マラカの街へ
シャルアには全く覚えのない街が、目の前に広がっている。かろうじて通りの名前はいくつか覚えていたが、そこには知らない店ばかりが軒を連ねていた。
昔は人もこんなに多くなかった……ような気がする。ここまでひしめき合っていただろうか。
ウットの村ののどかさに慣れてしまい、なおさらそんなことを思うのかも知れない。子どもの記憶も怪しいものだ。
気を取り直し、シャルアは一緒に来てくれた村長のジラムと通りを歩く。親戚夫婦の食料雑貨店「笑顔屋」は、すぐに見付かった。
まずは、無事にたどり着いてほっとする。今日から、ここがシャルアの住む場所になるのだ。
現れたおかみのノアラは、ぽっちゃりした体型で人なつっこい笑顔を向ける人だった。丸い茶色の目が、親しみやすさを感じさせるのだろう。
五十代もじき終わり、という年齢らしいが若く見える。
「あんたがシャルアかい。これからよろしく頼むよ」
主人のワーグは配達中だったが、シャルア達が到着して間もなく戻って来た。彼はジラムのいとこ、ということだ。
「おお、無事に着いたみたいだな。よかったよかった」
頭は見事なまでに光っていたが、その分鼻の下にたくわえた茶色いひげは立派なものだ。彼もまた、いい顔で笑う。
村長が穏やかな人なので、その親戚筋である彼らの人柄についてはあまり心配していなかったものの、やはり実際に顔を合わすまでは何とも言えない。
ウットの村へ来た時と同じ気持ちだったシャルアは、彼らの顔を見て安心した。いい新生活が始められそうだ。
香りのいいお茶を出してもらい、一口飲んだら改めてほっとする。
あれこれとお互いのことを話すうち、当然のようにシャルアの口からジェナスの名前が出た。
「へぇ、役所に幼なじみがいるのかい。何の係だい?」
ノアラに尋ねられ、シャルアは首を傾げた。
手紙にはどの部署に配属された、ということが一切書かれていなかったのだ。ジェナスが書くのを忘れたのか、あえて書かなかったのか。
シャルアからもその点について尋ねようと思ったことがなかったので、こう聞かれると困る。そんな細かいことは、今まで気にしていなかった。
「偉い人の警護をする、みたいなことを言ってたんだけど」
少なくとも、魔法使いと街へ向かう前はそう言っていたはず。手紙にも「詳しいことは書けないけど」とあって、魔法使いがしていた話と似たようなことがざっくりと書かれていた。
「ほぉ。じゃあ、警備課とかそんな名前の部署だな」
「悪い人が魔法を使っても対処できるように、魔法をいくつか習ったって書いてあったわ。……どんな魔法かは知らないけど」
暴漢に対抗するためだから、攻撃するための魔法だろうが、シャルアは魔法に関する知識なんてない。せいぜい、物語に出てくるような魔法を想像する程度。絵本並みの知識だ。
「そういった部署というもんは、一般の人間には話せんことが色々とあるようじゃの。まぁ、話されてもわしらには理解できんのじゃろうが」
ジラムがそう言って笑う。ジェナスの両親から、ある程度のことは聞いているようだ。
何にしろ、田舎の人間に細かいことはわからない。
「時間ができた時にでも、街を案内するって手紙をもらったの。届いたのが昨日だから、本当にぎりぎりだったんだけど」
「まぁ、そうなのかい? よかったじゃないか。その彼はどこに住んでるんだい?」
「役所が用意してくれた寮にいるって。手紙の宛先もそうなってるわ」
「役所の寮? じゃあ、なかなかのエリートだな」
ワーグの言葉に、シャルアはきょとんとなる。
「エリート? んーと……よくできる人ってこと?」
「ああ、そうだ。人から聞いた話だが、能力の高い者はかなり優遇されるらしいぞ。寮にしてもそうで、入りたくても入れないという奴が多いと聞いたな」
へたな下宿で余計な神経を使うより、生活環境の整った寮にいた方が仕事に集中できる、ということらしい。
それは、仕事ができる者に与えられる特権のようなもので、普通レベルの下宿代の半分で生活できる。賃金が安ければ、少しでもお金を使わずに済む寮に入りたい、と望む者も当然多いが、役所で選別されて合格した者しか入れない。
