仕入れ先と配達先
自分が着ていた服を包んでもらい、シャルアはクノンと店を出た。
これから、改めて街の案内だ。
「えっと、どこへ行くんだっけ」
「セフラの所よ」
服をプレゼントしてもらったことでちょっと舞い上がり、どこへ行くのか忘れてしまった。それを聞いて、クノンはくすくす笑う。
「セフラは、ハーブだとか香辛料を栽培してる人よ。ワーグの店でも色々と仕入れてるわ。うちでもスパイスをよく仕入れてるの」
セフラはマラカの街の中心から少し外れた場所に、広い畑を持っていた。冬でも寒さに強いハーブを育てたりして、畑は年中緑に覆われている。店から歩いて十五分程の所だ。
今は春の初め。畑には、小さなハーブの芽がたくさん並んで顔を出していた。その畑の中央付近で、しゃがんで作業をしている人影が見える。
「セフラー」
クノンが声をかけ、作業中の人影が立ち上がった。頭にタオルを巻いた色黒の中年男性だ。そこそこがっしりした体格のセフラは、呼びかけたのがクノンとわかって軽く手を振る。
「ワーグの店で働くことになったシャルアよ。これから来るようになるから、よろしく」
「シャルアです。よろしくお願いします」
「おお、そうかい。よろしくなー」
セフラがまた手を振り、シャルアは軽く頭を下げた。
クノンは「それじゃ、またね」と言って、その場を離れる。作業中のようだし、あまり邪魔しては悪い。話をする機会は、これからいくらでもあるだろう。
「ここね、私達が食べるハーブだけじゃなくて、魔法使いが使うハーブも栽培されてるのよ。それで魔法の薬みたいなものを作るらしいわ。他にも、妖精が好きなハーブもあるんだって」
「ああ、それで」
シャルアの相づちに、クノンが不思議そうな顔をする。
「それでって?」
「畑の所々で、妖精が遊んでるのが見えたから」
その言葉に、クノンが目を丸くする。
「シャルアって、妖精が見えるの? 羽虫や何かの見間違いとかじゃなくて?」
妖精は普通の人間には見えない。魔法使いが細工をしてくれれば見ることは可能だが、普段はその場に妖精がいてもわからないものなのだ。
しかし、魔法使いではないが見える、という人もたまにいる。他の人に話したことはないが、シャルアがそうなのだ。
「時々だけどね。街にいた時も見えてたけど、よくわかってなかったの。ウットの村へ移ってからよ、これは妖精なんだってわかったのは。山や森へ入った時なんかに見ることが多いかな」
「へぇー。魔法使いじゃなくても見える人がいるんだ」
感心していたクノンだが、セフラの畑から少し離れた所で声をひそめた。
「あのね、シャルア。セフラにちょっとだけよくない噂があるの」
「よくない噂? 今のおじさんに?」
農民らしいしっかりした体型に、陽に灼けて黒くなった肌。少し距離があったが、だいたい五十歳前後だろうと思われる。
笑顔で挨拶してくれる、どこにでもいそうな農家のおじさん、といったイメージのセフラ。ウットの村にも、彼と似たような人はたくさんいる。
シャルアには、クノンの言うよくない噂の内容が全く思いつかなかった。
「まぁ、噂と言っても役所内のほんの一部なんだけどね。ほら、この前役所に勤めてる恋人がいるって話したでしょ」
街を案内してくれた最初の日に、クノンから恋人がいることは聞いていた。人事課にいて、魔法警務課にジェナスの名前が確かにある、と調べて教えてくれたのは二日前のこと。
部署がわかっても、行く先や戻る日がわからないんじゃなぁ、と心の中でついグチったのはともかく。
クノンの彼氏は耳聡いとかで、他の人が知らない話もあちらこちらでよく聞き出してくるらしい。それを一般人のクノンに話すのはほめられたことではないが、クノンもその辺りは心得て、他言するようなことはしない。
