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恋すれば鈍する

作者: 七詩

 夏休みの昼下がり。こんなくそ暑いときに冷房もないとこで運動するなんて頭イカれてる。そんなお口の悪い僕の感想に京太はそうだとは言わなかった。ただ、


「三年間やり通すって入部したんだから頑張れよ」


 と皮肉めいたことを口にした。


「はぁ、やめとけばよかった」


 小学生のとき兄に無理やり連れていかれ嫌々やっていた卓球を、まさか高校でも続けることになるなんて思わなかった。こうなったのも全部、幼馴染である、


「お前のせいだ」


「えっ? なんだって?」


「なんでもない」


 溜息をひとつつき、膝に顔を埋めた。暑いし疲れたし眠い。


 


 卓球部の休憩中。練習場所である武道場には、様々な音が混じりあう。馬鹿話する男子共と、おしゃべりに興じる女子たちの歓声。練習から解き放たれワイワイと卓球を楽しむお遊びの「ピンポン」の音。台から離されて置かれ、決してそちらを向くことのない扇風機のモーター音と風を切る音。色々な音が混じり合い、雑音となって僕の耳に届く。それはまるで心地いい入眠bgmのようで、眠気に襲われた今の僕には耐え難かった。





「おい、あれ見ろよ」


 京太はそう言って、ウトウトしていた、というかほとんど眠りについていた僕の肩をゆすってくる。僕は眠りを妨げられたのと諸々からくるイライラのせいで、少しだけ腹が立った。だから次の言葉がすこし冷めたものになったのをどうか許してほしい。


「なんだよ」


「ほら、あれ見ろ」


 京太は僕の気持ちには微塵も気付かなかったようだ。それもそうだろう。こいつは人の嫌とか憎いとか、そういう感覚に疎い人間だ。それは同時にそういう感情を持たないという事で、こいつを「良い人」たらしめている訳だけど。


 京太の指さす先には「ピンポン」に興じている先輩の姿があった。武道場の端っこに座る僕らからもよく見れる。


「先輩がどうかした?」


「疎いやつだな」


 そう言って、口を耳に近づける。耳打ちという事か。僕も意図を理解して頭を傾ける。京太の言葉は短かった。


「胸」


 驚いて京太を見ると、もう僕には関心なしで先輩の方を見ていた。僕も先輩の方を向く。


 卓球というスポーツは横の移動だけでなく、縦の移動も割とある。そのためある人がやると結構大胆に揺れる。京太はそれが言いたいのだろう。


 確かに先輩のそれは大きい。京太の変態的観測眼によるとそれはEカップらしい。加えてご尊顔も校内5本の指には入るほど整っている。先輩目当てでこの部に入る男子もいるほどに。まぁそれが僕の幼馴染であることは非常に恥ずかしいことだけど。




 そんな幼馴染に僕は一つ忠告をしてあげることにした。


「おい、京太。あんまり見るなよ。女子ってそういう視線には敏感なんだってさ。」


 しかし僕の忠告には聞く耳もたず、ものすごい眼力であちらを見ている。


「なにしてんの?」


「脳裏に焼き付けてる」


「ふんっ」


 まったく、くだらない。


「水飲んでくる」


「あぁ行ってこい。もったいないやつめ」


 どうしてここまで欲望に忠実でいられるのかねぇ。僕は立ち上がり京太の前をするりと抜けた。


 


 靴を履き替え外に出ると、眩しいくらいの太陽が顔を出した。風があるのが幸いだ。体を撫でて去っていく風を感じながら、くしゃみを我慢して歩き出す。


 我が校にはウォータークーラーが計4台設置されており、そのうち武道場から最も近いのは体育館横のものだ。放課後は体育館を使う部活のマネや、乾いた帰宅部生達で一杯になるが、夏休みに寄る変人はそういない。渡り廊下を歩いていくと案の定そこは空いていた。


 熱い体に冷え切った水の相性は抜群。ただの水がおいしい水に大変身だ。目一杯体内に取り込み、おおきな息をはいた。苦しい日々の中でも最高の瞬間だ。


 まだ時間は大丈夫だろうか? まぁいいや、ちょっと疲れた。


 僕はウォータークーラーの側にあるベンチに座った。体育館ではバスケ部のバウンド音と掛け声が響いている。向こうではテニス部が炎天下の中練習中だ。今日は風があるからまだいいけど、無風の日は地獄だろう。一応の対策につけた小さな帽子が可愛らしく思える。




