悪い魔法使い
「ウットの村から来たシャルアよ」
まさかとは思うが、それを証明しろ、なんて言われないだろうか。
両親が生きていた頃がどうだったかなんて覚えていないが、街では身分証が必要なのかも知れない、なんて思い始めたシャルア。急に不安になってくる。
「ふむ……。まぁ、いいか。村で拾って持って来たって訳でもなさそうだな」
「そんな面倒なことする人、いるの?」
「よくわからん目的がある奴は、何でも利用するもんだ」
「はぁ……」
そうまでして、誰がこの寮へ入りたがると言うのだろう。
手紙をシャルアに返すと、管理人は雑誌を手に取ってイスに座った。
「あの、中へ入ってもいいの?」
明確な許可がないので、シャルアは恐る恐る尋ねた。
「ジェナスなら留守だ」
さらっと言われた。シャルアは少しむっとしたが、顔には出さないでおく。
「あ、まだ仕事中で役所に?」
「いいや、仕事でよそへ行った」
「よそって……それじゃ、今日は遅くなるってこと?」
別の街へ行ったので遅くなる、という意味かと思って言ってみる。
「当分、帰って来ないだろうな」
いやな予感がしながら、シャルアはもう一度尋ねた。
「当分って、夜中になるってこと?」
「何日かかるか、わしは知らん」
「ええっ!」
その答えに、シャルアの声がひっくり返った。
「だ、だって、あたしが街に来たら案内してやるって手紙に……」
書いてあったのは、ジェナスが休みの時に、だったが、細かいことはいい。
シャルアとしては、街へ来て寮を訪れればジェナスに会える、と思っていた。信じて疑っていなかったのだ。
「だったら、手紙を出した直後に、仕事が入ったってところじゃないか」
「そんなぁ……」
聞けば、ジェナスが仕事で出たのは手紙の消印の日付より一日後らしい。管理人が言うように、この手紙を出して本当にその直後に仕事が入ったのだ。
仕事とわかっていれば、そう書くだろう。もしくはすれ違いになることを恐れ、最初から手紙を書くのはやめたはず。
やはり、出した後に仕事が……というのが一番ありえそうだ。
「村へ戻って、ジェナスから戻ったという連絡を待つんだな。ここにいたって、本当にいつ帰って来るかはわからんから、あんたもどうしようもないだろ。本人がいない部屋へ入れてやる訳にはいかんからな」
「あたし、もう村には戻らないの。この街で働くことになったから」
「ジェナスはどこであんたが働くのか、知ってるのか?」
シャルアは小さくうなずいた。ジラム村長のつてで……ということは手紙に書いたから、わかっているはずだ。
「じゃ、帰って来たらすぐにそっちへ向かうだろ。そう落ち込まないで待ってな」
この管理人の口から、意外にも慰めの言葉が出た……とは失礼か。
そうは言われても、五年ぶりの再会がここに来てなくなったのだ。ずっと楽しみにしていた分、シャルアの落胆度は大きい。眠れなかった時間を返せ、と言いたくなる。
でも、ジェナスだって仕事だし、そうなると誰に当たればいいのやら。シャルアにとってはほとんど天災のようで、誰にも怒れない。
「どうかしたのかい?」
ふいに別の声が、シャルアの耳に入ってきた。
うなだれていたシャルアが顔を上げると、管理人よりも少し若く、五十代後半くらいと思われる男性がそばに立っている。
シャルアはその顔に、何となく見覚えがあった。
その隣には、シャルアより少し年上であろう青年も立っている。こちらは全く知らない人だ。
「ネルバ、そいつが話してた新人か」
管理人は相手の問いには答えず、問い返す。
「ああ、そうだ。これからよろしく頼むよ。こちらの彼女は?」
「あーっ」
シャルアの記憶の泡が弾け、失礼ではあるが、ネルバと呼ばれた男性を思わず指差していた。
「ジェナスを連れて行った魔法使い!」
ジェナスが山犬から救った一行の中にいて、彼を街へ連れて行った魔法使いだ。
束ねた黒髪に白いものが増え、顔のしわもシャルアの記憶にあるより多い。五年の歳月で、容姿にそういった多少の変化はある。
それでも、成長期で見た目がかなり変わってしまう子どもの五年とは違うから、間違いようもなかった。
