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「うーん。やっぱり王子様方の情報は入らないかぁ」
もう空は闇夜に染まってしまっているので、手燭を持ち暗い廊下を歩く。すると廊下の向こうにふわりと何か動くものが見えた。
えっ何?お化け?と一瞬身構えると、その何かがこちらに向かって近づいてくる。そして明かりが届くところまでそれが近寄ってくるとその正体にエマは目を丸くした。
その正体──それは、先ほど話に出てきた王子の一人、ヴィーノだった。
ヴィーノは白いシャツに水色のベストと同じ色のズボンを身に着けて、エマの前まで歩いてくる。エマは王子のお通りにすっと壁際により道を開けて礼をする。しかし、ヴィーノは何故か距離を詰めてきた。
「おい、お前。確かあの女の侍女だったな」
あの女とはシェリーのことだろう。エマはこくんと頷いた。
「ふんっ!お前も変わってるな。あんな頭の線が切れた女の侍女をやってるなんて……」
散々な物言いである。しかし否定も出来ないのでエマは苦笑し黙りこくるしかない。
「お前、今から部屋に戻るところか?」
エマは無言で首肯した。
「そう。じゃあ、早く戻りなよ。あの女の侍女なんて目障りなだけだからな」
シェリーの侍女というだけで第三王子にとってもエマは邪魔な存在らしい。シェリーの嫌われっぷりは相当なものであると再度思い知らされる。
「ヴィーノ様は何をなさってたんですか?」
何となくとりあえず、聞いてみる。
答えてくれるだろうか?もしかしたら答えてくれないかもしれない。いや、答えてくれない確率の方が高い。
そんな事を考えながらヴィーノの反応を待っていると、意外にも彼はしかめ面になりながらも口を開いた。
「あの花を見ていたんだ」
「お花……ですか?」
ヴィーノの指先す方向を確認すると、そこには小さな花壇になっており薄いピンク色の小ぶりな花が数輪静かに佇むように咲いていた。
「あら、可愛い」
そう言って、エマはその花の元に行こうとする。しかし。
「近づかない方がいいよ。その花、猛毒を持っているから」
「ええっ!」
思わず体を仰け反らせてよろめく。危ない。危うく触るところだった。
「触っても対して問題にはならないけどな。でも、その花を口に含んだらアウトだ。一瞬であの世行きだよ」
その言葉にエマは口元を両手で多いながら毒花をまじまじと見つめる。
これが猛毒を持つ花?こんなに美しく可愛らしい花が?
「それが毒なんて見えないだろ?見かけだけは美しいんだ。お前の主みたいにな」
ヴィーノの半分怨みの込もった言葉に対して否定できなかった。見かけは綺麗で中身は毒。まるでシェリーのようだ、と言いそうになるのを何とかこらえ、エマはヴィーノに尋ねる。
「この花は何というのですか?」
「シェリルムーアだよ」
皮肉にも名前までシェリーに似ていた。
「この花は嫌いだ。俺はこの花を見ると無性にムカムカする。イライラする。吐き気がする」
吐き捨てるようにそう呟くヴィーノの顔ははっきりと歪んでおり、それは花が嫌いというよりも花を憎んでいるという言葉がピッタリのように感じる。
エマはその表情を一部も逃さないようにじっと見つめた。
「本当はこんな花、城どころか世界中から消し去りたいところだけど、こんな猛毒を持っていても使い方によっては薬にもなる。……忌々しいことにな」
嫌悪感を隠すことなく舌打ちをしたヴィーノは次にキッとエマを睨み付けた。彼の端正な顔がまるで刃のような鋭さを帯び、触れたら切れそうなほどの気迫がエマを襲う。
「俺はお前達が嫌いだ」
妙に力の込もった声できっぱりと言った。
「俺達には新しい王妃なんていらないし、新しい母親もいらない。お気楽な貴族の娘なんて竜国には相応しくない。さっさとこの国から出ていけ。お前も、お前の主人も邪魔なんだよ!」
睨んでくるヴィーノ。
エマはそんな気迫と迫力のある彼の威嚇めいた拒絶に目を丸くし──一切の表情を消した。
