エピローグ
「それにしても、シャルアに妖精が見えるとは思わなかったな」
「子どもの時は、小さい人がいるなって思ってるだけだったから。自然に見えてたから、誰かに話そうって考えたこともなかったもん。自分に妖精が見えてるって自覚したの、つい最近かも」
ジェナスはシャルアが妖精を見ることができる、とは知らなかった。だから、自分やリエルが森の中で目撃されたことよりも、手の中にいた妖精を彼女が見ていたことに驚いたくらいだ。
「あの時の妖精はどうなったの?」
「もう元気になってる。水辺に棲む妖精だったから、川のそばで回復できるように魔法をかけていたんだけど。あの時はひどく弱ってたからな。相当強いダメージを受けていたみたいだ」
レヴィゼの仕掛けた鳥かごからかろうじて逃げた妖精は、心身ともに傷付いていた。
一時は危険な状態だったが、あの後で仲間の魔法使いに引き渡し、時間をかけて治療したことでようやく元気になった。
捜せば、あの川の近辺にいるかも知れない。
「よかった。それじゃあ、あたしがあの部屋で見た妖精達も、みんな元気にしてるのかしら」
「あの妖精達はケガをしていた訳じゃないから、大丈夫だよ。あっちの世界でシャルアに泣きつかれてた時、視線を感じたけど睨むとかそういうものじゃなかったから」
「……泣きつかれて、の部分はいらない」
「そう?」
赤くなりながらシャルアは反論し、ジェナスは笑っている。
確かに、ケイレディンがジェナスだとわかり、それまでの経過もあって感情が高ぶった。でも、あそこで笑える余裕なんてない。同じ状況の中で、それでも笑って再会を喜べる人がいるなら教えてほしい。
もっとも、冷静な自分も頭のどこかにいて、ちょっと泣き過ぎよねー、なんて思ったりもしたのだが。
「シャルアを抱き締めた時、一気に昔へ引き戻された気になったな。シャルアが村へ来て間がない頃、一緒に遊んでいても急に泣き出したりすることがあったろ。両親が亡くなったり、色んなことがあって、情緒不安定なんだなって思うけどさ。あの頃はどうしたらいいんだって、かなり焦ってたんだぞ」
「そうなの? いつも手慣れた感じで慰めてくれてたじゃない」
どこでどんなきっかけがあったのか。ふと淋しくなったり怖くなったりして、シャルアはジェナスの前でいきなりぐずぐず泣き出したことが何度かあった。不意打ちにも近い状態に、ジェナスも困っていただろうと、今なら思える。
その度に、ジェナスはシャルアを抱き締め、頭をぽんぽんと叩いて慰めてくれた。大丈夫、と言うように。
妖精界でもそうしてくれたことで、ここにいるのは間違いなくジェナスだ、と認識できたのだ。
ジェナスの姿を見て勢いで抱きついたものの、冷静な部分で「もし偽者だったら」という恐怖が頭をよぎった。文字通り、完全に相手の手の内に入ってしまっている。
だが、その仕種でシャルアは安心できたのだ。ジェナスの手は子どもの頃だけでなく、成長してもシャルアを救ってくれた。
シャルアにとっては、神の手だ。
「それしか思い浮かばなかったからな。だけど、あの頃から変わってないよ、シャルアは」
「どうせまだ子どもよ」
ジェナスばっかりたくましくなって、大人になって、ステキになっちゃって。
目鼻の配置は変わっていない。だから、間違いなく彼だとわかる。それなのに、今は完全に大人の男性だ。五年の歳月というのは、ここまで人を変えるものなのか。
「まさか。シャルアは変わってない。でも、すごくきれいになった。ガルマックの屋敷で初めて会った時、驚いたんだから」
「ほんと?」
「どうして再会が今なんだよって、うらめしかった。懐かしいってことも、会えてうれしいってことも、きれいになったってことも、何一つ言えないんだから」
あの日はちょうど、クノンからプレゼントをもらっていた。
薄いピンクのかわいいブラウスで、サイズが合うか試着してそのまま外へ出たのだ。クノンは同じ色のリボンと口紅までくれて、普段よりずっときれいな状態だった。
シャルアはジェナスの存在がわからないままの再会ではあったが、後からこうして事情を知り、かわいい自分を見せられてよかった、と改めてクノンに感謝する。
「小さい時からシャルアはきゃしゃだったけど、その辺りは変わらないな」
「苦労してるもん」
冗談めかして言う。
「それより、もう少し背が伸びないかな。ジェナスが街へ向かった時より、ほんのちょっと伸びた程度だもん。ジェナスはすごく伸びたわね。並ぶと、昔より身長差があるような気もするけど」
