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まだシェリーが幼い頃よりエマは彼女に仕えていた。エマはシェリーの乳兄弟なのである。
当時から目の覚めるほど美しく、そしてその美に反比例するかのごとく性格のひん曲がったシェリー嬢をエマは呆れこそすれ、けして嫌いではなかった。
国内随一の美貌の令嬢。彼女の噂は近隣諸国まで届き、しかし彼女が変人かつ悪名高い娘というのも同じくらい広まっていた。
最初の事件はシェリーが当時、六歳の事である。
まだ社交界デビューには程遠い良家の子息、令嬢が一同に集まった王宮主催の園遊会でのこと。その中でもシェリーは一際美しく老若男女、様々な人間の注目の的になっていた。
シェリーは己の美しさを十分に理解していたし、それがごく当然の反応だと思っていた。シェリーは頭もけして悪くなく尚且つ弁の立つ少女でもあったため、自然と子供達はシェリーのもとに集まるようになった。
しかし、それを気に入らない子もいた。
良家の子供となるとまだ世間を知らず、自分中心の世界の中で生きているようなものだ。当然、その世界はどこでも変わらずいつだって誰もが自分にひれ伏すと思い込んでいる。
まだ大人しく人見知りするような子であれば、その光景をただ黙って見ているだけになるが、勝ち気な子であれば話は違う。
人の輪の中心になるはずだった自分を差し置いてちやほやされるシェリーに人目も憚らず堂々と噛みついたのだ。
「貴方、生意気なのよ!」
テンプレのような言葉である。
その後も子供らしく叫びながらシェリーに対して罵詈雑言をぶつける。
シェリーに食って掛かってきた女の子はくすんだ金髪に華やかな顔をしたなかなかの美少女であったがいかんせん仁王立ちし目を吊り上げて腕を組む姿は可愛くない。
シェリーはそんな少女の様子にきょとんとした後、こくりと首を傾げ可愛らしく微笑んだ。
「貴方、醜いですわね」
シェリーの言葉に空気が凍った。それはもう瞬時に。
「ふふっ……姿形も醜いですけど、こんな所でわたくしに噛みつくなんて……なんてお馬鹿さんなんでしょうか?可哀想……」
口をあんぐりとあけてポカンとした表情をする少女はだんだんと自分が貶されていることに気づいたのだろう。その顔は徐々に赤く染まっていく。
「わたくし、貴方と違って美しく生まれて良かったですわ。だって貴方、見苦しいんですもの」
瞬間だった。少女がシェリーに飛びかかってきたのは。
固唾を飲んで見守っていた野次馬達から悲鳴が上がる。
少女は驚くシェリーを組敷くとその小さな右手を振り上げた。周りの人間の顔が青ざめる。シェリーも殴られると考えた。そして激昂する少女とは対照的に冷静にシェリーは手に持つフォークを振り上げると、少女の左手に何の躊躇いもなくぶっ刺した。
後にシェリーはこの時の事を正当防衛だから仕方がないと言った。
その後もその美貌に目が眩み、彼女を剥製にしようとした芸術家を裸のまま縛り上げ公衆の面前で晒し上げたり、その美貌に目が眩み、彼女を愛人にしようとした高名な政治家を逆に調教し専属の下僕にしたり、その美貌に目が眩み、寝所に連れ込もうとした隣国の王子の顔面に拳を叩き込み鼻をへし折ったりとシェリーは着々と自身を有名にしていった。おもに悪い方向で。
最初はその美貌で、仕方がないなぁで終わらせていた王候貴族達も、だんだんと彼女の行動に振り回されその顔をひきつらせることになる。
何だ、あの娘は。良いところといったらその美貌と家柄だけじゃないか。この前なんて伯爵子息を犬にして散歩してたぞ。
直接苦言を呈する貴族もいれば、遠回しに嫌みを言うものもいた。
しかしシェリーはそれら全てを扇一本でパコーンとはね除け、己を変えようとはしなかった。
元々、言葉を巧みに操る娘だ。勝てるものなどいなかったし、その時、シェリーはその身分の高さと美貌で国の第一王子の婚約者として権勢を振り撒いていたのだ。
しかし、それも平民出身の男爵令嬢が現れるまで。
男爵令嬢はその可憐な容姿とシェリーとは正反対の菩薩のような心で、将来国の中枢に立つであろう若い貴族青年達を虜にし、見事落としていった。しかもその中にはシェリーの婚約者である第一王子もいた。
そして何故だかその男爵令嬢はシェリーに苛められたと彼らに泣きつき、見事に国一の美女である悪女を国外追放したのである。
最初は渋っていた元婚約者の第一王子も男爵令嬢の涙と彼女の虜になった子息達に言いくるめられ、「彼女を苦しめた君は最低だ。今日をもって婚約破棄させてたもらう。そして君は明日竜王に嫁ぐことになった」と一言。有無を言わさず馬車に押し込んだのだ。
嫁ぐにあたっての準備は秘密裏に。そして見送りは盛大に。なにせ、相手は竜人が住むと言われる竜国。訪れれば生きては帰れないと言われている魔の地だ。シェリーはそこに贄として嫁ぐ。いくら悪名高い娘だからといっても贄となるなら表向きだけでも盛大に……と国は考えたようだ。
出立の日、シェリーの手を握った第一王子が浮かべた涙は悲し涙かはたまた嬉し涙か。
多分、両方だろう。彼の想いは変わったとはいえ、もとは美しいシェリーにベタ惚れだったのだから。
シェリーの存在は明らかに異端だった。
彼女は暴力的なまでの美しさとそれなりの頭の良さを持ちながらも 、他の令嬢とは違い誰かに媚びることも歩みよることもしない。社交界にもめったに行かないし表舞台に立つことをあまり好いてはいないようだった。
エマは横で不機嫌そうにぶんむくれている美しい主人を見て苦く笑った。
エマには両親も家もない。天涯孤独の身の上だった。ならばもうどんな地であれ、シェリーに着いて行くしかない。
「ちなみに」
窓の外を険しい顔で眺めていたシェリーはポツリと呟いた。
「相手の方はどんな方ですの?」