妖精の世界とケイレディン
「あいつ、目の前の敵ばっかり見て、大切な商品が逃げたことにも気付いてないみたい。自分の感情にああも簡単に流されるようじゃ、ダメね」
火の魔法を使い続けるレヴィゼを見て、リエルが辛辣に批評する。
「ケイレディンはどうして平気なの」
「そりゃ、防御したからに決まってるでしょ。ほら、立ちなさい」
さっきよりは小さいが、レヴィゼが火の球を続けてケイレディンに向けている。しかし、それらは全てケイレディンが防御するので、彼には傷一つ付かない。
シャルアには見えないが、ケイレディンの前に火の球を弾く壁みたいなものがあるようだ。
「外へ行くわよ」
「あの、あたしはここから出られないわ」
「何言ってるのよ。死にたいの?」
「死にたくないわ。だけど……あたしが逃げたら、街にいるあたしの知り合いのみんながレヴィゼに何をされるか……」
妖精を閉じ込める結界は消えても、シャルアを閉じ込める呪いの言葉はまだ生きている。ジェナスが戻って来てレヴィゼを捕まえてくれない限り、シャルアはこの部屋から出られない。
「その前に流れ弾に当たって、先にあなたが死ぬわよ。ほら、ぐずぐず言ってないで、さっさと来なさい」
有無を言わせず、リエルはシャルアを引っ張って行く。
「小娘、どこへ行くつもりだっ」
リエルに連れられ、窓からシャルアがバルコニーへ出ようとしたのを見付け、レヴィゼが怒鳴った。シャルアはまた身体を震わせる。
それまでずっとケイレディンに集中砲火を浴びせていたが、ふと視界の端に動いたものに気付いたらしい。
「お前が……お前のせいで妖精が」
シャルアに意識が向いたことで、妖精達が部屋にいないことにレヴィゼは気付く。だが、気付くのがあまりにも遅すぎた。妖精はもう影さえ見えない。
結界が破られたことで、部屋の中で自由になっていた妖精達は開いていた窓から逃げた。それは、シャルアが妖精を昼間のうちに鳥かごから出して、自由にしたからだ。
たとえ賊の力で結界がなくなろうと、鳥かごにさえ入っていれば妖精がこの部屋から逃げることはなかったのに。
「かごから妖精を出したのは、こうするためだったのだな。お前もこいつらとグルだったのかっ」
「えええっ?」
意外な因縁のつけられ方に、シャルアは心底驚いた。
「どうしてそうなっちゃうのよ。あたしは善良な食料雑貨店で働く、ごくごく普通の店員よ。何も悪いことなんてしてないわっ」
何をどうしたら、ケイレディン達の仲間になるのだ。本当に仲間だったら、レヴィゼにケイレディンのことを告げ口したりしない。
妖精が逃げたのは、偶然の積み重ね。あくまでも状況の流れだ。どこにもシャルアの計画など、存在しない。
レヴィゼの言いがかりを聞き、ケイレディンはあきれたような表情を浮かべている。リエルにいたっては、ぷっと吹き出した。
「何を言い出すかと思えば。お前、興奮しすぎだ。冷静な判断が、完全にできなくなってるんじゃないのか」
「何だとっ」
「あのねぇ、魔法も使えない子を仲間にするなんて、私達はそんな冒険なんてしないわ。余計なことをしでかされて、こっちも色々と迷惑してるんだから」
きっぱり「迷惑」と言われ、シャルアはちょっと落ち込む。
相反する立場だし、いわば敵みたいな側からの言葉など気にすることはないはずなのだが、やっぱり傷付いた。
ケイレディンだってことを知らなかったとは言え、レヴィゼに彼のことを話しちゃったし、あたしをかばったために魔物に襲われてケガするし。確かにあたし、ろくなことしてないよね。そりゃ、迷惑だって言われるわ。
あ……そうだ、役所にもケイレディンのことを言ってるんだった。それ、知ってるのかな。名前までは言ってないし、役所の人は信用してないみたいだったけど。このことを知ったら……やっぱり怒るかしら。
レヴィゼにすれば、リエルと二人で逃げようとしているところを見れば、仲間だと思えるだろう。
違うのなら、シャルアは放っておいて、二人がかりでレヴィゼを攻撃しそうなものだ。笑いながら仲間ではないと言われても、信用できない。
「ここにいられちゃ、ちょっと邪魔なの。だから、連れて行くだけよ。見なさいよ、この部屋。あんたが調子に乗って火を投げ続けるから、あちこち焦げだらけじゃない。私達は人間を傷付ける気なんてないの。この子が生きたまま焦げたりしたら、うるさいしね」
確かにやけど状態になれば、痛みで騒ぐだろうが……撤退させる理由が何とも変わっている。もちろん、どこまでが真実か、シャルアには想像もできない。
「拘束するつもりはないわ。手に入れるものを入れたら、すぐに解放してあげる。そんなにこの子が欲しければ、その後自分で取り返すなりしてちょうだい」
「と言っても、俺がそうはさせないがな」
え、どうして?
