事件の真相とジェナス
ぼんやりしたまま、彼を見ていたシャルア。
そのケイレディンの姿が、一瞬ぼやけた。
煙がほんのわずか彼の姿を隠し、また現れたような、どこか妙な感覚。
あれ? 前にもこんなことがあったような気がする。
そう考えて、森でケイレディンが倒れた時と、その日の夜に見た夢だったと思い出した。
あれらの時と同じように、ケイレディンの姿がぼやけたのだ。森の中も夢も歪んだのは顔だけだったが、今は全体像が歪んで見え、でもすぐに元の状態に戻って。
夢ではジェナスが出て来たけど、ここではそんなことにならないわよね。それとも、これもやっぱり夢なのかしら。……そうかも。頭がぼんやりしてるし、うまく考えられないんだもん。夢だとわかる夢、かな。だから、出て来るのはジェナスじゃないんだわ。
「シャルアが戻りたいと思わなきゃ、戻れないんだ。頼む、思い出してくれ」
ケイレディンは、魔物からあたしを守ってくれた。悪い魔法使いをやっつけてくれた。これだけだと、まるで物語のお姫様が騎士に助けてもらったみたい。……どうして? 今、頼むって言ったわよね。どうしてケイレディンがあたしに頼むの? 何を?
「どう……して?」
やっと出したシャルアの声は、少しかすれていた。しかし、自分から行動を起こした、という大きな一歩だ。さっきよりさらに、頭のもやが晴れた。
「シャルア?」
「どうして、ケイレディンは……あたしを助けてくれるの」
そうだ。ずっと疑問だった。
彼にはシャルアを助ける義理など、どこにもない。むしろ、消さなければ自分が危険になるはずの存在。
それなのに、魔物に囲まれた時に現れ、閉じ込められていた部屋に現れた。命の危険から救ってくれた。
そう、立ち位置は全くの逆なのに、ケイレディンはシャルアにとって命の恩人なのだ。
彼がそうする理由がわからない。
「どうしてって、大切だからに決まってるだろっ」
怒ったように言われた。
え、今のって……も、もしかして愛の告白?
意外すぎる言葉がケイレディンの口から飛び出し、そのおかげでシャルアの意識が完全にはっきりとなった。何度もまばたきを繰り返す。
「た、大切? あたしが?」
「当たり前だろ」
これ以上ないくらいに、ケイレディンは断言する。その意外すぎる言葉に、さっきまでとは別の意味で、シャルアは何も考えられなくなりそうだった。
確か、初対面では「どうも」の一言で、愛想のかけらもなかった。こちらにはまるで興味がない、とでも言いたげな顔をして。
その後、話しかけてきたと思ったら、田舎者は簡単に遊ばれるぞ、といったからかいとも小馬鹿にしてるとも取れる言葉。
面と向かって彼と話をしたのは、それくらいだ。
さっきも、リエルが取り返せばいいとレヴィゼに言えば、そうはさせないと言い切った。誰に聞かれても構わないような口調で。
もしケイレディンがシャルアのことを遠くから見ていたとしても、屋敷へ行った回数そのものが少ない。シャルアを見掛ける機会はほとんどなかったはず。
もし惚れられたにしても、そんなわずかな回数で「大切」と言えるものだろうか。もう少し別の言葉が出そうなものだ。
そもそも、レヴィゼに言っていた「因縁」とは何なのかも、シャルアには全く思い当たらない。
そう思いながらケイレディンを見ていたシャルアだが、また彼の姿がぼやける。
あたし、目の調子がよくないのかしら。
そんなことを思いながら目をこすり、もう一度見ると、ケイレディンとは違う男がそこにいた。
「え……」
いつの間に、どうやって入れ替わったのか。まばたきよりは長い時間でも、人間が入れ替わるにはとても短い時間だったのに。
「俺だって、ずっとシャルアに会いたかったんだ」
声が変わった。
ケイレディン程ではないが、記憶にあるより低い声。
夢で見たより、ずっと精悍な顔つき。
自分と同じ、明るい茶色の髪。並んでいると兄妹みたいだ、とよく言われた。その髪は最後に見たよりも伸びて、胸元まである。それを一つに束ねて。
そして、ケイレディンと同じ、濃い青の瞳。
空よりもずっと濃い青。シャルアが無意識に惹き付けられる色。
