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紺碧の瞳  作者: 碧衣 奈美


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謎の行動

 少し出っ張った頬骨と艶のない砂色の髪の男は、ソブの助手として紹介され、先日もシャルアに失礼なことを並べたケイレディンに間違いない。

 まさかこの身体で戦ってたの? それとも、魔物にやられたからかしら。

 布を取る時に触れたケイレディンの顔は、とても熱かった。ひどい高熱だ。倒れたのはこの熱のせいらしい。

 しかし、いつからこの熱は出ていたのだろう。少なくとも、さっき腕を掴まれた時はこんなに熱いとは思わなかった。もちろん、冷静な状態ではなかったから、絶対そうだとは言えない。

 考えるのはひとまず後にして、シャルアはその布をケイレディンの傷口に巻いた。

 布が長いため、傷の周辺がこっけいな程にふくらんでしまったが……これはあくまでも応急処置だ。とにかく、血が止まりさえすればいい。

 それから、シャルアは自分のハンカチを取り出すと、すぐそばを流れる川の水にひたした。偶然とは言え、こんな近くに川があってくれてよかった、と思う。

 ハンカチをぬらし、戻ってケイレディンの顔に浮き出ている汗を拭き取ろうとした。

「え? 何?」

 一瞬、ケイレディンの顔全体がぼやけて見えた。目や鼻の形がぶれて、歪んだのだ。

「気のせい……かしら」

 ぼやけて見えたのは、ほんの一瞬。本当にわずかな時間だった。

 シャルアがまばたきして見直すと、確かにケイレディンの顔はそこにある。脂汗が浮かんでいるのも、さっきまでと同じ。

 魔物にやられた後遺症、みたいなもの? 傷付けられたりはしていないけど、あたしにも何かおかしな影響が出たのかしら。知らないうちに何かされてたとか。

 自分の身体が少し心配になりはしたが、改めてケイレディンの顔をじっと見ていても、さっきのような見え方はもうしなかった。

 このまま見詰めている訳にもいかないので、シャルアはケイレディンの汗をハンカチで拭き、彼の額に置いた。

 今のシャルアにできることは、ここまでだ。あとはどうすればいいだろう。

 森を出て、屋敷にいる誰かに助けを請うべきか。立入禁止の森へ勝手に入ったことを(とが)められるかも知れないが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 ただ、誰かに知らせることを、ケイレディンがいやがるかも知れない。知れない、ではなく、彼の立場からすれば絶対にいやがるだろう。

 もうフォローのしようもない。あの日、ぐったりしている妖精を握りしめていたのは、間違いなくこのケイレディンだ。妖精消失事件に少なからず関わっているであろう人間が、他人に所在を知られれば捕まってしまう。

 しかし、こうなってしまったことで、彼もどこか覚悟したのでは、とも考えられる。この場でシャルアに関わり、彼女を助けた後でその場をすみやかに去れなかったのは、彼の誤算だ。この誤算が原因で牢屋へ入ることになっても、それは彼の運命。

 だけど、どうしてケイレディンはあたしを助けてくれたのかしら。

 あの魔物がなぜ現れたかはともかく、彼も同じように襲われた。少なくとも、あの魔物はケイレディンが差し向けたものではない。

 それなら、あのまま放っておいても構わなかったはず。

 もしシャルアが目撃者とわかっていたのなら、魔物に襲われて彼女が死んだ方が、ケイレディンにとってもありがたいのではないのか。

 たとえわかっていなかったとしても、ケイレディンにシャルアを助ける義理はないのだ。たかだか二回顔を合わせただけの仲だし、こうやって顔を知られてしまえば、自分がどういう不利に(おちい)るかわからない。シャルアを助けることは、どう転んでもケイレディンにとってリスクが高すぎる。

 なぜなのか、どうするべきなのか。

 シャルアがあれこれ考えていると、またがさっと音がした。その音で、シャルアは飛び跳ねそうになる。ここでまた魔物が来たのだとしたら、もうどうしようもない。

 しかし、今度は魔物ではなかった。現れたのは、シャルアより少し年上であろう細身の少年だ。

 茶色がかった黒髪は(ゆる)く波打ち、肩につくかつかないかの長さ。きれいな緑色の瞳をしている。長身のケイレディンより少し低いくらいだろう。

 街でもガルマックの屋敷でも、見た覚えのない顔だ。しかし、彼の顔つきは、この前ケイレディンと一緒にいた少女とどこか重なる。

 不意に、もしかすると兄妹かも知れない、と思い付く。ケイレディンとつながりがあるなら、そういう関係も十分に考えられることだ。ケイレディンやあの少女と同じような黒系の服を着ているから、なおさらそう思ってしまう。

