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大好きなジェナス

 山から降りて来た山犬が、村の入口近くで数人の人間を襲う、という事件が起こった。平和な小さい村では、大きな事件である。

 恐らく、エサを求めているうちに群れからはぐれ、迷って人里へ入ってしまったのだろう。人の気配を感じてさっさと逃げていればよかったのだが、気付いたら鉢合わせ、という状態だったようだ。

 完全に混乱してしまった山犬は、目の前にいる人間達に飛びかかった。

 そこを、たまたま近くにいたジェナスが助けたのだ。

 幸い、この件でのけが人はなし。山犬もジェナスがうまく気絶させ、眠っている間に村人達が山の方へ戻しておいて、一件落着する。

 ジェナスが助けたのは、マラカの街から来た役人達だった。年に数回、農地や村民の調査に来る人達である。

 役人はいつもと同じ顔ぶれだったが、その時に限っては魔法使いが一人、同行していた。

 長身でややくせのある黒髪を束ね、厳しそうな表情をした五十代前半くらいであろう男性。彼は別の街に用があり、その途中にあるウットの村まで同行していたのだ。

 役所の中でも、上の地位にいるという魔法使い。彼はジェナスに、その身体能力を()かして街で働かないか、と誘った。

 山犬は魔物ではなかったし、いざとなれば魔法使いがうまく解決させられただろう。その前にジェナスがうまく立ち回って事なきを得た訳だが、訓練を受けた訳でもないのに無駄のないその動きが魔法使いの目にとまったのだ。

 魔法使いの言う仕事とは、要人の警護や機密文書を運ぶのが主となるもの。要人が暴漢に襲われたり、文書を奪われそうになった時、その力を発揮できる。ジェナスなら訓練を積めば、相当高い実力が備わるはずだ、と。

 一緒にいた役人達は、あの魔法使いに目をかけられるなんてすごいことだ、と口を揃えて言った。

 彼が見出した者はみんな、能力が高い。その彼が誘うくらいだから、ジェナスの能力が高いことは間違いないということ。

 そういった仕事をするようになれば、村で働くよりも断然収入がよくなるから、とマラカ行きを勧めた。あの人に認められて断るのはもったいない、と口々に言う。

 そうは言われても、ジェナスは最初乗り気ではなかった。

 人間に慣れていない山犬と武器を持った暴漢とでは、危険度が全然違う。畑仕事をしているから力はそれなりにあるがそれだけだから、と役人達が驚く程あっさりと断ったのだ。

 正直なところ、あまり手放しにほめられても、ジェナスとしては逆に「本当かな」と少しばかり疑いの気持ちも出てくる。

 顔見知りの役人が今更素朴な村の子どもを騙そうとしている、とは思っていないが、甘い言葉を全て鵜呑みにはできない。

 そういう点では、ジェナスはどこか冷めた部分があった。

 しかし、年齢に見合わずそんな冷静なところに、魔法使いはあきらめるどころか逆にますます惚れ込んだ。ジェナスのような性格の方が、自分を過信することなく職務を遂行できる、と。

 そうは言われても、ジェナス自身に村を離れる気はない。街へは何かの用事で行くだけで十分。

 だが、一緒に話を聞いていたジェナスの両親の方が、ジェナス本人より乗り気になる。せっかく街で仕事ができるならやればどうだ、と勧めたのだ。

 大事な一人息子を街へやるのは忍びないが、役人達も言うように生活はここにいるよりきっと安定するはず。

 最近は天候が不安定なことも多い。晴天が続きすぎたり、洪水の一歩手前まで雨が降り続くことがあり、右往左往させられる。損害が出るのは常。

 農業という自然相手の仕事は、自分でコントロールできない点が大変だ。街で働く方が、生活に不安を抱くことも少ないだろう。

 街で役所の仕事など、そうそうできるものではない。まして、偉い人を守ったりするとなれば、色々と能力を要求されることも多いはず。やりたいと思ってもできない人は、街にも大勢いるだろう。

 そんな中で、こうして勧めてもらえるということは、とても幸せなことだ。新しい仕事を探しに行く、というなら不安にもなるが、ジェナスの場合は推薦してもらえるのだから、と両親はその気のない息子を説得した。