顔は覚えているが、名前は覚えていない。と言うより、全然聞いていなかった。シャルアにとって、そんなことは問題じゃなかったのだ。
とりあえず、魔法使いだった、ということだけは覚えている。
「ジェナスを?」
指を差されたネルバの方は驚いた顔をしていたが、いきなりそんなことをされれば誰でもそういう顔になるだろう。横にいる青年も管理人も、同じような表情だ。
だが、ネルバの表情がふと和らいだ。
「あぁ、きみはウットの村の……大泣きしてジェナスを見送っていた子だね。シャルア、だったか」
「う……そういう部分で思い出さないでください」
大泣きしていたのは事実なので、否定のしようもない。それが余計に悔しい。
その点はともかく、彼がちゃんとシャルアの名前まで覚えていたことには素直に驚いた。
顔を合わせたのは五年前のことだし、ほんの数回。その時も、特にしっかりと関わってはいないのに。
十二歳の少女が十七歳になって、顔立ちや雰囲気も多少なりとも変わっている。髪もあの頃は結っていたが、今は結っていない。それだけでも印象は違うだろう。
にも関わらず覚えているのは、ジェナスを見送る時の様子が相当印象強かった、ということか。
「ネルバ。本当に間違いなく、この子はシャルアなのか?」
管理人が確認し、ネルバがうなずく。
「ああ。私が会った時はまだ子どもだったけれどね。シャルアに間違いないよ」
それって、あんまり変わってないって遠回しに言ってない?
ネルバの言葉にどこか釈然としない部分はあったが、とりあえず「お前なんて知らない」と突っぱねられるよりはいいか、と思うことにした。
それに……あまり変わっていないのは自覚している。
「そうか。それじゃ、ジェナスからの伝言だ。『ごめん、仕事が急に入った。もう少しだけ待ってて』だそうだ」
「へ?」
管理人からいきなりジェナスからの伝言を聞かされ、シャルアはきょとんとなる。
「もしシャルアが来たら伝言してくれ、と頼まれた」
「ちょっと、おじさん! この人に確認してから言ってない?」
言ってない? ではなく、間違いなく言った。はっきり確かめて。
「手紙を持っていても、確証がなかったんでな」
「何なのよ、それっ」
つまり、ジェナスの手紙を持っていても最終的には信用されていなかった、ということだ。
ジェナスは、シャルアの名前だけしか言わなかったのだろうか。こんな感じの女の子が、と伝えてくれていれば、管理人の対応ももう少し違うものになったはず。
五年も経って、感じが変わっているかも知れない……と思ってジェナスが言わなかった、ということはありえる。だが、何かよからぬことを考える人物が、数ある女性の名前の中からピンポイントで「シャルア」と名乗るだろうか。
ジェナスもまさか、管理人がこんなに融通が利かない、とは思っていなかったに違いない。わかっていれば、もう少し別の形で伝言を頼んでいただろう。
たまたまタイミングよく来たネルバが、シャルアの身元を保証した、という形になったので、伝言も受け取れた訳である。彼が来てくれなければ、ジェナスの伝言は浮いたままだ。
「まぁ、そう睨むな。魔法使いしか持たんような特殊道具を盗むために、あれこれ言って堂々と部屋へ入った泥棒が過去にいたもんでな」
「あたしはジェナスに会いに来ただけで、部屋へ入るつもりなんてなかったのにっ」
さっきも部屋に入れる訳にはいかない、なんて言われたが、シャルアにそんな気は全くなかった。
役所が管轄する寮に泥棒が入るなんて、この街の治安は大丈夫なのか。
そういった不安が街へ広がらないようにするためにも、まずはここの出入りをしっかりチェックすることが必要……ということのようだが、シャルアにすればずいぶんな洗礼である。
あの程度の伝言を人に聞かれたからと言って、どんな支障があると言うのだ。あの手紙でだめなら、何を出せば信用してもらえたのだろう。
「そうか、シャルアはジェナスに会いに来たんだね。そう言えばあいつ、訓練中はともかく、その後も全然村へ帰ってなかったな」
「お休みがもらえなかったとか」
言ってからシャルアは「本当にそういうことがありえそう」などと考える。
