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シェリーが去った後、ヴィーノは拳を握りしめ目を吊り上げていた。
シェリーが竜国から嫁いできてヴィーノの日常は一変した。
普通、人間の女は蛇に悲鳴をあげるだろう。夫やその子供に蔑ろにされたら泣くだろう。竜人に怯え、嫌悪するだろう。なのにあの女の態度はヴィーノの想像とは全く違っていた。
あの女はそんなことなど塵ほどにも気にせず、この国を満喫し土足でヴィーノ達の内面に踏み込もうとする。こんなに腹立たしいことはあるだろうか。
いつだってシェリーは傲慢で我が儘で頭の線が切れてた。行動の一つ一つが常識から大きく逸脱していた。噂と違わぬ血筋と階級以上の傍若無人ぶり。だからこそ王妃に選ばれたことをヴィーノは知っていた。なのに。
「なんだよそれ……」
甘やかされて育った公爵令嬢。なに不自由なく、傲慢に我が儘に全ての願いを叶えてきたみたいに幸せそうな顔をしていたくせに……実際は自分達と同じ境遇だった。
シェリーの話を聞いてヴィーノは酷く自分が腹立たしくなった。自分がまだ無知な子供だと思い知らされたし、何だか自分が悪いのだと罪悪感を植え付けられた。でも、それと同じくらいシェリーにも腹がたった。
なんで、そんなに憂いもなく笑えるんだよ。なんで同じ境遇なのにあの女は幸せそうで自分は不幸せそうなんだよ。
まるで自分が弱くて、脆くて、不幸に浸りきったお子様のようではないか。そこまで考えて、自分が情けなくなり、恥ずかしくなり顔を伏せる。
もしかしたら自分が異常で幸せそうに笑っているシェリーが正常なのだろうか。一瞬そう頭を過ったが、すぐに打ち消すように首を振った。
どう考えてもあの女の思考は規格外すぎる。間違いなく異常者だ。
そんなことを考え込んでいると
「ヴィーノ」
と長兄のフレリックが自分の名前を呼んだ。
「……なんだよ」
不機嫌そうな声で答えるとフレリックが僅かながらに目を細める。
「父上はシェリー様の母君のことはご存知だったのだろうか?」
その言葉に答えたのはヴィーノではなくヴァランだった。
「そりゃ……知ってたでしょ?仮にも王妃になる人だ。過去くらい調べていても不思議じゃないよ」
「では何故、そんな方を王妃に?」
フレリックの疑問をヴァランは難しい顔で答える。
「シェリーの悪名が高く、血筋が良かったから……」
そう。シェリーの評判がすこぶる悪かったから王妃に選ばれたのだ。これだけ悪名高い噂が多ければある程度噂に間違いはない。そう思ってシェリーを王妃に選んだとヴィーノ達は聞いていた。そのほうが罪悪感が少なくてすむから……。
だけどシェリーはヴィーノが考えもつかないような爆弾を抱えていた。そのことを竜王は知っていたのなら、なぜシェリーが選ばれただろうか。
三人が難しい顔で考える。その時、父の竜王が階段を上がりこちらに向かってくるのが見えた。
竜王は三人の存在に気づくとその場で立ち止り。、淡々とした口調で尋ねてきた。
「どうした?」
竜王と子供達には壁がある。そう感じるのは、彼が笑みを浮かべていてもどこか子供達に距離を置いているからだろう。それが分からないほど三人は鈍くはない。
彼は子供達と話していてもどこか別の方向を見ている。子供達に本音を見せてはくれない。子供達の気持ちなんて省みてはくれない。そう思うとヴィーノは何だか意固地な気持ちになってしまうのだ。
ブスッとしているヴィーノの隣でフレリックが竜王の問いに答える。
「シェリー様が父上を探していましたよ」
「……そうか」
何の感情も見いだせない声である。ヴィーノは顔をしかめた。
しかし、兄のフレリックは気にもせず話を続ける。
「父上はご存知だったのでしょう?」
唐突なフレリックの言葉に竜王は訝しげな顔をした。
「何をだ?」
「シェリー様の母君のことですよ」
間髪入れずに答えたフレリックに竜王の顔が僅かに強張った。そんな父親を無表情に見つめ今度はヴァランが口を開く。
「なんでシェリーの母親のことを教えてくれなかったのさ」
「必要ないと思ったからだ」
いつも以上に冷淡な声が竜王の口から飛び出す。するといつもなら素直で比較的穏やかなヴァランが気色ばみながら竜王を睨んだ。
「なにそれ……必要ないって?何で?俺たちはシェリーを王妃にしてるんだよ?無関係じゃないんだ。なのに何で必要がないのさ……!」
「ヴァラン」
いつもとは違う響きの竜王の呼び方に、ヴァランの表情は今にも泣きそうなほど歪んだ。そんな弟を擁護するように兄のフレリックは一歩前に出て口を挟んだ。
「父上……きっと貴方は僕達への優しさで彼女の過去を話さなかったのでしょう。けれどそんな中途半端な優しさは無用です。かえって辛くなるだけだ」
きっぱりとしたフレリックの言葉に竜王の眉間に皺が寄った。
「だが……彼女の過去を知ったら、お前達は彼女を竜国の王妃とすることに賛成したか?」
「それは……」
言い淀むフレリックを静かな目で見つめる。
「私は人の命も人生も平等ではないと思ってる」
竜王の平坦に告げられた言葉に三人は目を伏せた。
そう。全てが平等なら彼がかこれだけ苦悩することもなかったのだ。
「分かってますよ。僕だって弟達が大事だ」
掠れた声で宣言したフレリックに竜王は満足そうに笑った。
「なら分かってるな?」
「……はい」
何とも言えない空気が辺りを漂う。重苦しい雰囲気の中、竜王は子供達を順々に見やり、数拍置いた後に言った。
「シェリーが竜国の王妃に選ばれたのは彼女の国が望んだからだ」
「え?」
「私が彼女を選んだのではない。彼女は国が自ら望んで差し出されたんだ」
子供達は驚愕し顔を見合わせた。
「まさか……でもそれじゃあシェリーは……」
「あいつの父親は何も言わなかったのかよ……」
呆然と呟くヴァランとヴィーノ。当然だ。彼らは単純に彼女の血筋と悪名のみで竜国に王妃として選ばれたのだと思っていたのだ。
でも、そうではなかった。なら、それが意味することは?
「そうだ、シェリーは自国にもそして父親の公爵にも望まれて贄としてこの国に追いやられたんだ」
まさか……そんな……!そう口にしたのは誰だろう?
竜王の語った衝撃的な言葉に、子供達は思考が追い付かず呆然と佇むことしか出来なかった。