 武術などの訓練はもちろんだが、同時に魔法もある程度までできればさらに心強い。ただし、それらを習得するためには少なくとも三年はみっちり訓練する必要がある。その間、村へ帰る時間はほとんどないだろう。

 魔法使いがそう告げた時、さすがに両親もわずかに戸惑った。三年も顔を見られないと淋しいし、ちゃんとやっていけているかと聞くこともできないので不安になる。

 それでも、こうして求められ、人様の役に立てるのならと、ジェナスに引き続きマラカ行きを勧めた。もし訓練について行けなくなれば、村へ帰って来ればいいから、と。

 魔法使いと両親の双方から口説かれ、色々と説明を受けるうちにジェナスも次第に心を動かされる。

 やがて、彼は街へ行くことを決意した。

 ジェナスのそんな決意は、当然ながらシャルアにとって嬉しいものではない。

 大好きなジェナスが、そばからいなくなってしまう。

 そう考えたら、世界が一気に崩壊してしまうような気がした。賛成か反対かと聞かれれれば、当然大反対である。

 ジェナスの姿が見えない、声が聞こえない、なんてシャルアにとってあってはならないことだ。声を大に、いや、最大にして反対である。

 しかし、絶対行くなと言い張る程に、シャルアはもう幼くない。言ったとしても、それは単なるわがままだ。自分の意見が通らないこともわかっている。

 これは、ジェナス本人が決めたことなのだ。シャルアが口を出していいことではない。

 別の街へ行く途中だった魔法使いは、用を済ませた後にまたウットの村へ寄ると言い、その時にジェナスは彼とマラカの街へ行くことが決まった。

 シャルアにできるのは、その日が永遠に来ないように、と心の底からひたすら強く祈るくらいだ。このまま時間が止まってくれれば、と。

 もしくは、何かのトラブルで今回の話はなかったことに……となってほしい。

 しかし、魔法使いは再び現れた。現れてしまった。祈りが天に届くことはないだろうと心のどこかでわかっていたが、それでもシャルアは天を恨む。

 どうしてこの魔法使いをここへ連れて来たのか、と。

 どれだけ天や魔法使いを恨んでも、シャルアの望まない方向へと話はどんどん進んでゆく。

 とうとう、ジェナスがマラカの街へ向かう、という日。

 覚悟を決めたシャルアは、笑顔で彼を送り出そうとしたが……大失敗した。ジェナスの顔を見た途端、涙が止まらなくなったのだ。

 反対こそしないが、余裕を持って見送れるような大人では、まだないから。

 そんなシャルアの頭を、ジェナスは軽く抱き寄せて言った。

「頻繁には無理でも、手紙を書くからさ。三年なんて、すぐだよ」

 泣いているシャルアの頭を軽くぽんぽんと叩き、なだめるのがジェナスのいつものやり方だった。そうすることで、シャルアは落ち着きを取り戻すのだ。小さい頃は、泣いているシャルアにいつもこうしてくれていた。

 ジェナスは今もあの頃のようにしてくれたが、この日はさすがに効果が薄い。むしろ、これが最後になるかも知れないと思ってしまい、シャルアは余計に悲しくなってくる。

 この時のシャルアには、ジェナスが何と言おうと三年という年月は永遠にも等しく思えた。最悪だと、死んで生まれ変わっても会えないのではないか、とさえ感じて。

 だが、やはり引き留めることはかなわない。泣きながら、小さくうなずくしかなかった。

 村を去って行くジェナスの後ろ姿なんて二度と見たくなかったが、こういうものに限って夢に出て来る。これが夢魔の仕業なら、あまりにも残酷だ。

 そんな夢を見る(たび)に、シャルアは枕に顔をうずめ、声を殺して泣いた。

 魔法使いが「みっちり」と言った通り、訓練は厳しいらしい。約束通りにジェナスは手紙をくれたが、シャルアが一ヶ月に二度三度と出しても、ジェナスの方は二、三ヶ月に一度が精一杯のようだ。