「最近、妖精が消える事件っていうのが起きてるらしいの。私達にすれば最初から見えてないから、消えると言われてもピンとこないんだけど。要するに、誰かが妖精を捕まえてるんじゃないかって話になって……」
周囲には誰もいないし、聞こえるはずがないのだが、クノンは声をひそめた。
「セフラが犯人じゃないかって」
「えぇ? あんなにいい人そうなおじさんなのに」
いきなり事件の容疑者だと告げられ、シャルアは驚きを隠せない。どう見たって、どこにでもいそうな農家のおじさんだった。
「人は見かけじゃわからないわ。もちろん、見かけ通りの人もたくさんいるけどね。それで、魔警課が調べてたみたい」
ジェナスはその関係で留守なのだろうか。しかし、セフラはこの街にいるのだから、ジェナスが寮へ帰れないでいる、というのも妙な話だ。きっと別件なのだろう。扱う事件は一つではないはずだ。
「そんな事件が起きてるのね。だけど、あたしはあのおじさん、犯人じゃないと思う」
「どうして?」
今話を聞いたばかりのシャルアがやけにはっきり言うので、クノンは首を傾げた。
「だって、畑に妖精がいたって話したでしょ。自分達を捕まえるかも知れない人間のそばに、いくら好きなハーブがあるからって妖精達も近付かないと思うな」
少し離れていたし、妖精の顔が小さいので絶対とは言えない。だが、周囲を警戒している雰囲気はなかった。
子どものような姿でも、本当の子どもではない。何か危険な空気があれば、注意するはずだ。
「なるほどねぇ。だけど、自分達の仲間が彼に捕まったってことを知らなかったら? あそこのハーブは、妖精にとって絶好の罠になるわよ」
「んー……」
クノンにそう言われては、シャルアも反論できない。見えるだけで、妖精について詳しいのかと言われたら、そうでもないのだ。会話をしたことだってない。
一度、森の中でシャルアが小枝を踏んだ音に驚いた妖精と目が合い、思わず「驚かせてごめんなさい」と謝ったことがある。妖精は何も言わずにどこかへ行ってしまったので、これでは会話と言えない。
「あは、ごめん。シャルアを困らせようとしたんじゃないわ。魔警課でもシャルアが言ったような理由で、違うだろうって方向になったみたい」
シャルアがうなるので、クノンは苦笑しながら謝った。
「ただ、犯人が捕まってないから、完全に疑いが晴れたって訳でもないみたいなのよね。うちもセフラからスパイスを買ってるし、直接的な付き合いがある訳でしょ。こういう話があるからちょっと気を付けた方がいいって、彼からも言われたの。そうでなきゃ、さすがに彼も私にこんな話はしないわ」
もし怪しい素振りを見たとしても、その場では絶対に気付かないふりをしろ。どういう理由で妖精を捕まえているのかはまだ不明だし、何をされるかわからないから……とクノンは何度も言われたらしい。
店でセフラのハーブを買い付ける以上、シャルアもクノンと似た立場になる。だから、クノンもこの話をしたのだ。余計な言動で危険が及ばないように。
セフラは魔法使いではないし、シャルアのように妖精が見えるかどうかは本人のみが知ること。真犯人が見付かるまで、セフラの潔白が何らかの形で完全に証明されるまで、彼に向けられる疑いの目はなくならない。
「でも……そうよね。妖精だって、自分達を捕まえようとする人間の所へのこのこ出て来たりはしないわよね。正直なところ、この話を聞いてからちょっともやもやしてたの。だけど、シャルアが妖精が見えるって教えてくれたおかげで、安心できたわ」
「街では、妖精さえも事件の要因になったりするのね」
幼い頃にはわからなかったが、街という場所は一癖も二癖もあるようだ。
☆☆☆
セフラの畑からさらにおよそ十分歩いた所に、森に囲まれた屋敷があった。今は案内の都合で少し遠回りになったが、直接ここへ来る場合の近道もクノンはしっかり教えてくれる。