「おい、何があった」

 その場の光景に、少年がすぐ反応した。シャルアは立ち上がることもできず、ケイレディンと少年の顔を交互に見る。

「あ、あの……魔物にやられて」

「こいつがか?」

 その口調からして、やはり知り合いのようだ。すぐそばまで来て、様子を見る。少年が来ても、ケイレディンの意識は戻らない。

「いたちみたいな魔物に襲われて、彼が助けてくれたんだけど……あたしの代わりにケガしてしまって。その後、倒れてひどい熱が出たの」

「この腕、お前がやったの?」

 ケイレディンの覆面の布で巻かれた左腕を少年が指さし、シャルアは小さくうなずく。

「へたくそ」

 その言葉に、シャルアは一瞬何も言えなくなった。

「な、何よ。不器用で悪かったわねっ。包帯なんて、巻き慣れてないもん」

 いきなりこんな突っ込みが入るとは思わなかった。ケイレディンといい、この少年といい、いきなりなセリフが多すぎる。

 しかも、内容が失礼だ。いくらそう思っても、口にしなくてもよさそうなもの。下手なのは自覚しているが、そうはっきりと口に出されるとやっぱり傷付く。

 それに、本当の包帯ではなく長い布なのだし、医療従事者ではないのだからうまくやれ、と言う方が無茶だ。

「この巻物の下、まだ傷はあるのか」

「巻物って……ええ、出血はひどくなかったから、そんなに深くはないと思うけど」

 言いながら、シャルアはケイレディンの額に置いたハンカチを取り、彼の顔に浮かぶ汗を拭いた。

 あたしがケイレディンの覆面を取ったってわかりそうなものなのに、この人は何も言わない。気付いてない……はずないわよね。もしかして、ケイレディンが自分で見せたとでも思っているのかしら。んー、それはなさそうだけど。

 自分からあれこれ言って、己の首を絞めることはない。シャルアは覆面については黙っておいた。

「ったく、面倒な奴にやられやがって」

 少年は小さくため息をつく。

「彼はあたしをかばってくれたの。ねぇ、面倒なって言うなら、あなたはその魔物のこと、知ってるの?」

「ああ。こいつの状態とお前の話から考えて、今俺の頭に浮かんでる奴に間違いないだろ。雑魚だけど、毒を持ってる」

「毒?」

 驚いたシャルアは、ケイレディンの顔を見た。

「この様子なら、もう身体に毒はない。意識がなくなる直前に、かろうじて解毒だけはできたんだろ」

「あ、そう言えば、何か呪文のような言葉をつぶやいてたわ」

「呪文のような、じゃなく、呪文だ」

「あたし、魔法使いじゃないからわかんないのよっ」

 いちいち引っ掛かる少年だ。

 どうして彼らは、シャルアが言い返したくなるような言い方をするのだろう。まさに類友だ。

 しかし、これであの時ケイレディンが唱えていた魔法がわかった。彼もあの魔物が毒を持つとわかっていたから、解毒の魔法を使っていたのだ。

「あ、でも……遅かったかってつぶやいてたんだけど」

「自分の具合の悪さから、時間切れだって思ったんだろ」

 話を聞いても、すぐに次の疑問が出て来る。

「時間切れって何? どういうこと?」

 少年は面倒くさそうな表情をしていたが、説明してくれた。

「あいつらは、毒で獲物の動きを封じる。ま、そんなのは他の奴でもやるけどな。人間なら、毒を受けてもしばらくは動ける。もちろん、毒の量によっては、すぐに動けなくなる場合もあるけど」

 ケイレディンが攻撃を受けたのは、シャルアをかばった時の一度だけ。最終的にはこうして動けなくなっているが、魔法で魔物を一掃するだけの時間はあった。それが少年の言う「しばらく」なのだろう。

「時間内に解毒できればほぼダメージを受けなくて済むけど、時間が過ぎればしっかり解毒しても身体にダメージが残って動けなくなる。普通なら解毒すれば終わる話だけど、あいつらの毒はその辺りが厄介だ。身体の中に毒があった時間が長ければその分、動けなくなる時間が延びる。たぶん、こいつの場合は動いたから早く毒が回ったんだ。解毒はしたけど、時間切れで間に合わなかったから、ダメージが身体に現れた。一気に熱が上がって意識がなくなるってふうにな。制限時間やダメージの出方は、そいつの体力や環境にもよるから一概には言えない。とにかく、やられたら早く解毒するに越したことはないな」

