第二十五話 【全て世の幻《ファントム・リスカロン》】
龍人の血を摂取し、真祖化することによって魔の聖水を生成したアイリスだったが、能力の暴走によって俺の血を根こそぎ吸い付くそうと襲いかかってきた。
その動きは今までのアイリスから想像できない程に早く、抱きついた時の拘束にも力が込められており、振り解くことが難しい。
「ふふっ、レイボルト様の血、荒々しくって獰猛で……それでいてこの世ならざる風味もあり……とても美味です」
「それはどうも……だが吸いすぎは体に毒だぞ?」
「今まで全てを我慢してきたのです、毒だろうと構いません!」
「いやそういう意味では……ぐっ!」
アイリスの拘束が強くなり、俺の身体が悲鳴を上げる。アーノンの本気より力強いぞこれ!
「仕方ない……『絶凍』!」
俺の周囲全てが急激に温度が下がり、抱きついていたアイリスが凍り付いていく。強烈な寒気と冷凍により身体の動きが鈍ったアイリスから逃れ、更に拘束を重ね掛けしていく。
「『氷結牢』『絶凍鎖界』『光牢拘束柱』」
氷の牢で動きを止め、更に体を氷の鎖で縛り、光の牢で更に拘束を重ねる。パワー自慢で気性の荒いクイーンドラゴンですらこの多重結界にはなす術なく鎮静化させたことがある。
「あとはこのまま真祖化が終わるのを待つか」
中にいるアイリスを龍眼で視たところ、魔力は徐々に鎮静化しつつある。このまま放っておけば元の姿に戻るだろう。
結界を維持し続けるのは少し難があるが仕方ない。魔力消費も多いが、気を緩めて解放してしまい、血を吸いつくされでもしたらお陀仏だ。
「にしても何とか止められて良かった……」
「そうでしょうか?」
声が聞こえたのは背後からだった。
「なにっ……ぐぁ!?」
「いただきまぁすっ」
まるで何もなかったかのように背後にはアイリスが立っていて、妖艶な笑みを見せたあとに俺の体を闇の拘束魔法で縛りつける。それはさながら十字架に貼り付けられた受刑者の如く、吸血鬼の姫は舌舐めずりをしながら貼り付けの男に近づいていく。
「『全て世の幻』我が一族で真祖のみが使える固有能力です。本能に従い使いましたが……ああっ、真祖の遺伝子が疼いています……無駄口を叩かず、貴方様の血を吸いなさいと!」
それはおそらく幻術魔法の一種。
魔力看破に優れた龍眼ですら全く見抜けなかった。
事実、拘束してあるアイリスは未だに実態を保っており、龍眼もそこにアイリスの存在を認識している。
しかし、アイリスは背後に立ち、俺の肩に手を置いていた。
「教えてあげましょうか?この能力の正体を」
「頼むよ、気になったままじゃ死ぬに死ねないんでね」
なんとかしてアイリスの気をそらす。そして時間を稼ぎ隙を見て突破するしかない。
真祖化自体は時間制限があるはずで、そうでなければあそこまで急いで吸血したがらないだろう。
ただ今の状況はまな板の上に乗せられた魚とほぼ同じだ。だからこそアイリスも油断して話を始めたのだろう。
「『全て世の幻』は、究極の幻術魔法の一つ。あの拘束されている私は、貴方にとってのみ存在する幻惑。でも安心して?貴方の脳や体に何か魔法をかけたわけではないの」
『なんと、この世の理に干渉しておるのか。存在しない存在を、ある特定の人物にとっては存在するという事象を再現しておる。現実そのものに幻術を具現化させた……まさに原始の幻術と比類のない魔法じゃ」
原始の魔法と並ぶということは、少なくとも上級魔法程度じゃ太刀打ちできない。俺にとって存在する存在だが、術者であるアイリスにとっても、存在しないが俺に存在すると思わせる為の存在を創る必要があり、そこを遡れるような魔法を使えれば反撃の要素はあったのだが……今となっては遅すぎる。
「さすがよくご存じで。この博識な刀ですが、中身は真祖と同じ、もしくはそれ以上の時代に生きたのでは?だから過去の事について詳しい」
腰に下げた龍神刀を優しく撫でるアイリス。いいぞクリカラーン、もっと時間を稼ぐんだ。
「現実そのものを騙すためこの技を破る方法は存在しません。この世の次元に存在しない者なら別でしょうけれど」
「古の原始魔法と似てるな。書籍で見た魔法の中には理そのものに影響を与え、現象を無かったことにする魔法もある。真祖は原始魔法の仕組みを能力として会得してるということか」
「さすが知識が豊富ですね、見た目通り」
龍神刀とから手を離したアイリスは俺の目の前へと移動するとクルクルと回り始める。
「……金縛りか」
「御安心を。魔核や魂には影響しません。味が変わると勿体ないですからね」
俺の眼鏡を取り、それを机の上に置くアイリス。
完全に体が動かず、魔力を練り上げることもできない。これも真祖の能力なのか?これと同じ力を魔帝も使えるとなるとかなり強いぞ……というかこの現状自体がまずい。
密かに練り上げていた魔力も霧散してしまい、もはやこの展開を打開する術がない。
「では血を頂きますね」
再び俺の首筋に噛みつくアイリス。
その血の影響は異常で、みるみるうちにアイリスの魔力が膨れ上がっていく。先程は魔力が落ち着いて低下していたのだが、再び増大していく。
「ふふふ……アハハハ!!!これだけの力があれば……お父様ですら!!魔神も!!この国も!!」
目に見えるほど魔力を迸らせるアイリスに、真紅の魔力が絡みついていく。真っ赤な、血のような魔力。
だか、それは彼女が傷つき、溢れ出した血のような、痛々しさしか感じられないような魔力だった。
「……ぐっ……アイリス……例え、その力を使って魔神をどうにかしたとしても……お前自身が傷ついてたら意味ないんじゃ……ないのか」
「あはははは!!」
俺の言葉は彼女に届く事はない。
力に飲み込まれた彼女は、もう傷つきながら傷つける術しか知らなくなっていたのだ。
もう一度血を吸おうと、首筋に口をつけたアイリス。
これ以上は……ダメかもしれないな。
「ーーーそこまで、リストレイア姉様」
プスリ、と。
「あ………」
アイリスの首筋に銀色の針のようなものが突き刺さっていた。