元々長身だったジェナス。会わない間にさらに伸びた。ジェナスの姿ならいいが、ケイレディンの時は見慣れない姿のためか、圧迫感があったくらいだ。
シャルアは……あの頃より少し背伸びしたくらいしか伸びてない。
「何か問題でもある?」
「ないけど……」
改めてそう尋ねられたら、そう答えるしかない。実際のところ、問題なんて思いつかなかった。立って並ぶと、少し顔が遠い、というくらい。
「そうだ、シャルアに聞こうと思ってたんだ。屋敷で俺がケイレディンとしてシャルアと話してた時だけど」
「えーと、捕まってた時じゃないわよね?」
「その前になるかな。俺がレヴィゼは女たらしだって言った時」
「あーあ、あたしがレヴィゼと話した後で、あいつに近付くなって言った時ね」
事情を聞いて、今ならシャルアもあの時のケイレディンが「レヴィゼに近付くな」と言った理由がわかる。
まさか「あいつは事件の容疑者だ」と率直に言うこともできないから、女たらしだから危険だ、という言い方をしていたのだ、と。
「手玉に取られるぞって俺が言ったら、大きな声ではっきり言い返してただろ。大好きな人がいるって。あれ、誰のこと?」
「!」
シャルアの顔が一気に熱くなる。
うわ、そんなの、あり……?
シャルアはそんなことなど忘れていたが、言われてみればそんなことを言い放っていた。
ケイレディンが、田舎者だから簡単にたぶらかされる、みたいな言い方をしたので腹が立ち、大好きな人がいるからそんなことはありえない、ということを大きな声で……。
正体を知らなかったとは言え、そんなことを「当人」の前で言い放っていたのだ。
「あれだけはっきり断言されたら、気になるんだけど」
「わ……ジェナスって、いつからそんなに意地悪になったの」
「意地悪? どうして?」
「知らないっ」
わかっているくせに。ジェナスの気持ちがどうであれ、シャルアがジェナスのことを大好きだということは、昔から知っているくせに。
わざと聞かれて腹が立つやら、恥ずかしいやらで、シャルアはぷいっと横を向く。
その様子にくすくす笑っていたジェナスだが、真面目な口調で尋ねた。
「シャルア、俺が妖精界で言ったこと、覚えてる?」
「ジェナスが言ったこと……?」
あの世界へ行ってすぐは、頭がぼんやりしていた。眠る直前のような、意識レベルがかなり低い状態で、何か考えることさえもいやだったのだ。
そこへケイレディンが来て、シャルアに何度も呼びかけて。
「戻って来いとか、そういうことを何回か言ってくれてたわよね」
「んー、それも言ったけど、そこじゃなくてさ」
「何? あたし、あの時はぼんやりしすぎて、細かい部分は本当によく覚えてないの。言ってもらわないと、思い出せないわ」
わざとわからないフリをしたジェナスと違い、シャルアのあの時の記憶は本当にあいまいなのだ。
「俺もずっと会いたかったって言ったんだ」
「……」
そんなことを言われたような覚えが……ある。おかげで、意識がそれまでよりはっきりして。
「自分がケイレディンかジェナスか、あいまいな部分があったんだけどさ。あの時は早くシャルアを連れ戻さないとって焦ってたから、思ってることを言わないとって」
「……あの時、ケイレディンの姿がぼやけてた。気が付いたら、そこにジェナスがいて……。前にもそんなことがあったわ。魔物に傷付けられて、ジェナスが倒れた時。一瞬だったけど、ケイレディンの顔がぼやけて見えたの」
「そうか。たぶん、眠るのとは違う意識の失い方で、術に影響が出たんだろうな」
妖精界ではいつの間にかジェナス本人の姿に戻っていたが、ジェナス自身が魔法を解いたのではなく、自然に戻っていた。あの世界の空気が、魔法を無効化したのだろう。
だが、それは実にいいタイミングだった。戻った瞬間がいつだったのかは全く自覚していないが、シャルアを抱き締めた時に視界に入った自分の髪の色を見て、戻ったんだと認識できたのだ。
「本当に……そう思ってた? あたしに会いたいって」
会いたいと思ってくれていたことを、素直に喜べばいい。それはわかっている。
しかし、現実には五年もの月日が流れても、ジェナスは村へ帰って来なかった。一度も。
嘘か本当か、ネルバは年中無休で働いているのではないと話していたし、それならたとえ一日でも戻れたはずだ。
本当に、シャルアに会いたい、と思ってくれていたのなら。