間髪を容れずに付け加えたケイレディンの言葉に、シャルアはどきっとする。
聞きようによっては、ケイレディンがレヴィゼの手から守る、と言っているようにも取れるではないか。
「やはり仲間か」
「お前もしつこいな。仲間じゃない。ただ、シャルアとはちょっとばかり因縁があるもんでね」
あたし、昨日以外にケイレディンに何かしたぁ?
ケイレディンの言葉に、シャルアはひたすら驚くばかりだ。頭の中で「?」が無数に飛び交う。
昨日は少なからず迷惑をかけたのは自覚しているが、あんな言われ方をするような因縁なんてまるで思い浮かばない。
今、この場を数に入れたとしても、ケイレディンと会ったのはたった四回だというのに。
「ふんっ、くだらん言い訳を」
ぎっとレヴィゼがケイレディンを睨む。その直後、レヴィゼの隣に狼のような獣が現れた。
獣の体高は、長身のレヴィゼとほとんど変わらない。顔だけでも、シャルアの半分くらいはゆうにある。しかも、口からのぞく牙は、普通の狼より明らかに太く長く伸びていた。目の赤い輝きが不気味だ。
「昨日は全滅させたようだが、こいつはそう簡単にいかんぞ」
その言い方で、シャルアはそこにいる狼がレヴィゼの呼び出した魔物だと知った。
一匹しかいないが、大きさは桁違いだ。昨日のいたちもどきの魔物より、何倍も攻撃力は高いに違いない。噛まれたりすれば、場所によっては即死だ。そうでなくても、大ケガは免れない。
「お前さぁ、いくら部屋が大きいからって、そんなに大きな奴を呼び出すなよ」
ケイレディンは心底あきれた口調だ。その声に恐怖心は全くない。
「図体ばっかりね」
リエルの言葉は、レヴィゼには届かなかったらしい。
「今頃怖じ気付いても遅いぞ。食いちぎられるがいい」
ケイレディンの言葉は、強がりだと思ったらしい。
レヴィゼが手を振ると、それが合図とばかりに狼の魔物がケイレディンへ向かって突進した。
魔物へ向けて、ケイレディンが光を放つ。人間の頭程もある白い光の球だ。
その光が、魔物の顔を直撃する。
大きさだけなら狼の身体の方がずっと大きいのに、光が当たった場所から狼は先へ進めなくなった。それどころか光の球の勢いは衰えず、ついには来た方向へその大きな身体が飛ばされる。
そこには、ケイレディンを襲うように指示したレヴィゼが立っていた。
「うわああっ」
光に飛ばされた魔物にぶつかり、レヴィゼは魔物と一緒に戸口から飛び出して廊下の壁にぶち当たった。壁を突き破るまでの力はなかったので、レヴィゼの身体はそのままずるずると床に落ちる。
魔物の姿は消えたが、人間のレヴィゼはもちろん消えない。だが、今の衝撃で意識は別の世界へ消えたようだ。かなり大きな音がしたから、骨折してるかも知れない。
「見付けるまで時間がかかった割に、最後はあっけなかったな」
「裏でこそこそするしか能のない奴なのよ。実戦では大した力量なし」
レヴィゼの様子を見るため、ケイレディンが戸口へ向かった。その後をリエルも続く。
シャルアは呆然としたまま、その光景を見ていた。
あんなに大きな狼の魔物、狼の顔の半分以下しかない光の球一発で……やっつけちゃった。
レヴィゼは飛ばされた魔物の巻き添えを食って気を失ったようだが、恐らくまともに勝負をしていても彼が勝つことはなかっただろう。
シャルアに魔法のことはよくわからないが、そう思える。
何度も火の球をケイレディンへ向け、しかし彼はそれらを全て防いだ。かすりもしないで。完全に見切っていたのだ。
一方で、ケイレディンが攻撃したのはたった一回。レヴィゼは自分自身に攻撃されたのではないにも関わらず、防ぎ切れなかった。この差はきっと大きい。
前に雇われていた所で主を襲った暴漢を叩きのめしたように話していたが、もしかするとかなり話が盛られているのでは、と今なら思える。
もしくは、相手が魔法使いではなかったので、最初からまともな勝負になってなかったか、だ。
「シャルア」
ふいに呼ばれ、シャルアは振り返った。そこには、さっき逃げたはずの妖精達がいる。
「みんな、無事だったのね」
リエルは「逃げた」と言った。この期に及んで彼女が嘘をつくとは思わないが、やはり実際に元気な妖精達の姿を見ると、本当にちゃんと安全な場所へ逃げていたんだ、とわかってほっとする。シャルアを心配して、戻って来てくれたらしい。
「今のうちよ、逃げましょう」
「え、あの、でも」
逃げた方がいいのだろうか。レヴィゼはケイレディンに倒されたから、たぶんノアラ達を傷付けることはもうできないだろう。
シャルアを束縛する悪者がいなくなったのはいいとして、まだ妖精達を利用しようとするケイレディン達がそこにいる。
だが、たった今、間違いなくシャルアを助けてくれた彼らは、本当に悪い人間なのだろうか。
レヴィゼはシャルアが言うことを聞くように、言葉でノアラ達を人質にした。ケイレディン達からは、そういった脅しを受けていない。
むしろ、危険な場所である森から離れるように言ってくれた。真意はともかく、シャルアを守ってくれたのだ。
「こっちよ。あなたも私達の世界へいらっしゃい」
「え?」
私達の……世界って?
