うってことは、ケイレディンってば実はあたしのことが好きで、レヴィゼと話してるのを見てやきもちでも焼いてるんじゃないのっ? ……って、そんなことはさすがにないか。それにしたって、あの言い方はレヴィゼとあたし両方に対する侮辱だわ。誰も得しない言い方じゃないの。レヴィゼの耳に入ってケイレディンがクビになったとしても、あたしは関係ないからね。
こんなに腹が立ったのは、久しぶりだ。街へ来ていやなことと言えば、森で妖精が連れて行かれたのを見た時くらいだが、それに匹敵するような気がする。しかも、直接自分に関わっているから、余計に気分が悪い。
しばらく怒りながら歩いていたシャルアだが、冷静になるにつれて何かが頭の中で引っ掛かった。
ケイレディンの声を、どこかで聞いた気がする。この前の挨拶とは別に。
そう考えて、ふと思い出した。
まさか、あの時の……。
森の中で少女と話していた、黒い覆面の男。その声に似ているのだ。
初対面の時は「どうも」の一言だけ。それだけではあまり声に関しては記憶に残らない。短い言葉の方ばかりに気を取られてしまう。
でも、今の会話でケイレディンの声をしっかり聞いた。長くもないが、短くもない会話。声を認識するには、十分な時間だ。
今の声と、あの時の声が似ているような。
そう考えた途端、シャルアは思わず立ち止まって屋敷を振り返っていた。
まさか……違うわよね。低い声は似ていたような気がするけど、そう思えるだけかも。あの男は覆面をしていたから、口元が覆われてた。そのせいで声が少しこもっていたから、はっきりそうだって言い切れない。顔はちゃんと見えなかったし、あの男とケイレディンが同じ人だって証拠はどこにもないわ。
シャルアは否定しようとしたが、一度引っ掛かるとどうしようもない。どうしてもよくない方へ流れてしまう。否定しようとしても、それをさらに否定する自分が出て来てしまうのだ。
あの時は顔こそしっかり見えなかったが、背格好がケイレディンと似ていたようにも思える。長身の男性など、探せばいくらでもいるはずなのに。
レヴィゼが女たらしだから近付くなと言ったのも、実は余計な話を他人に吹き込むなという意味かも知れない。もし他の人に聞かれても、ごまかしやすいような言い方をして。でも、シャルアには裏の意味がわかるように。
仮にそうなら、森の中でシャルアの存在に気付かれていた、という可能性だってある訳だ。そして、口止めしてきた……。
そこまで考えると、ぞっとしてシャルアは自分の肩を思わず抱いていた。
森の中、つまり自然の多い場所なら妖精も多いだろう。妖精を捕まえようとするなら、絶好の場所とも言える。
ケイレディンは最近ソブの助手になったと聞いたが、それは単なるカムフラージュ。あの屋敷が仕事場所になれば、森の中でうろうろしていたって怪しまれずに済む。
時期はわからないが、事件が起き始めた頃とケイレディンがソブの助手になった頃が重なっていたりしたら……。
これは憶測だ。あくまでも、あの覆面の男とケイレディンの声が似ている、とシャルアが思うだけ。低い声の男性も、似たような体格の男性も、世の中には大勢いるだろう。
まして、片方は声がこもっていたから、似ていると言っても断言できる程ではない。
そう考えても、シャルアはどんどん怖くなってくる。クノンに相談しようかとも思ったが、単に声が似てると言うだけで彼女まで怖がらせるのも考えものだ。
いや、クノンは行動派だから、真相を突き止めようとするかも知れない。早く解決することは望ましいが、下手にクノンが動くことで彼女に危険なことが起きては困る。
それに、ケイレディンには失礼なことを言われたが、完全な人違いだったらその方がもっと失礼になってしまう。さっきの様子では、何を言われるかわかったものじゃない。
これだから田舎者は……とか何とか。さすがに殴られたりはしないだろうが、今後顔を合わせる度に嫌みを言われそうだ。
シャルアは考えすぎだと思おうとしたが、一度生まれた疑いの気持ちが消えることはなかった。