「あれがガルマックさんの屋敷。一応、貴族の称号を持ってるって聞いたわ」
「一応? 貴族って、つまりはお金持ちのことでしょ」
村には当然そんな人はいなかったし、街にいた子どもの頃はそんな称号だの身分だのはわからなかった。今でもざっくりと「お金持ち」というイメージがあるくらいだ。
「社会的にすっごく大きな特権を持っている、上流社会の人達のことを言う……みたいよ。そういう意味では、ガルマックさんはあんまり上流って感じじゃないわね」
最後の方は、声をひそめるクノン。
色々な商売で成功し、ガルマックは今の財産を築き上げた。その金を使って「貴族」の称号を買ったという話だ。一部では、単なる成金だ、と言っている人もいるらしい。
それでも、表向きは貴族だ。
「私も詳しくは知らないけど、お金にものを言わせてあれこれと権利を買ったって。一介の食堂の娘にはわからない所で、色んなお金が動いてるのよ」
「それってつまり、あたし達とは住む世界が違うってこと?」
「そうね。せいぜい、お姫様みたいな暮らしができるのかしらって想像するだけよ」
お金持ちのやることなんて、庶民には理解できないことの方が多いものだ。所詮、別世界である。
「じゃ、クノンはどうしてここを案内してくれたの?」
今の話だけを聞いても、一介の雑貨店にいる一介の従業員が入って行ける場所ではなさそうだ。
「ガルマックさん本人には、別注の高級な食材が使われてるみたい。でも、あそこで働いている人達のまかないは、私達と同じものを使うの。その分の注文が入ったりするのよ」
クノンに言われ、そういうことか、とシャルアも納得した。
お屋敷のご主人様ではなく使用人達のために、こまごまとした食材の配達が必要になるのだ。
「表の門からは入れないからね。ここはおえらーい方達が馬車に乗ったまま入る場所なの。使用人の通用口はこっちよ。配達もこっちからね」
「クノン、ここへ配達したことがあるの?」
「いいえ、ないわよ。うちは出前はやってないから」
あっさりと否定するクノン。
「それにしては、ずいぶん詳しいんじゃないの?」
「まぁね」
クノンは軽く肩をすくめた。
「こんな立派なお屋敷に入れる機会って、そんなにないでしょ? うちへよく来るお客さんで、ここの庭師をしてる人がいるの。子どもの時、頼んで入れてもらったのよ。手伝いをするふりをしてね」
「ああ、そういうことね」
街にある大きな屋敷は、もちろんここだけではない。それらの中で、特に親しい知り合いがいるというのでもない。
だが、このガルマックの屋敷に関しては、出入りしている人が満月亭の常連客の中にいたのだ。こういう大きな屋敷の中はどうなっているんだろう、と興味があったクノンは連れて行ってくれないかと頼み、臨時の手伝いという体で入れてもらったのだ。
もっとも、庭師なので屋敷内へ入ることはないため、クノンも入れなかった。それでも、敷地内へ入れただけでいい経験になる。
正門から真っ直ぐ入れば屋敷だが、そこまでが遠い。しかも、途中に噴水なんかがあったりする。馬車が余裕で走れる幅の道が伸び、その周辺にはきれいに刈り込まれた木々。
シャルアは絵本で見た世界を思い出す。自分がこの門をくぐることはないんだろうな、と門から見える景色を見て思った。
屋敷全体は、森に囲まれている。屋敷を囲む塀と森の間には踏みしめられた細い道があり、そこを通って屋敷の裏から使用人達は出入りするのだ。
何度か来たことがあるというクノンは、勝手知ったるで屋敷の裏にある通用門を開け、さっさと中へ入る。門番のような人間は一人もおらず、役所の寮の方がずっと厳重だわ、とシャルアは心の中で苦笑した。
「あ、いたいた」