そしてすぐに笑みを作る。その表情を見てヴィーノはゾッとした。何故ならあまりにもエマの表情があまりにも穏やかだったからだ。一切目が笑っていない笑顔なんて初めてみた。鉄壁過ぎて逆に感情が読めない。まるで精巧な人形のようだ。
「シェリー様はお気楽な貴族の娘ではありませんよ?訂正してくれませんか?」
軽く微笑むエマの姿にヴィーノの顔は益々恐怖で青くなる。
何だ、この女。さっきまでと雰囲気が違うじゃないか。
先ほどまで人の良さそうな笑みを浮かべていたとは思えないほどの圧迫感と威圧感がエマの体全身から発せられ、ヴィーノの小さな体を押し潰すかのように襲い掛かってくる。通常では考えられない体験だ。
「貴方様の様子を確認してましたが……貴方様はこの花に対して強い憎悪と同時に強い執着も持っていると感じました。もしかして……この花を使おうとしたことがあるんですか?」
「はっ……な、何を」
重たい空気に喘ぐような掠れた声がこぼれ落ちる。エマの目が怪しく光った。
「それとも……使ったことがある?」
「やめろ!」
ヴィーノは思わず叫んだ。その顔色は青を通り越して土色だ。
彼は感情的に睨みながらぐっと歯を噛みしめエマを見上げる。
その姿にエマはクスリと笑う。シェリーがヴィーノを子犬の様だと評した理由が今なら分かる。彼はまるで小さく弱い犬だ。怯え、そしてそれを隠すために自分の敵に対して煩いくらいに吠える子犬。
「俺は王子だぞ!お前のような使用人ごときに失礼な口を叩かれる謂れはないんだからな!!」
なんて子供っぽく短絡的であり単純な言葉なんだろうか?
エマだから口には出さないが、シェリーならズバッとそう言っていただろう。
思わずポカンとした表情をするエマにヴィーノは満足そうに鼻を鳴らす。そしてそのままエマの横を通りすぎようとした。しかし。
「お待ち下さい」
エマはヴィーノの進路を塞ぐように立ちはだかった。ヴィーノの体がビクンと跳ね上がる。
「そんなに怯えないでくださいよ。私はただ、取り消してほしいだけなんです」
「取り消す?」
「シェリー様をお気楽な貴族のお嬢様と言ったことです」
薄ら笑いを浮かべエマはヴィーノの腕を掴む。
まるで喉元に今でも猛獣が噛みつかんばかりの恐怖がヴィーノを襲い、息を詰まらせ目を見開き硬直する。
そんなヴィーノにエマは目を細めた。
「さあ、王子様」
優しい声、だけど有無を言わさない意思の強さと寒波のような冷たさにヴィーノの首筋から一筋の汗が流れ落ちる。
ヴィーノは震える口を開いた。
「て、訂正する……」
「はい?」
「あいつをお気楽な貴族のお嬢様と言ったことを訂正する!」
叫ぶように声を張り上げた。するとエマはにっこりと優しく笑いヴィーノから手を放す。そして距離をとった。
途端、威圧感と恐怖が瞬時に消え去り、ヴィーノは動揺し困惑した。そんな第三王子にエマは笑みを深くする。
「訂正してくださりありがとうございます、殿下。お気をつけてお部屋までお戻り下さいね」
殊更優しい顔と優しい声でヴィーノの血の気が失せた。異質なものが目の前にいる恐怖がヴィーノの五感全てを得体のしれない恐怖が包む。
なんなんだ、この女は?主人と同じ、いや主人以上に──おかしい?
呆然と佇むヴィーノにエマはスカートの端を持ち腰を折った。そして恭しく一言。
「では失礼します、ヴィーノ様」
そう言ってエマは背を向け廊下を歩きだした。
ヴィーノはエマの姿が見えなくなるまで彼女を見つめ続ける。そしてようやく姿が見えなくなったところでぐらりと体が崩れ落ちた。
ヴィーノの短い人生の中であんな恐ろしい笑い方をする者に出会ったことはあるだろうか?いや、ない。
冷たく、淀み、濁り、重たい。そんな異質な雰囲気。あれは本当に……人間か?
ヴィーノの体がガタガタと震えだす。
主人が主人なら使用人も使用人ということか。ヴィーノはそう考え、震える体を叱咤し立ち上がる。そして恐怖を隠すように悔しげに歯噛みをした。




