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途端、竜王は鋭利に整った顔を強ばらせた。対してシェリーは天女のごとき優しい目で微笑んでいる。
「わたくしのお母様はかつて国一番の美女で、それはもう誰もが羨む知性と血筋と美貌を兼ね備えてきた方でしたのよ。優しくて明るいお母様。わたくしの自慢でしたの。……でも、貴方もご存知の通り、母は死にました。殺されてしまいましたわ」
祖国では誰もが知る有名な話だ。
アレクセイ公爵夫人毒殺事件。
シェリーはそれまで美しい母の元、可愛らしく、傲慢に、我が儘に、幸せに生きてきた。大好きな母の傍にいられることが何よりも幸福だったのだ。
でも、それは突然終わりを告げる。
「ある日……王室の晩餐会にわたくし達家族は招待されましたの。わたくしは桃色のドレス。お母様は真紅のドレスを身に纏って」
シェリーは懐かしむように目を細め、透き通るような麗美な声を響かせた。
「招待されたのは国の高位貴族達でしたから、それはもうきらびやかで豪華な晩餐会でしたわ。皆が美しく着飾り華やかな宝石や生花を身につけて……それでもお母様はずば抜けて美しく皆の視線を一人で集めてましたの。……そう、見ていたからすぐに皆は気づきましたわ。お母様の異変を」
その時の事を思い出し、シェリーの身の内から何かが込み上げそうになる。しかし、唇を固く引き結び、目を閉じる。そしてそれに耐えきると息を吐き出しにっこりと微笑んだ。
「晩餐会でしたから様々な料理が提供されましたわ。その中に白桃のスープがありましたの。それを口にして、お母様は崩れ落ちましたわ」
いつも美しく笑っていたお母様。その声は清らかで玲瓏で。歌えばまるで天使の歌声だと評判だった。
そんな母がスープを口にした瞬間発した声は──まるで、ヒキガエルが潰れた時のような音だった。
あの瞬間、空気が震え辺りが静まりかえった。
「皆が注目する中、お母様は口から血の泡を吹き出し、苦しげな悲鳴を上げました。恐ろしいほど不快な声でした」
宝石のような緑色の目は血走り血管が見えていた。白く白磁のような肌は土色に染まり醜く変色していた。高く結い上げられてた眩い金髪はほつれ乱れ、苦し気に歪んだ顔面は赤黒い血で染まっていた。
「悪鬼というのはあのような顔の事を言うのかもしれませんわね」
シェリーの悲しげな声に竜王は眉根を寄せる。
当時、付き添いの使用人としてシェリーと共に来ていたエマは見るなとシェリーに言っていた。母の元に駆け寄ろうとするシェリーを全力で引き留め、隠そうとした。
残酷な光景。地獄のような光景。だけどシェリーはずっと見ていた。
「お母様はマリオネットの糸が切れたように床に倒れましたわ。ピクピクと痙攣して、そしてやがて動かなくなったのです」
周りの貴族達はパニックを起こしていた。当然だ。目の前で人が死んだのだから。
「お母様の亡骸は暫くその場に放置されましたわ。皆さん自分の事で精一杯で他人の事など考える余裕はありませんでしたし、わたくしはエマに引き留められ、お父様はお母様よりも王室の方々の元に駆け寄って行きました」
今まさに壮絶な最後を遂げた母でも、泣きながらガタガタ震える娘でもなく、王族達の元へ向かった父親。その時の事をとある貴族は真面目で忠誠心の強い公爵らしいと言った。
「騒然とした中、ある侯爵夫人が言いました。なんて醜い死に方なんだろうと。汚い。恐ろしいと。みっともないと。……わたくしは呆然としました。あれほど美に関して賛辞されてきたお母様が否定されたのです。蔑まれたのです」
シェリーは信じられない気持ちで侯爵夫人を見て、愕然とした。彼女は笑っていたのだ。楽しげに、愉悦に満ちながら。
彼女は美しい女性だった。その美しさを際立たせる為に夜会の時はいつも流行をきっちりと抑え、誰よりも派手に着飾っていた。しかし、それでもなお、天性の美を兼ね備えた母には劣っていた。
プライドの高かった侯爵夫人は凄惨な死を遂げた母をここぞとばかりに貶める。それに周りの貴族達も便乗したのだ。
紳士然とした老伯爵も、優しげな伯爵夫人も、母を前に初な少年のように顔を赤らめていた侯爵も皆、母を嘲り嘲笑した。醜い。なんて醜いのだろうと。
しかし、シェリーは思ったのだ。母を醜いと嘲笑う貴族達の心根こそ醜いのではと。
「犯人はすぐに見つかりましたわ。エマの兄でした。しかし、母を殺したのは彼自らの意思ではなく、彼が脅されていたからでした」
驚く竜王を見つめシェリーは口元に歪な笑みを浮かべてみせる。
あの後、エマの兄はシェリーの母と同じ毒をあおり死に、エマの母──つまりシェリーの乳母も責任をとる為に首を掻き切り自害したのだ。
「もともと、毒が入っていたのは別の方のスープ……お母様の妹のスープでしたの。ですがあの方は白桃が苦手でしたから代わりにお母様が口にしたのです」
そしてあの悲劇が始まった。
「後に皆はあのスープをその方が飲まなくて良かったと言いましたわ。お母様で良かったと。お父様までそう言いましたの。でも考えてみれば当たり前ですわね。だってお母様の妹は王妃……国王の正妻でしたもの」
胸が破裂しそうなほど苦しくなり、だんだんと笑みが崩れていくのが分かった。
「彼らは死んだのが王妃様でなくほっとしてました。安心していました。笑っていました。娘であるわたくしの目の前で。その時、わたくしは理解しましたの」
表情を固くする竜王の目をしっかりと見て、シェリーははっきりと言う。
「この世界で一番恐ろしいものは──人の死に嘲笑うことができる生きた人間。人の死に安心した表情ができる生きた人間。妻の死に感心を示さない生きた人間。……そう、生きた人間なのですわ」




