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「いや、仲良くはなかったな。もともと政略結婚で、皆が彼女に求めていたのは子供を産むことと王妃の務めを果たすことだけだったから」
抑揚のない声で告げられた言葉は前王妃に対してあまりにも無慈悲なものであった。シェリーは目を見開く。
「では、愛してはいなかったのですか?」
「……ああ、愛という感情はなかった。多少の情ならあったが」
第三者から見たらなんと酷い夫だろうと批判を浴びそうだ。しかし、シェリーは彼の前王妃への感情を否定できなかった。
「酷い男だと思うか?」
「いいえ……」
生来、王室の結婚事情は政略結婚が多い。恋愛結婚などほぼ皆無に等しいだろう。親に、国に決められた相手を無条件で愛せ……というほうが酷な話なのかもしれない。シェリーはゆるりと首を振った。
そんなシェリーを見つめ、竜王は自嘲の入り混じった笑みを微かに浮かべる。
「そうか……でも、息子達は私を酷い男だと思っているはずだ」
「そうでしょうね」
シェリーは即座に答えた。
たとえ政略結婚で愛などなかったとしても父親が母親を蔑ろにしている姿を見て平気な子供などいるはずもない。シェリーは暗く陰鬱な気持ちになりながらもそう考える。
「子供の思いと親の思いが必ずしも同じだとは限りませんものね」
つぶやくようにそう言うと、ふと胸の底からむなしさが込み上げてくる気がして、シェリーは一瞬苦し気に眉を顰める。その時、竜王が突然シェリーの手首を掴んだ。
「なんですの?」
突然の行動に驚きながらもシェリーは笑みを浮かべ竜王を見つめる。竜王はどこか渋い表情でシェリーを見つめ返している。そして、一瞬迷いながらも口を開いた。
「君がヴィーノの件で私に怒りを向けたのは過去のことが原因か?」
笑みが強張っていくのを感じた。そんなシェリーを見下ろし、竜王は淡々と言葉を紡ぐ
「君が竜国に嫁ぐ際、少し君のことを調べさせてもらったんだ」
「……え?」
過去を調べたと言う言葉にシェリーは愕然として表情を作ることを忘れた。
「君の母もまた、毒殺されたんだろう?」
ドクンと大きく心臓が跳ねる。反応できずに凍り付いているシェリーを見て、竜王の表情にどこか渋さを帯びる。
「だから、君は怒ったんだ。昔の自分と重ねて。助けることも、救うことも、守ることもできなかった大人である私を」
「やめてくださる?」
シェリーは鋭く尖った刃のような声で竜王の言葉を遮った。
「だとしたらなんだというのです?当然でしょう?子供の気持ちも考えず、大人の都合でその子は振り回される……酷く傷ついているのに。心が痛いって泣き叫んでいるのに。それに気づかない大人はなんてお馬鹿さんなんでしょうか。だから、気づいたわたくしが代わりに怒るのです。それの何がいけないというのですか」
シェリーは硬い表情で目を剥き、力いっぱい竜王の手を振りほどく。
「いけなくはない。ただ、君は自身の過去とこの国の毒殺事件を重ねた。つまり君はヴィーノの為に怒ったのではなく自分自身の為に怒りをぶつけた。それをただ私は指摘しただけだよ」
「自分のためだとしたらなんだというのです」
これ以上感情的になるのはよろしくない。できるだけ感情を抑え、そしてきっぱりと告げた。そして。
「陛下……貴方、性格悪すぎますわ」
言わなくてもいいことをわざわざ相手に伝え、指摘する。それを性格が悪いと呼ぶ以外に何と呼ぶだろうか。
冷たい目を向けてくる己の妻を見て、竜王は怒るでも悲しむでもなく朗らかに笑った。
「君には言われたくない」
シェリーはそのあまりにも穏やかな笑みに目を見張った。そして口元に笑みを作る。
この人はなんて性格のねじ曲がった悪質な男なのだろうかと。自分のことを棚に上げ、シェリーは盛大な溜息をついた。
シェリーはこんな性悪な男とこれから生涯を共にしなくてはならない。つまり、この人を好きになり、自分も好きになってもらわなければいけないのだ。国王夫婦の間に愛など存在することは稀だと理解しているシェリーだが、自分はそんなのは御免だと思っている。だから。
「わたくし、これから毎晩陛下のもとに通いますわ」
「なぜそうなる」
笑みを止めて訝しげな表情を見せる。
「なぜそうなる……とは?」
「君はなぜこうまで拒まれても私に近づきたいんと思うんだ?君は嫌じゃないのか?そもそも私は君を受け入れる気なんてないのに」
たまらず言葉を重ねる竜王にシェリーは小首を傾げた。
どうして近づくのかと問われれば、シェリーの答えは一つしかない。シェリーは胸に手を当てて優雅な仕草で笑みを作った。そして竜王を見つめはっきりとした美しい声で言った。
「決まってますわ。わたくし、貴方が苦手なんです」
その瞬間、竜王はぽかんとした表情で硬直した。その表情が珍しくてシェリーは口元に手をやり、まじまじと夫を見つめる。……この人はこんな表情もするのか。
だが驚くのも無理はないだろう。普通の感覚であれば、まず苦手なものには近づきたいなんて思わない。嫌悪する者のそばに居たいなど異常だ。
「……何を言っているんだ?」
流石の竜王も困惑を隠しきれずに問う。シェリーはそんな竜王の様子など気にも留めずに優美な笑みで答えた。
「あら、貴方を苦手だと思うのは当然ではなくて?だって、陛下ったらちっともわたくしに優しくないし、わたくしが勇気を出して誘惑しても表情一つ変えないし、何より性格が悪すぎますし」
「だから性格の悪さだけは君に言われたくはないな」
竜王の苦情にもシェリーの笑みは崩れない。まるで美しい仮面のようだ。
「ですから、わたくしはあなたが好きではないんです。まったく、これっぽっちも、一ミクロンも」
口をへの字に閉口する竜王にシェリーは続けて言う。
「わたくし、嫁ぎたくて嫁いだのではありませんの」
ズバッと言い放った言葉に目を丸くする竜王の顔をじっと見つめシェリーは優しい顔でふんわり笑った。そして、言い聞かせるように言葉を放つ。
「ですから――わたくしはもっと貴方を知りたいのです。知って……貴方を好きになりたい」