 その手紙も、あまり長くはない。訓練の内容は詳しくわからなかったが、大変なんだろう、ということだけは想像できた。

 だから、疲れさせたくない、気を遣わせたくない、とは思うが、淋しい気持ちはどうしたって消せない。

 半年が過ぎ、一年が過ぎても、ジェナスは村へ帰って来なかった。あの魔法使いが「村へ帰る時間はほとんどないだろう」とは言っていたが、そんな真実はほしくなかったのに。

 マラカの街からウットの村へは、大人の足でおよそ半日かかる。ジェナスなら身体を鍛えているのだし、一日休みがあればたとえわずかな時間でも顔を出し、街へ戻ることは可能なはずだ。馬という移動手段もある。

 なのに、それすらもしてくれないのは淋しい。

 訓練に疲れ切って、休みはひたすら身体を休めたいのだろう、とシャルアは自分に言い聞かせるしかなかった。

 そうこうするうちに、三年が経つ。シャルアには永遠にも感じられていた年月が、いつの間にかちゃんと流れたのだ。

 訓練の終わりの方では、実戦を兼ねて仕事をするようになった、という手紙が来たが、その中身についてはあまり触れられてなかった。彼の両親に来た手紙も、似たような内容だったらしい。

 守秘義務とやらがあって、関係者でなければ家族であっても話せない、ということが書かれていた。ちゃんと仕事ができるようになったんだな、と嬉しく思う反面、その仕事のことをちゃんと話してもらえない悲しさが胸に広がる。

 それに、仕事ができるようになったということは、村へはもう戻らないということ。ジェナスはこれからずっと、マラカの街で働くのだ。

 あの魔法使いと、彼の両親が望んだ通りに。

 ジェナスの就職は喜ばしいはずなのに、シャルアは複雑だ。

 結局、ジェナスはこの三年間、ウットの村へは一度も帰らなかった。

 シャルアがそれとなく手紙で「帰らないのか」と尋ねてみたが、数ヶ月後に来た返事にそのことは全く触れられていない。書き忘れたのか、帰るつもりがないからあえて書かなかったのか。

 もう村へ帰りたくないくらい、街って楽しいのかな。

 シャルアが六歳までしかいなかった、マラカの街。

 住んでいた頃はこれと言って何も思わず、村へ来てからのどかさというものを知り、実は街という所は賑やかな場所だったんだな、と思った。

 大人ではないが、もう子どもではないジェナスが見た街は、どう感じられるのだろう。村よりずっとたくさんの店があり、たくさんの物があり、たくさんの刺激があって、退屈はしないはず。

 そして、うんときれいに着飾った女性がたくさんいたはずだ。

 三年も会わず、十二歳という子どものシャルアしか記憶にないジェナス。彼の目には、その女性達はどう映っているのだろう。

 晴れたあの空よりも濃い青の瞳に、シャルアではない別の女性が映り込んでいるのだろうか。

 おさげ髪の泣き虫な女の子ではなく、化粧をしてドレスを着た、美しい大人の女性が。その女性は瞳に映るだけでなく、心の中に映っているかも知れない。

 自分の目で確認できないのがつらく、悔しかった。

 そんなことをもんもんと考えているうちに、さらに二年が経つ。

 訓練期間であるはずの三年をとうに過ぎ、その二年の間にもやっぱりジェナスは村へ戻って来なかった。

 仕事をするために街へ行き、就職が決まればその後も当然街に住むことになる。

 そんなことはわかっているし、何度も考えた。だが、本格的な仕事をする前に、顔を見せに帰って来てもよさそうなものだ。

 少なくとも、訓練が終われば一度は必ず戻って来る、と思っていたシャルアの落胆はとても大きい。言ってみれば、そのことだけを心の支えにしていたようなものだ。

 その頃には、手紙は半年に一度くらいの頻度になっていた。それでわかるのは、仕事は順調だが大変だ、ということくらいだ。

 結局、今までと変わらない。手紙の来る回数が減った分、むしろ悪くなったと言える。

 その間に、シャルアの環境にも変化があった。

 引き取ってもらい、それからずっと一緒に暮らしていた祖父母が続けて亡くなったのだ。

 父方の祖父母はとうに亡く、これまで顔を見たこともなかった。遠縁などを探せばいるかも知れないが、探す(すべ)がない。シャルアは天涯孤独になってしまったのだ。

 これからは、一人で畑を切り盛り。

 村の人達は何かあれば手伝ってくれるだろうし、一人でできなくはないだろうが、きっと大変だ。

 それに、シャルアはこの村で畑仕事をして一生を終わる気にはなれなかった。ジェナスがそばにいてくれれば話は別なのだが、現実問題として彼はここにいない。

 この五年間、何度会いに行きたいと思っただろう。いや、毎日思っていたから、一日に何度思ったか、と言うべきか。

 三年間はジェナスの気を散らしてはいけない、と懸命に自制した。後の二年は、祖父母の具合がいい悪いを繰り返していたため、ジェナスの顔を見に街へ行きたい、と言い出せなかったのだ。