だから、エリートという単語が、ワーグの口から出たのだ。
「寮に入るのって、そんなに大変なの?」
話を聞いて、シャルアは目を丸くする。
熾烈な争い……があるかどうかは知らないが、選ばれた人間だけしか入れない、なんて考えたこともなかった。下宿や寮なんて、大家が一般人か役所かの違い、くらいに思っていたから。
しかし、考えてみればちょっと妙だ。
ジェナスは、正式に仕事を始めてまだ二年目。そんなに早く才能を見出されたのだろうか。仮にそうだとしても、訓練中も宛先は今と同じだったような気がする。
いや、気がするだけじゃなくて確かだ。住所が変わったから次からはこちらへ送ってくれ、という手紙を受け取った覚えはない。
もし本当にエリートのみが入れる寮なら、ジェナスはウットの村でスカウトされた時点ですでに「エリートと認定されていた」ということになる。あの魔法使いが気に入っていたとは言え、そこまで優遇されるものだろうか。
もっと詳しく聞いてみたい気もしたが、ワーグも人から聞いたと言っていたし、細かいことを尋ねても納得できる答えは得られないだろう。
だったら、ジェナスに直接聞けばいいことだ。仕事の細かい部分は話せなくても、寮に入れるのがエリートか否か、くらいは答えてくれるだろう。
もう手紙を書いて返事を長々と待つことなく、顔を合わせて話せるのだから疑問はすぐに解決する。
マラカの街へ着いたのは、昼過ぎ。来て早々に仕事をしろとは言わないので、幼なじみに会って来たら、とノアラに言ってもらった。
シャルアは遠慮なく、その言葉に甘えることにする。実はできることならそうしたい、と思っていたので嬉しい。
ジラムはもう少し休んでから、村へ戻ると言う。紹介してもらったお礼を言って、シャルアは店を出た。
どれだけジェナスと会っていないだろう。魔法使いと一緒にマラカの街へ行ってからだから、およそ五年間。気持ち的には十年以上にも思える。思春期の貴重な五年間が過ぎてしまったのだ。
シャルアははやる気持ちを抑え、ワーグに教えてもらったジェナスがいる寮の方向へ歩いて行く。
五年かぁ。村を出た時のジェナスは十六歳だったけど、今は二十一歳。もうすぐ誕生日だから、二十二になるんだ。すっかり大人よね。
まさかとは思うけど……あたし、目の前にいる人がジェナスだって、すぐにわかるかしら。成長期に五年会えなかったっていうの、すごく大きいわよね。きっと背は高くなってるはずだわ。訓練は大変そうだったから、村にいた時よりも鍛えられてたくましくなっていそう。すっかり感じが変わってたりして。
街での生活でジェナスの性格が変わったりしていないだろうか、と少し不安になる。
でも、シャルアが街へ行くと手紙を出し、気を付けて来るように、とすぐに返事をくれるあたり、優しくて面倒見がいいところは変わってなさそうだ。
あたしは……んー、自分ではそんなに変わったって気がしないもんなぁ。きっと背が少しだけ伸びたなって、からかわれるわ。今は子どもの頃みたいに三つ編みにしてないけど、どう言われるかな。髪をおろしたくらいで大人っぽく見えたら苦労しないわね。お化粧……は無理か。やったことがないし、そもそも何を使えばいいかわかんないし。
そんなことをつらつら考えながら、大きな通りから西へ二筋入り、シャルアは役所の寮とやらの前まで来た。
普通の家よりは当然大きいが、二階建ての特に何の変哲もない建物。横から見た窓の数から察するに、一階も二階も四部屋ずつあるようだ。建物の全体的な形から、中央に廊下があってその向こうにも同じ数の部屋がある、といったところか。
役所にどれだけの人数が働いているか、なんてシャルアは知らないが、もし役所の寮がここだけなら入れる人は本当にごくわずか。選ばれたエリートのみが入れる、という話もまんざら嘘ではなさそうだ。
その建物の周囲を、ぐるりと石の壁が取り囲んでいる。高さはシャルアの胸元くらいまでだが、寮にはこういう壁が必要なのだろうか。それにしては中途半端な高さに思える壁だ。これなら、簡単な垣根でよさそうに思える。