「はは、まさか。年中無休で働かせたりしてないよ」
「本当に?」
ジェナスを連れて行った悪い魔法使い。
そんな昔の印象が邪魔をして、シャルアはネルバを信用できない。身元保証はしてもらったが、それはそれだ。
彼女の疑わしげな視線に、ネルバが苦笑する。
「働きづめでジェナスが壊れたりしたら、その方がこちらにとっては余程傷手だからね。不定期だけど、ちゃんと休みはあるよ。街へは遊びに?」
「あたし、この街で働くことにしたんです。あたしが街へ来たら、ジェナスが休みの日に案内してやるって。今日来たばかりだけど、顔だけでも見たくて」
そう、案内も何もなくていい。とにかく、ジェナスの顔が見たかった。ジェナスと会いたかったのだ。
それだけなのに。
「そうか。ジェナスの代わりに謝っておくよ。すまない。せっかく来てくれたのに」
村へ来た時のネルバは、シャルアにとって「大好きなジェナスを連れて行く、悪い魔法使い」以外の何物でもなかった。本当は違うとわかっていても、誰かあの悪い魔法使いをやっつけてほしい、とまで思ったくらいだ。
シャルアがこうして成長し、落ち着いた状態で見る魔法使いは……とても悪い人には見えない。あの時、厳しそうに見えた表情は、今こうして会話をしていると柔和に見えるし、黒い瞳が優しそうで、むしろ好感が持てるおじさんだ。
……それが微妙に悔しい気もする。シャルアにとっては仇にも近い人、いや仇そのものだったのに。
「ジェナスは優秀だから、どうしてもあれこれと任されがちになるんだ」
「優秀、なんですか?」
ジェナスの手紙に、自慢するような言葉は一つもなかった。ほめられた、ということも。自分のことをひけらかさないジェナスらしい。
ジェナスのことだからそれなりにこなしているだろう、とは思っていた。第三者から言われる方がちゃんと評価されていると感じられて、シャルアは自分のことのように嬉しかった。
「ジェナスは飲み込みがとても早かったし、若いがなかなかの使い手だよ。こちらの期待以上でね。私の目に狂いはなかったということだな」
ジェナスより、話しているネルバの方が何だか自慢げだ。自分が見付けた逸材だから、ということもあるのだろう。
それより、シャルアは彼の言う「使い手」という言葉に少し引っ掛かる。すぐには理解できなかったが、ネルバが魔法使いだということを思い出してわかった。
ジェナスは剣など武術の他に、魔法も習っている。魔法を使うのだから、当然ジェナスも「魔法使い」ということになるのだ。
つまり、魔法の使い手。もちろん、剣も扱うから「剣の使い手」でもある。
だが、シャルアにはあまりピンとこない。街へ行く前にも聞いていたし、手紙にも書かれていたから知っているはずなのに、しっくりこないのだ。
魔法使いのジェナス。……妙な感じだ。慣れれば何ということもなくなるのだろうか。自分の知るジェナスが、全然知らない人のように感じられて、少し不安になる。
「ジェナスにはいつ会えますか?」
「それは何とも。ジェナスのことだ、すぐに片付けて戻って来るよ」
そういう気休めを言われても、落ち込んだ気分は盛り上がらない。はっきり「何日後」と言ってもらう方が「いつ会えるんだろう」ともやもやせずに済むのに。
「あの、ジェナスは……何の仕事をしてるんですか?」
手紙でもあいまいにされて、よくわからないまま。大変な仕事なんだろうな、とは思うものの、気にならない訳ではない。隠されると、かえって不安になってしまう。
「すまない。関係者以外が知ることで、どこから情報が流れてしまうかわからないから何も言えないんだ」
手紙ではなく、こうして直接尋ねても教えてもらえない。気にするな、と言う方が酷である。
何も詳細を教えろ、と言っている訳じゃない。事務とか販売とか、うんと大まかでいいから、こんな仕事だと言ってもらえるだけでいいのに。
しかし、ジェナスに聞いても、恐らく同じ答えしか返ってこないのだろう。
「戻って来たら、すぐきみの所へ会いに行くように言うよ」
今のネルバに言える、それが精一杯なのだろう。
「……お願いします」
シャルアには「その日」がすぐ来るのを待つ以外、できることはなかった。