 今は色々と状況が変わった。よくも悪くも、シャルアは自由になったのだ。これから先の生活について、真剣に考えなければならない。

 そうなると、シャルアの頭に浮かんだのは、マラカの街へ行く、ということだけだった。

 一人暮らしができる場所を探し、仕事も探さなければならない。

 口で言うのは簡単だが、大変だということはわかっている。街へ出たところで、特にこれといって何かできる技術がある訳でもない。目の前にある畑を耕している方が楽、という部分もあるだろう。

 しかし、シャルアに畑仕事を続ける、という選択肢は全くなかった。街へ行くのが当然のように思えたのだ。

 幸い、シャルアの意思を聞いた村長のジラムが、街での仕事を紹介してくれた。親戚の夫婦が食料雑貨の店を(いとな)んでいて、簡単な配達や店番をしてくれる人を探していたのだ。

 希望があれば住み込みも可能ということで、シャルアにとってはまさに渡りに舟。仕事と住む場所が一気に決まるのだから、断る理由はどこにもない。

 話が決まってすぐ、ジェナスにそのことを手紙に書いた。

 ジェナスはどう思うかしら。

 手紙を出してから、ふとそんなことを考えた。

 シャルアが街へ来る。遊びにではなく、住むために。仕事をするために。

 喜んでくれるだろうか。またそばにいることを、歓迎してくれるだろうか。

 もしシャルアの知らない女性がジェナスの隣にいて、二人で笑っていたら。シャルアの入る余地はもうなかったら。むしろ迷惑そうな顔をされたら。

 そう考えると、怖い。今までにも、そんなことは何度も、何十回も、何百回も考えた。追い払っても、またすぐに不安は生まれる。

 でも、自分が「行く」と決めたのだ。もう変えられない。

 その後、家や畑の処分等々の雑務ですぐに数日が過ぎた。

 明日はいよいよマラカの街へ向かう、という日。

 珍しく……いや、初めてすぐにジェナスが返事をくれた。いつもなら、出しても数ヶ月は音沙汰がないのに。今回は半月程で返事が来たことになる。

 驚いて、以前もらった手紙と勘違いしているんじゃないか、と思ったくらいだ。しかし、封は切られていないから、ちゃんと新たに届いた手紙に間違いない。

 それを確認して、改めてびっくりした。

 いつもよりいささか緊張しながら読むと、道中気を付けるように、ということと、ジェナスの仕事が休みの日にでも街を案内する、といった内容だ。

 ジェナスから来る手紙はいつも短いが、今回はいつも以上に短かった。シャルアと会えることが楽しみだ、といった文言は一切なし。ちょっと走り書き気味で文字が乱れている。

 それでも、ジェナスが気にかけてくれていることが感じられて嬉しい。きっとシャルアの出発に間に合うように書いたのだろう。

 少なくとも、シャルアが来てジェナスが迷惑に思っている、ということは、この手紙を見る限りでは考えられない。

 両親が亡くなってウットの村へ来てから、シャルアはマラカの街へは一度も行っていなかった。数えてみれば、あれからもう十一年も経つのだ。ずいぶん様子も変わっていることだろう。

 その街をジェナスが案内してくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。ジェナスと並んで歩けるなんて、考えるだけで幸せだ。

 幼い頃に住んでいたとは言え、記憶もあいまいだし、今となっては初めて行く場所のようなもの。不安はある。

 だが、このジェナスの手紙で、その不安も一気に吹き飛んだ。

 やっと……やっとジェナスに会える。

 シャルアがウットの村ですごす最後の夜は、緊張ではなく嬉しさで眠れずに過ぎた。

 次の日、シャルアはその手紙を抱き締め、世話になった村人達に見送られてマラカの街へと向かったのだった。

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