でも、そこにいるのは、ケイレディンじゃない。
「ジェナス!」
「シャルア、戻って来いっ」
その言葉でシャルアは立ち上がり、そちらへ走り出していた。
彼には超えられなかった見えない一線をあっさりと越え、シャルアは手を広げたジェナスの胸へ飛び込む。戻って来た少女を、ジェナスはしっかりと抱き締めた。
「本当……? 本当に……ジェナスなの?」
飛び込んだものの、本当にこれがジェナスなのか、急に不安になる。
ケイレディンは魔法使いだから、どうとでもできるはずだ。いや、これが本当にケイレディンなのかすらも怪しい。これが罠なら、あまりにも簡単にかかってしまったことになる。
もしくは、夢の続きを見ているのか。
「ああ。そうだよ、シャルア」
シャルアを抱き締める手に力が入る。夢にしては、妙にはっきりした感触。
その力が、ふっと抜けた。
「よくがんばったな」
大きな手が、シャルアの頭をぽんぽんと軽く叩く。その仕種は、シャルアを一気に幼い日へ戻した。
泣きじゃくる少女の頭を、軽く叩いてなだめる少年。
シャルアの大好きなジェナスが、よくしてくれた仕種。そうされることで、気持ちが穏やかになった。
触れているのは、あの日と変わらない手だ。
他の人にこんな仕種をされたことはない。だが、シャルアは目を閉じていても、その仕種をしたのがジェナスか他の人か、当てられる自信がある。
そして、これは間違いなくジェナスだ。
他の誰でもない、シャルアの大好きな人。
「ジェナス……」
安堵のため息が、シャルアの口から知らずもれた。
「あたし、ずっと……ずっとジェナスに会いたくて……」
後は言葉にならない。色々な感情が一気にあふれ、その感情は涙となってさらに言葉を途切れさせた。
「俺もだよ、シャルア」
またぽんぽんと叩かれる。
ジェナスが街へ向かう日。こうして同じようにされた時は、もう二度とこんな日は来ない気がして悲しかった。どうしても涙が止まらなかった。
今もまた、涙が止まらない。でも、悲しくはなかった。
夢なら覚めないで。ずっとこうしていたい。もう二度とジェナスと離れたくないから。今離れたら、今度こそ永遠に会えない気がするから。もう会えなくなるのはいや。お願いだから、誰もあたしからジェナスを取らないで。
「ねぇ、いつまでそうしてるの?」
いつの間にか二人は、シャルアと妖精が閉じ込められていた部屋へ戻っていた。その中央で、二人が抱き合っている。
そこにはリエルだけでなく、魔警課の魔法使い達も数人いて、部屋の中を調査していた。
「もうちょい」
ジェナスがこそっと言い、リエルにウインクした。
☆☆☆
あんな目まぐるしい一日は、二度とごめんだ。
こう考えるのは、もう何度目になるのか。
ガルマック邸での事件から数日が過ぎて、ようやく落ち着いた昼下がり。
不思議な体験、してたんだなぁ……。いまだに信じられないわ。
シャルアは川べりに座り、ゆったり流れる川の水をぼんやりと眺めていた。
あの日の夜。
ケイレディン達がシャルアと妖精が軟禁されていた部屋へ踏み込み、その後でシャルアは妖精界へと連れて行かれかけた。
妖精は、自分の気に入った人間を妖精界へ連れて行くことがある。今回は気に入ったと言うよりは、自分達を助けようとしてくれたシャルアを「安全な場所」へ連れて行こうとした、という意味合いが強いようだ。
シャルアが連れて行かれかけていると気付いたケイレディン、もといジェナスが後を追い、何とか無事に連れ帰った。
ほとんどぼんやりしていたシャルアに時間の感覚はなかったが、妖精界の入口に二人でいた時間はかなり長かったらしい。
さらに、戻ってからもシャルアの気が高ぶりすぎてしまい、本来の姿に戻ったジェナスはシャルアが離してくれないので動くのもままならない状態だった。
妖精界から二人が戻った時点ですでに深夜だったため、その日は役所の仮眠室でシャルアは休まされる。神経が興奮してとても眠れそうになかったが、身体はかなり疲れていたらしく、横になるとすぐに眠ってしまった。
朝になり、そこでようやく状況を説明される。
ジェナスが仕事で不在になった、というのは妖精消失事件を調べるためだったのだ。シャルアががっつりと関わってしまった、この事件である。