あまりの庭の広さに、本当にここは一軒の敷地内にある庭なんだろうか、とシャルアは呆然となる。その間に、クノンは満月亭の常連客で知り合いだという庭師のソブを見付けていた。
一仕事を終えたらしい初老の小柄な男性が、手に仕事道具を持ってこちらへ来る。
「ソブ、この前話していたでしょ。彼女がシャルアよ」
「ウットから来たって子だな」
シャルアは挨拶し、紹介されたソブはやや下がり気味の細い目をさらに細くした。大きな麦わら帽子をかぶっているが、外にいる時間が長いためか、その面長な顔はよく陽に灼けている。
すでにクノンとの間で段取りが組まれていたらしく、ソブはシャルアがこれから何度も来ることになるであろう厨房へと案内してくれた。
そこで働く人達に紹介され、名前を覚えてもらう。シャルアの方は、とてもじゃないが一度では覚えきれない。これからゆっくり覚えればいいさ、とソブが笑った。
「おお、そうそう。つい最近、新しく助手が入ってな。そいつも紹介しておこう。……あまり愛想のいい奴じゃないが、気にせんでくれ」
ソブについて行くと、脚立や仕事道具を倉庫に片付けている若い男性がいた。
「ケイレディン」
呼ばれて男性が振り向き、ソブが来るように手招きする。どこか面倒くさそうに見える表情で、助手の男性はこちらへ来た。見たところ、二十代半ばといったところか。
あ、この人の瞳もすごく濃い青色だわ。
近くへ来たケイレディンを見て、シャルアは最初にそんなことを思った。
青い瞳の人間などいくらでもいる。実際、隣にいるクノンも青い瞳だが、濃い青の瞳にひときわ反応してしまうのは、どこにいても変わらない。
色は同じなのにな……。濃くてきれいな青なのに。
残念ながら、彼の顔立ちはシャルアの大好きなジェナスとは全然違う。髪は艶のない砂色で、軽く束ねてはいるがぼさっとした感じは否めない。少しほお骨が出ているためか、全体的な顔立ちがやけにごつごつとした印象だ。
近くまで来ると、背が高いせいか圧迫感がある。シャルアの頭が彼の肩にどうにか届く程の身長差のためか、相手にその気がなくても見下ろされているように感じてしまう。
「彼、この前一緒にいた人ね」
「ああ、満月亭に連れて行ったことがあったな。あの時はちゃんと紹介できんかった。改めて、ケイレディンだ。ケイ、クノンは知ってるな。満月亭の看板娘だ。こっちは、最近マラカに来たシャルア。街へ来て間がないのは、お前も同じだ。この屋敷で何かあったら、助けてあげるんだぞ」
「あの、シャルアです。よろしくお願いします」
「……どうも」
低い声で、たった一言。
え、今のでおしまい?
どうも、の後で何かもう少し続くのかと思ったのに、ケイレディンと呼ばれた彼が再び口を開こうとする様子はない。
ソブが一応の前置きはしてくれたものの、ここまで愛想がないとは思わなかった。笑顔が出る訳でもなく、自己紹介の言葉が出るでもない。
せめて、自分の名前くらい言ってもいいんじゃないの? 子どもじゃないんだし。愛想がないと言うよりは、ここまでくるとちょっと失礼なんじゃ……。
マラカへ来てからクノンに連れられ、あちこちでたくさんの人と出会ったシャルア。社交辞令だとしても、みんなとてもにこやかに対応してくれた。
ケイレディンには、そのかけらもない。逆に印象に残った、とも言えるが。
「本当に愛想のない奴だな、お前は。シャルア、こんな奴だが仲良くしてやっておくれ」
「はい」
……と返事するしかない。まさかここで、遠慮させてください、と言えるはずもなかった。
「ソブ達がうちに来てくれた時は忙しくて、会話するチャンスがなかったからわからなかったけど、彼ってあんな感じなのね。照れて言葉が出ないっていうのでもなさそうだったし。彼に何か助けてもらうことなんて、そうそうないと思うわ」
帰り道、クノンは苦笑しながら言い、シャルアも同感だった。