「そう思ってくれてたって、帰って来なかったじゃない」
だから、何度も思った。ジェナスの隣にはシャルアではない女性がいるのでは、と。
そう思う度に泣いた。
「俺が村へ戻らなかったのは、戻れなかったんだ……怖くて」
「怖い?」
思いがけない言葉に、シャルアは首を傾げた。
「村へ帰ってシャルアに会って……そうしたらもうマラカへ戻れなくなるような気がした。もしくは、シャルアのじいちゃんやばあちゃんのことを考えずに、俺はシャルアを街へ連れて行こうとしてしまうんじゃないかって」
「ジェナス……」
ものすごいことを聞いている気がする。自分がずっと聞きたかった言葉に近付いているような。
「だから、シャルアがマラカの街へ来るってわかった時、嬉しいと言うよりはほっとした。解放感、かな。もう怖がらなくて済むって。それなのに、やっと会えるって時に仕事だろ。あの時はさすがに、ネルバを恨んだな」
「あの人の指示だったの」
寮の前で会った時、もちろんネルバはそんなことを言わなかった。
二人がようやく会える、ということをネルバは知らなかったのだろう。知っていたとしても、仕事は仕事だから指示は出されていただろうが、それでもシャルアに対してもっと違う言葉をかけていたに違いない。
彼はシャルアの記憶にあるような、ジェナスを連れて行く「悪い魔法使い」ではないのだから。
でも……そんな話を聞くと、やっぱりシャルアにとっては「悪い魔法使い」かも知れない。
「いつも一緒にいる子がいなくなるって、こういうことだったんだ。そう自覚した時、存在の大きさが身に染みたよ」
街へ来てからは、毎日が特訓だった。一日が終わる頃には、歩くこともままならないくらいに疲れている。それなりに体力はあるつもりだったが、教官や自分と同じ立場の訓練生はそれ以上。
部屋へ戻れば、ほとんど気絶するように眠る日々が続く。この先、ちゃんとついて行けるのか不安になったことも、一度や二度ではなかった。
そんな時、ふとジェナスの頭に浮かぶのは、泣き虫の少女の顔。街へ向かう前に見た、シャルアの涙だった。
涸れない泉のようにわき出る涙をぬぐいながら、それでもシャルアは「行くな」とは一言も言わない。思い上がりでなければ、行ってほしくない、と思っているはずなのに。
彼女は言わなかった。必死に自分の気持ちを抑えていたのだ。
両親は、ついて行けなければ戻って来ればいい、と言ってくれた。でも、あの日のシャルアの涙を思えば、それはできない。
小さな身体に自分の気持ちを押し込めて耐えていたのに、あっさり自分が逃げ帰ったりするのはあまりにも情けないこと。
あたしはがまんしたのに、ジェナスはできなかったの?
そんなことは言われたくない。今までずっと兄貴面していたくせに、みっともない姿を見せたくはない。
そう考えた時、なぜ自分はシャルアの涙にこだわるのだろう、と疑問に思った。しかし、深く考えるまでもない。
兄貴としてではなく、男として情けない姿を彼女の前でさらしたくないのだ。
離れてわかった。離れなければ……ずっとウットの村にいたら、どうなっていただろう。
そうして、自分の気持ちに気付いた途端、村へは帰れなくなった。
訓練についてゆけない、という弱音を吐くつもりはもうない。だが、訓練が一段落して休みがもらえても、帰れなかった。シャルアの顔を見たら、離れられないような気がして。
それは、仕事を始めてからも同じ。
そんな日々を乗り越え、ようやく二人はこうして並んで座っている。最高の解放感だ。
「ねぇ、ジェナス。あたし達、よく兄妹みたいってみんなに言われたわよね。髪の色がよく似てるからって」
「ああ、そうだな」
今のジェナスは、伸びた髪を軽く束ねている。シャルアの髪とよく似た、明るい茶色。
「でも、本当は兄妹じゃないわよね。あたしは……」
シャルアが言いかけたところに、ジェナスの声が重なる。
「ああ、兄妹じゃない」
その言葉と同時に、ジェナスの手がシャルアの肩に回された。シャルアが気付いた時には、ジェナスのくちびると触れている。
「あの日、再会した時からずっと……こうしたかったんだ」
いつの間にか閉じていた目を開けると、すぐそこにジェナスの顔があった。
その瞳は、濃い青色。
やっぱり、お空よりも濃い青だなぁ。
初めて見たあの日と変わらない色。
シャルアはその色を見て安心し、ジェナスの瞳に吸い込まれるのだった。