 そんなことを考えていると、武道場の渡り廊下から誰かやってきた。ほんの一瞬京太かと思ったがその小柄な姿は明らかに違った。


「あっ!」


 遠くから姿を現したのは、まごうことなき例の先輩だったのだ。俯き加減でこちらに歩いてくる。おそらく水を飲みに来たのだろう。正面から見る先輩はやはり美人で、京太が虜になるのも分かるほど。長い黒髪は部活用にツインテールに結ばれ、白い肌は日焼けなど知らないようだ。その表情はどこか儚げ。不思議な印象を受ける。


 その時、先輩がこちらを向いた、気がした。僕はとっさに顔をあらぬ方に向け、すました顔をする。


 視界の隅で、先輩はそのままベンチの側まで来てウォータークーラーに顔を落とした。


 その行動とさっきの先輩の表情が頭をめぐり、僕は横を見ずにはいられなかった。ほんの一瞬だと決め、視線をめぐらせる。その瞬間、僕は思わず息をのんだ。


 


 


 顔を落とし、上がってくる水を口で受け止めている刹那の横顔。それはいままで見たどの女性よりも綺麗で儚く、物憂げで美しい、コケティッシュなものだった。


 


 


 はっとした。


 気付くと先輩が顔を上げこちらを見つめていたのだ。


 僕はとっさに目をそらす。


 先輩は静かに歩み寄り、同じベンチに一人分の間を開けて座った。


 


 ひたすらに恥ずかしい。まるで見とれていたみたいじゃないか。いや実際に見とれていた訳だけど、それにしても恥ずかしい。心臓が音をたてて顔に血を上げているのを感じ取れた。




 先輩はとなりに座ったものの口を開くことはなかった。当然、僕も何も言わなかった。でも先輩を意識しないなんてことはできず、かといってもう一度先輩を見る勇気もなく、僕はただ遠くを見つめることしかできなかった。


 1分はたっただろうか、いたたまれなくなって戻ろうとしたところで先輩は一言、


「そろそろ戻ろっか」


 と言った。


「ですね」


 声が小さくなったのは許してほしい。あまり自信のある方ではないのだ。


 立ち上がり武道場の方へ歩いていく後ろ姿を、僕は間抜けに見つめる。


 先を行く先輩に声をかけることはできなかった。





 武道場に戻るともう練習が再開していた。


 練習相手を無くした京太は、独りで黙々とサーブ練習をしている。


 小走りに向かい、「ごめん」と一言。


 京介はすぐに「どこいってたんだよ」と文句を言ってきた。


 何と言ったものか。少し迷って「ぼーっとしてた」と答えた。嘘は言っていない。


 京太は一瞬訝しんだようだったけどすぐに気を取り直した。ラケットを構えてスピンの効いたサーブを打ってきた。そのボールは思っていたよりも早く鋭く曲がって、油断していたわけではないけれど、驚いてうまく返すことができない。


 ポーンと上がったボールは彼方へ飛んでいき、取りに行く気力も湧かなかった。





 「片付けーー」


 16時。キャプテンの掛け声で練習の終了が知らされる。


 今日は一日顧問が来なかったおかげでゆるい練習だった。それなのに、やけに疲れた。こんな日はさっさと家に帰ってひと眠りしたい。


 ネットを片付け、台を京太と二人で運ぶ。この後はおのおので用具の手入れをして部室で着替えて帰ることになる。


 


「今日は早く帰ろう」


 ラケットの手入れをしている京太に声をかけた。最近は買い食いして帰ることが多いのだ。


 僕の片づけはもう済み、京太が終わるのを待っていた。片付けに時間がかかり、武道場に残っているのはもう数えるほどになっていた。


「おっけ、おわった」


 用具をバッグにしまい立ちあがる。出ていく途中に、座ってお友達とおしゃべりに興じる件の先輩とすれ違った。なんてことはない、普通の女の子だ。


 武道場を出ると太陽がこちらを照らしていた。日は傾いたとはいえ、まだ暑い。「あちー」といって歩き出す。すると京太は小さな声でぽつりとつぶやいた。


「先輩って彼氏とかいるのかな」


 僕は内心ドキッとしたけれど、態度には出さなかった。そして極力そっけなく、


「どうだろうね」と答えた。


「あー、やっぱりいるのかなー」


「そんなのわかんないよ。もしかしたら初恋もまだかも」


「いやーさすがにそれはないだろ」


 僕は肩をすくめるしかなかった。まぁとにかく、


「僕は応援するよ」


 京太は乾いた笑いを浮かべ、そしてこう言った。


「持つべきものはなんとやらだ」

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