妖精がシャルアの手を取り、気付くとシャルアの身体が宙に浮いている。
「あなたなら、私達の世界へ入れてあげる」
「どういうこと……」
目の前が白くなってゆく。全ての景色が消えてゆき、シャルアの意識もぼんやりとなってきた。
「あ、待て!」
遠くで声が聞こえた気がする。宙に浮かんだシャルアが、徐々に消えかけていることに気付いたケイレディンが怒鳴ったのだ。
「シャルアを連れて行くな。待てっ」
その場に残ったリエルは、妖精達とシャルア、そしてケイレディンの身体が宙へ消えて行くのをただ呆然と見ていた。
☆☆☆
森の中だ。
シャルアのぼんやりした頭でも、何となくそれだけはわかった。周囲に妖精がいるらしい、ということも。
ただ、自分がどういう状態であるのかは把握できない。する気にもなれなかった。
このまま眠ってしまいたい……。
眠いというのではない。ただ、何かを考えるのが面倒なのだ。
自分は今、座っているのか、横たわっているのか。
それさえも怪しい中で、シャルアの耳に妖精達の笑いさざめく声がこだまして聞こえた。
みんな、笑ってる。もう怖いことはないのね。……怖い? 何が怖いんだっけ? まぁ、いいや。何でもいいわ。笑うってことは、幸せってことだもん。
完全に深い霧の中でさまよっている気分だ。頭のなかにもやが立ちこめ、それを払う気にもなれないでいる。
「シャルア!」
名前を呼ばれ、シャルアは閉じかけていたまぶたをのろのろと開けた。
すぐそこに、見覚えのある男がいる。顔を知っているはずなのに、名前がすぐには浮かんでこない。
どうやら、その男がシャルアを呼んだようだ。
誰だっけ。あたし、この人のこと知ってるはずなのに。ああ、もう誰でもいいわ。……ケイ? ああ、そうだ、ケイレディンだわ。
ケイレディンは数歩と離れていない場所に立っていて、シャルアの名前を呼んでいる。
用事があるなら、もっとこっちへ来ればいいのに。
そんなことを思いながら、返事をすることさえおっくうで、シャルアはただ虚ろな目で彼を見ているだけだ。
「シャルア、ちゃんと目を開けるんだ。そのまま妖精界へ引き込まれたら、簡単には戻れないんだぞ」
妖精界って……何?
魔法使いなら知っているようなことも、シャルアには未知の単語でしかなかった。聞いただけで恐怖を覚えるような言葉でもない。そんな単語のことを考えようとする気力など、今のシャルアには一切なかった。
「シャルア、街へ戻るんだ。マラカの街へ。みんなが待ってるんだろ」
その言葉で、シャルアは少し頭がはっきりする。
そう……ノアラやワーグや、それにクノンが……きっと心配してるわよね。それに、ジェナスだって。いい加減、仕事からジェナスは戻って来たのかしら? ジェナス……ジェナスに迎えに来てほしい。あたし、わがままかな。だけど、あたしが一番会いたいのは、ジェナスなんだもん。
シャルアがぼんやり考えている間にも、ケイレディンは言葉をかけ、懸命にシャルアの覚醒をうながそうとしていた。
あれは……ケイレディンはあたしを助けようとしてくれてるの?
ケイレディンはその場でずっと声をかけ続けている。なぜか彼は、今いる場所からシャルアのいる場所へ来られないらしい。見えない一線が引かれていて、ケイレディンはそれに阻まれているような格好だ。
ほんのわずかな距離なのに。お互いがうんと手を伸ばせば、届く距離なのに。