 意識がもうろうとしてきたため、ケイレディンは時間切れを自覚して「解毒が遅かった」とつぶやいたのだ。

「ねぇ、あなたはケガを治せないの?」

 解毒をしてから、ケイレディンはもう一度呪文を唱えていた。話に聞いたことがあるが、傷を治せる魔法もあるらしい。たぶん、彼はそれをやろうとしていたのだ。

 しかし、途中で使えなくなってしまった。急な高熱のために意識が途切れ、力尽きたのだ。

「治せるぜ」

 やはりと言おうか、彼も魔法使いらしい。

「じゃあ」

 彼の魔法でケイレディンの傷を……と言おうとしたが、少年はシャルアの言葉を(さえぎ)った。

「自分のだけな」

「どういうこと?」

「治癒魔法は、自分だけを治すものと他人の傷も治せるものがある。俺は自分だけ。放っておいても、これだけ巻いてりゃ血も止まるだろ」

 この巻き方が、どこまで効果有りか知らない。しかし、止血の役割くらいは果たせているはず……と思いたかった。

 ケイレディンが意識を取り戻したら、この腕の状態をうっとうしいと思うだろう。少年と同じく、へたくそとか何とか言いそうだ。もしかすると、もっとひどいことを言われるのでは……。

「彼、あたしに森を出ろって」

 今頃になって気付く。

 ケイレディンはあの時、シャルアの名前を口にした。この前は呼びかけが「おい」だったし、シャルアもケイレディンの名前は呼んだがわざわざ二度目の自己紹介はしなかった。

 初対面の日の紹介を聞いていないからあんな呼びかけになったのかと思ったが、ちゃんと聞いてしっかり覚えていたのだ。

 しかし、今日この姿でシャルアの名前を出すことを、彼は危険だと思わなかったのだろうか。

 どうしてこの人はあたしの名前を知っているのかしら? と疑問を抱いたシャルアが、後々になって「あれはケイレディンではないか」と推測することは十分に考えられる。

 こうして意識を失えば、顔を見られるだろうということも。

「そうか。じゃ、早く出ろ」

 少年の言葉は、意外にもあっさりしていた。お前を帰すことはできなくなった、なんて流れになってもおかしくないのに。

「だけど……」

 このまま行っていいものだろうか。話を聞く限り、毒のダメージが消えれば熱も下がるようだが、今はまだ苦しそうな表情だ。助けてもらったのに、放っておくのも心苦しい。

「お前、わかってるんだろ」

 少年の言い方に、シャルアはぎくりとする。

 自分達が何をしているか、シャルアが何を知っているか。そのことによるお互いの関係。

 それらをひっくるめて、少年は尋ねているに違いない。

 そう考えた途端、シャルアは青ざめる。

 ケイレディンの具合がどうこうなんて、のんきに言っている時じゃなかった。彼が今まさに目を覚ませば、今度こそ自分の命が危険にさらされるかも知れない。

「こいつは、自分だけなら絶対にこんなヘマはしない。お前がいたからだ」

「……」

 体勢を崩したシャルアを、ケイレディンはかばった。あんな風に魔物を一掃できる力を持つ彼なら、何のミスもなく全てが終わっていただろう。

 魔法のことがわからないシャルアにだって、それは断言できる。彼は……すごい腕を持っている、と。

「自分を盾にしてまで、お前を助けたんだ。ったく、仕方ない奴だよな」

「え?」

 シャルアの予想とは違い、少年はやれやれと言いたげにため息をつく。

 お前のせいで仲間が……となるかと思ったのに。

「魔物の群れからお前を助けた。それがこいつの意思なんだろ。だったら、それまでだ。その点は、俺がどうこう言う話じゃない」

 ケイレディンの意思を尊重する、ということのようだ。シャルアが言える立場ではないが……それでいいのだろうか。

「でも、わかってるよな。自分がどうするべきか」

 今は見逃しても、余計なことを話せば今度こそ殺す。

 少年がそう言っていると解釈し、シャルアは小さくうなずいた。

「ほら、行けよ。また新手が来ても、俺はこいつみたいに守ってやらないぜ」

 少年に(うなが)され、シャルアは立ち上がった。

 さっさとしているつもりだが、自分が思う程に身体が早く動いてくれない。緊張状態が続き、関節のあちこちがかなり硬直しているようだ。

「あ、あの……助けてくれてありがとうって、言っておいて」

 お互いの関係がどうであれ、助けてもらったのだ。そこだけはちゃんとしておきたい。

「ああ、覚えてりゃな」

 それくらい伝えてよ、と言いたいところだが、少年の気が変わっても困る。それ以上、言うのはやめておいた。

 シャルアはその場を後にする。例の目印を手がかりに、急いで森を出た。

 ガルマックの屋敷の通用口を見て、身体中の力が抜ける。何とか無事に戻って来られたのだ。

 しかし、問題は何一つ解決していない。むしろ、増えた気がする。

 あたし、これから一体どうしたらいいんだろう……。

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