鉄の門は開かれていたので、シャルアは建物の入口へ向かって一歩踏み出した。
「ああ、ちょっと。ここに何の用事?」
いきなり声をかけられてびっくりした。門の陰に人が立っていたのだ。
見たところ、六十代前半くらいであろう短い白髪のおじさんで、背はシャルアとあまり変わらないくらいだから、男性としては小柄だ。やせているから、余計に小さく思える。目つきが鋭い、という訳ではないのだが、抜け目がなさそうに見えた。
ウットの村にも似たタイプの人がいて、こんな雰囲気なのに孫にはめろめろだったが……街の人にもそういうのが当てはまるのだろうか。
彼のすぐ横には簡素なイスがあり、その上に雑誌が無造作に放られていた。どうやら今までここに座って読んでいたようだが、シャルアが入って来たので立ち上がって、といったところだろう。
え、まさか、この人って門番? だけど、ここって役所の寮でしょ。どうして門番なんて必要なの? エリートが入る寮って、こんなことをするくらい特別なのかしら。
「どちらさん?」
あからさまな疑いの目ではないが、警戒はしているようだ。やはり、見張り役らしい。
「あの、ここに住んでる人に会いに来たんです」
「そうなの? 誰だい?」
シャルアは聞かれるままに答えたが、遠慮なく質問が続く。
「ジェナス……ですけど。えっと、あの、あなたは?」
「ここの管理人。で、あんたはジェナスとどういう関係?」
「は? か、関係って……」
予想もしていない質問に、シャルアは目を見開いた。
「家族か親戚?」
ここにいたって、シャルアはようやく怒りがわいてきた。
「どうしてそこまで言わなきゃいけないんですか。それを言わないと、ジェナスに会わせてもらえないの?」
「そうだよ」
「え……」
あまりにもあっさり答えられ、シャルアは絶句した。
街の役所という所は、こんなに厳しいものなのか。いや、ここは役所ではなく、役所の「寮」のはずだ。
「身内だ何だと言って留守の部屋へ入り、あれこれ盗んで行くけしからん奴がいてな。それが何度か続いたから、わしみたいな管理人が訪問者をチェックするようになったんだ。ここで何かあれば、わしにお咎めがあるからな。身元がはっきりしない人間は、入れないようにしてるんだ」
「そうなんですか……」
そう言われてしまうと、シャルアとしても納得せざるをえない。防犯だから仕方がない……かも知れないが、そんなに狙われやすい所なのか。
「あの、あたしはジェナスの幼なじみです」
「それじゃ、弱いな」
「弱いって……何が?」
管理人の言う意味がわからず、シャルアは首を傾げる。
「それくらいの関係なら、いくらでも言えるってことだよ。何かもっとないの? 確実に無関係じゃないってことを示せる何か」
「いきなりそう言われても」
まさか管理人がいるとは思わなかったし、ジェナスとの思い出を語ったところで「作り話だろ」と一蹴されてしまえばそれまでだ。確実に、なんて言われても困る。
どこでも通じる証明書なんて、シャルアが持っているはずもない。仮にジェナスの誕生日や出身地を言ったところで「どこかで調べればすぐわかる」などと言われるのがオチだ。
考えてみれば、役所はまだ仕事をしているぎりぎりの時間帯。寮ではなく、役所に直接行けばジェナスもそこにいたはずだ。そちらへ行けばよかった、と思っても遅い。手紙の住所に気を取られすぎた。
ここで役所へ向かうと言えば、逃げた、と思われるだろう。突っ込まれて答えられなくなった、とますます怪しまれかねない。そう思われたら悔しい。こちらは何もやましいことはしていないというのに。
「あ、そうだ」
こんな時のために、ではないが、持っていた小さな布のカバンにジェナスの手紙を入れていたのだ。シャルアはそれを取り出すと、管理人へ差し出す。
「ジェナスがくれた手紙よ。これなら、幼なじみだろうと何だろうと、ジェナスと知り合いだってことがわかるでしょ?」
封筒にはシャルアの名前が、裏には差出人であるジェナスの名前が書かれている。
「あんたの名前は?」
手紙を受け取って宛名を見ていた管理人は、最後の確認をするかのように尋ねた。