三話
これは、アレンの、記憶────。
目の前には、この世の美を集約させた存在、隻眼の女神が君臨していた。
しかし、その女神はアレンの発言に困惑している。
『"霊薬"、ですか』
『お願い、します……妻を、救うために……』
『……なぜ、なぜあの様な女を未だに妻と言うのです。我が子よ』
『彼女は、ボクの元へ、帰ってきてくれた……もう、二度と帰ってこないと、思ってたのに……』
『───呆れました、愚かな私の子よ。貴方は只でさえ人間から"魔王"という人類と敵となってしまった……これ以上、母を苦しませないでください』
『……いいえ、いいえ!これは、ボクが命を掛けてでも救いたい人の為!!!そのためなら、ボク、は───』
そのアレンの決死に満ちた眼差しに女神は悲しそうな表情を見せながらも、仕方がなく頷いた。
『……わかりました。"霊薬"は"この世の最果て"にあるかと』
『"この世の最果て"?』
『しかし、そこへ辿り着くには、神であろうと至難の技。かつて、"霊薬"を手に入れようと試みた神々がいましたが……束になっても、それは困難を極め、そして死に絶えました』
『……お願いです、教えを』
『……"十二の世界神"───【十二神星】に会いなさい。そして、その世界神に力を示しなさい』
第一の世界神───小さな身体に反して轟々と様々な色の炎を纏う小さき鼠に似た妖精。その力、一度放たれれば世界を炎に包み込み焼き付くす。
第二の世界神───マグマを身体中から滾らせ、大地を生み出す巨大なる牛。一足踏めば、火山が噴火し、その咆哮で大地を揺るがす火山の化身。
第三の世界神───水を操り、水を駆ける、白き虎。全ての生き物はこの虎に逆らう事は許されぬ。その虎の逆鱗が触れる時、終焉の時、訪れる。
第四の世界神───風と共に疾走する翡翠の兎。神風を侍らせて世界に風を送る。その風は始まり力を秘めており、その風こそが生命の源と同時に人生の始まりの鐘を鳴らす。
第五の世界神───世界樹と共に眠りし世界中に根を張る龍。その龍こそ、世界の揺り篭となるべき星の母。龍は深い眠りに着く。目覚めの時は、世界の終焉の時なり。
第六の世界神───全てを凍てつくす氷の大蛇。その鱗、触れれば死滅。姿を見れば凍死する。世界中を、時空をも凍らせる大蛇は全てを停止させる神なり。
第七の世界神───その大馬、死した大地に命を吹き込む豊穣の化身なり。触れるだけで、空気を大地を、水を清める浄化をもたらす神獣である。
第八の世界神───黒雲の毛を身体に纏い、あらゆる場所に雷鳴を轟かせ稲妻を走らせる天の羊。その稲妻は大地に力を与える鼓動の光。
第九の世界神───静かに死をもたらす毒を操る賢者なる猿。その毒は死を与えるものではなく、薬にもなり生と死をも見通す眼力を有する。
第十の世界神───太陽の化身たる光の鳥。その鳥の輝きは地平線の彼方まで届きうる。一度その翼をはためかせると、天地が明るく輝く。
第十一の世界神──聖せいなる力に道溢れる狼。あらゆる因果や異能を喰らい、全てを切り伏せる全能なる大狼は数多の創造神でさえ畏れを抱かせる。
第十二の世界神──闇夜の姿を彷彿とさせるこの世の至高なる最強の武人である猪人。世界神の中で最強とされし、紳士的な振る舞いは女神をも惚れさせる存在。
これが【十二神星】。
創造神さえも畏れさせ、至高なる存在は神よりも高位なものだと理解できる。
アレンはそんな馬鹿げた相手に勝てるのか、と疑問に思ってしまうのは仕方がないことであった。
しかし、そんな事で諦める筈がない。
『その、【十二神星】を倒せば……』
『……幾ら強い私の子であれ、【十二神星】を倒す事は不可能。彼等にとって"死"は"新たなる進化"と同じ。倒し、殺せば殺す度により強く転生するのです』
『そんな、の……』
『アレン。私は【十二神星】に"力を示しなさい"と言いましたよ?』
『……なる、ほど』
漸く意味を理解したアレンはホッと胸を撫で下ろす。
しかし、力を示すだけでも困難を極める。
『"この世の最果て"……』
『そこに、ある人がいます。その者へ尋ねなさい』
『ある人、ですか?』
『……えぇ』
少し歯切れの悪い女神。
何故"この世の最果て"に只一人存在する者についてはあまり語りたくなさそうだ。しかし、今のアレンにはどうでもいい話。
『教えてくださいっ!【十二神星】は何処に───』
『【十二神星】は、あなた達が住まう星の何処か"この世の裂け目"に存在しています。私が出来るのは、【第一の世界神】の居場所だけはわかります。あとは……その【第一の世界神】に尋ねなさい』
『ありがとう、ございます───』
そして、アレンは【第一の世界神】の居場所である"この世の裂け目"へむかうのであった。
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『行きなさい、我が子よ……私の夫……あなたの父の元へ』
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これは、あの人の記憶……。
"霊薬"。
聞き覚えはあった。
あらゆる病をも治してしまう万病の古の秘薬。
ただそれは、あくまでお伽噺のみに登場するもの。
そんなものが、実際に、実在していたなんて……。
そしてなりより、その"霊薬"を私の為に……。
アレンは――――。
『憎い、憎い!!!』
これは夢だ。