それまでにも多くの調査がなされ、レヴィゼが怪しい、と魔警課は目星をつけていた。しかし、なかなかしっぽが掴めない。
そこで、ジェナスが潜入することになった。
ソブには事情を話し、本人の承諾をもらって彼に催眠をかけ、ジェナスは庭師の助手として屋敷へ潜り込んだ。協力を得ているのに催眠をかけたのは、酔った時などの勢いで捜査状況などが彼の口からもれないようにするためだ。
それに、ソブは訓練など受けていない一般人なので、どこでぎこちない仕種や表情が出るかわからない。そこからターゲットであるレヴィゼにバレないようにする、という目的もあったのだ。
ジェナスは多くの武術の他に、魔法の訓練も受けた。その中に、姿変えがある。
彼はその術を使って、ケイレディンという架空の人物になった。本来の姿では、どこで顔が知られているかわからないためだ。
顔立ちや髪はもちろん、声も変えられる。全くの別人になれるのだ。知り合いに会っても、まずばれることはない。
ただし、身長と瞳の色だけは変えられない、という弱点がある。シャルアが「ジェナスと同じ色の瞳」と思うのも、本人だから当然。
しかし、顔の骨格があまりにも違ったため、シャルアも別人だと思い込んだのである。そんな魔法が存在することも知らないのだから、なおさらジェナスだとは思い至らない。
彼女がわからないくらいだから、ジェナスの術は大成功と言えるだろう。
別人になりきっていたとは言え、ガルマックの屋敷へシャルアが来た時は、ジェナスも驚いた。名前を聞くまでもなく、その姿を見てすぐに誰かわかる。
しかし、ここで正体をばらす訳にはいかない。相手が誰かわかっている分、ジェナスはシャルアより何倍ももどかしい思いをしていたのだ。
元の姿に戻って話せば済むのだが、この魔法は使う時に精神力を要する。だから、あまり頻繁にできないし、敏感な人間は魔法の気配に気付いてしまう。
レヴィゼに気付かれることだけは絶対に避けたかったから、そのままでいるしかなかったのだ。
ちなみに、布で顔を隠すという原始的な方法をとったのも、そういった事情があった。妖精捜索中に無関係の人間に見られたくないし、余計な魔法を使わないようにしようと思ったら、これが一番楽だったのだ。
ケイレディンの姿でシャルアに事情を話す、という選択肢もあったが、それで彼女がどこまで信用しただろう。変に思われてしまうだけならともかく、周囲に話されるのは困る。
だったら、完全に見知らぬ他人のままの方がよさそうだ、と判断した。
ケイレディンのままとは言っても、あまり近付いてどんなきっかけでばれてしまうかわからない。元々が無愛想な男という設定で入り込んでいるため、この姿でシャルアと仲よく話したりしているところを他の誰かに見られたりしたら、それはそれで怪しまれてしまう。
好きな女には愛想のいい男、という設定にしてもよかったのだろうが、一度決めたことを変えるとどこでボロが出るかわからない。わずかな危険も排除しておきたかった。
だが、ジェナスはどうしても黙っていられない場面を見てしまう。
よりによって、シャルアがレヴィゼと話していたのだ。
シャルアが森で「どうにか逃げ出した妖精を介抱している」ジェナス(ケイレディンの後ろ姿)を見て誤解し、役所に通報したことはすでに聞いていた。
レヴィゼも魔警課が動き出していることに薄々気付いているらしい、ということもすでにわかっている。
話の中身が何であれ、シャルアがレヴィゼに近付くことは阻止したかった。
彼に近付くことで、どんな危険が待っているか。レヴィゼの過去の素行を調べたジェナスは、気が気でなかった。
他にいくらでも言い様はあっただろう。シャルアを怒らせよう、と思った訳でもない。
だが、ジェナスはあんな言い方しかできなかった。状況を見て、焦ってしまった部分もある。とにかく、シャルアがレヴィゼに近付きさえしなければいい。
この時シャルアがした話を聞いて、レヴィゼが「魔警課とは別に賊がいる」と思ったのは、よかったのか悪かったのか微妙なところだ。