しかし、夢だとわかっているのにその声は明確な私に殺気や殺意を向けられている。濁流の如く襲い掛かるそれは今すぐに逃げ出したい気持ちで一杯になってしまう。数多の怪物と戦いを繰り広げていた私でさえ、泣き叫んで死んでしまいたくなる。そんな中、私はこの声の主に聞き覚えがあった。
『お前が、お前が、愛しい我が子を殺した!許すものか!お前さえ裏切らなければ、あの子は、幸せだった筈なのに!!!』
ぁ……ぁぁ、ごめんなさい。私が、私が、アレンを殺してしまったんだ。こんな結果になってしまったのも、全て私が原因だ。許してほしい、なんて事は言わない。
ただ、償わせてほしい。
バラバラにされたアレンの身体を、取り戻したい。
これは、我儘だ。
自分勝手だ。
わかっている。わかっているが、それでも私は、私を許してくれたアレンを取り戻したい。
こんなどうしようもなく愚かな私の為に、看病してくれた彼を救いたい。
それだけで、ただそれだけ――――――――。
『ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな、ふざけるナ!!!許さない、絶対に、ユルサナイ……我が子を裏切り、そして人間共に売った売春婦ガッ!!!』
あの美しい女神は、憤怒に包まれていた。
この女神の正体はわからない。
何故、アレンを息子と呼ぶのかも全く不明だが妙な確信があった。紛れも無く、この女神もアレンの母なのだと。義母上とは違うが、紛れも無く母親なのだ。
だからこそ、私は許される訳がない。
死ぬべきだ。
あの時、あいつらの毒牙に掛かった時に自ら舌を噛み千切り自死すればこんな事にはならなかった。全ては私のせいだ。結局、あの時舌を噛み千切りらなかったのは自分可愛さ。己の事しか考えられない者の末路がこれなのだ。
アレンは私を最後の最期まで愛してくれた―――――いや、どうなのだろう。愛されていたと思いたい。泣きたくなるくらいに、そう願ってしまう愚かな私はその根拠を思い付く。そもそも愛してくれなければ、薬なんて作ってくれなかった。あんな顔をしてくれなかった筈だ。
――――――その、筈なんだ。
けど、もし――――――あの薬が、私を殺す為なのだとしたら?
全く持って意味がわからない。
自分が、何故こんな考えに辿り着くのか。
……私は恨まれていたのだろうと思っている。紛れも無く、アレンの記憶を観た筈なのに信用出来ない自分いるのだ。いや、そもそもアレは私が都合良く、こうあってほしい、という願望が生み出した夢幻なのかもしれない。アレンに愛されていたのだと、バカな私は未だに思い続けているのだ。
愚か。
まさしく、愚かだ。
私がアレンを愛するのは変わらない。
けど、アレンが私を愛してくれる筈がないではないか。
あんな事をした私を、許す筈がない。恨んでいるんだ、アレンは。こんな身も心も穢された私を。だからこその、賠償をすべきなのだ。彼を残して死んでしまった後、何か起こったかはわからない。だけど、彼は魔王にされてしまい身体をバラバラにされたんだ。
アレンの身体を、全てを取り戻さなければならない。
それが私に出来る唯一の償い。いや、償いにもならない。この穢れた私にはアレンの身体に触れる事さえおこがましいというのに……。
女神よ。
アレンの母である女神よ。
どうか、アレンの全てを取り戻す事だけ、お許しください。
全てを取り返した後、私はどうなろうと構わない。
どうか、どうか―――――――。
『あの子の身体を、取り戻す……。本当に、本当に――――――――――
貴女は何時も、遅い』
……おそ、い?
何時も……遅い。
何を―――――――――
『スカサ。貴女は何時も遅かった。そう決断しても、既に遅い。貴女が己の過ちに気付いた時も、アレンを探しに旅をした時も――――――何もかも』
ぁ、ぁぁ……なに、を――――――いや、そうなのかもしれない。
だが、次こそは。
次こそは必ず!
この新たに生まれ変わったこの命を掛けて、この国にある筈のアレンの身体を――――――――
『だからもう遅い、と言っているでしょう。もう、貴女がいる国には我が子の身体は既に無いのだから』
なにを、言ってるのですか。
現に私は、“アレンの心臓”を取り返した。あとは六つ、奴等から取り返すだけなんだ。実際に私自身の前世の記憶を取り戻す前に何度も目撃している。そこに、あるんだ。
何が遅いのだと、あの国にある筈だろう!?
『愚か。全く持って、愚か極まりない。貴女のせいで我が子の身体は更に離れ離れとなってしまった。そしてその要因を作ったのは、貴女です。スカサ』
何を――――何を、言ってるんだ!!!
どういうことなんだ、教えてくれ!!!
『直ぐにわかるでしょう。貴女が目覚めた時に―――――――――』
先程まで憤怒に狂っていた女神は、打って変わって私を失望した様な目で見下ろす。ただ、その目は何も期待していない。何も希望もない。何も成し得ない。そんな目で私を見下ろしていた。
そして私は無性に焦りを覚える。
どうしたというのか。
一体私は何をしてしまったのか、と。
そう考えを巡らせる前に私は意識を失ってしまう。意識を失うのと同時に嫌な予感をしてしまうのだ。私が“アレンの心臓”を取り戻そうとする時に謎の襲撃者がいた事も思い出す。
そして、私は夢から覚めて女神が言っていた事を理解するのだ。
嗚呼、私は―――――――また間違えてしまったのか、と。
もうこの時の私は己の弱さに絶望するしかなかった。