9・初めての授業
一限目、数学の授業。
教卓には黒髪黒目の先生が立ち、黒板(グラフィックボードという製品だがみんな黒板と愛称を呼ぶ)に数式が現れては消えていく。
生徒のタブレット端末には黒板と同じ画が現れていて、名を当てられた者が、電子ペンシルで回答を書き込み、正解することで授業が進む。
ぱらり、という音。
紙書籍がめくられる時と同じ音が、タブレット端末の画面が切り替わるごとに、発される。
この音に聴覚を刺激され、眠気を誘発される生徒もいて、数人、こっくりこっくりと頭が動いている。4秒停止でまたシャッキリと背筋が伸びる。
この繰り返し。
これが授業。
未来人が、平成50年度においてこなしているプログラムだ。
▽こんなことを繰り返したところで……
▽数式なんて生まれた時から完璧に理解しているわけで……
▽未来人は知識をプログラムされて生まれるわけで……
▽旧式社会保持に、何の意味があるんだろう?
▽過去の戦争を忘れないため?
そんな考えが、俺の頭の中で、鈍く光り、びかりと……
ゴイン!!!!
「いっ……たっ……!?」
ユイの後頭部が俺の鼻を直撃した。ぐおおおお……!
強度の関係であちらも痛かったらしく、前のめりになって後頭部を押さえて悶絶している。
「だ、大丈夫ですか……!?」
ああ、この状況でユイの方を心配しなくてはいけない理不尽さよ。
ユイはギクシャクと俺の方を振り返り、ポロリと一粒の涙を流した。
う、うわあああ女の子泣かした!? ごめんごめんごめん!
体重をぐったりと肩に預けてきたので、思わず、両腕全体を使って抱き込むようにかかえる。
ユイ……………やっぱり理不尽じゃないですか??
さっきぶつかってきたのそっちですけど??
あれ??
ん??
ちょっともやもやしながら、下を向くと、なんとユイは学生用ネクタイの紐を噛んで遊んでいる。どうりで静かになったわけだよ。ほんと犬。
俺は、こみ上げてきた笑いを堪えるのに忙しかった。
こんなことをしてたら、俺の頭の中のくすぶりは、いつの間にか無くなってしまった。
えーと、タブレット端末でユイの犬的動画記録、ヒフミにのみ制限メール送信……っと。
前の席で「ンッ」とくぐもった声がして、肩が揺れ始めたので、奴も必死で爆笑を堪えているようだ。朝礼の時にからかわれた仕返しができて、俺は満足。
10分。
20分。
だんだんとユイがこの場に慣れてきて、テンションが上がってきてしまった……
授業中だから、先生に叱られないように、俺はこっそり注意することしかできなくて。
弱々しい制止では、知能・犬のはしゃぎっぷりを抑えきれない。
ユイの犬耳カチューシャが小刻みに揺れて、リンクされた感情が俺の頭の中に「♪♪♪」「♡♡♡」と現れている。実にやかましい。
スムーズに授業が進……っっっむわけがない。
「ユイ、おとなしくしててくださいっ」
無理な相談だ、わかってる。
ついに机の上のアイテムに手が出始めた。
タブレット端末や電子ペンシル、ホログラム時計に紙書籍、ユイの関心を引く「初めてのオモチャ」がいっぱい。
さっきまで「触らない」をできてただけえらかったんだろう……
「生徒番号一番」
「はい」
先生に呼ばれて、回答を行う。
正解、花丸がつけられたのが、リアルタイムでタブレット端末に表示される。
ユイが興奮して、タブレット画面を指でグイグイ押した。
画像が乱れる。
黒板に<エラー>。
先生も生徒たちも、急なデータバグに動揺してしまって停止。
ああもう、未来人は不足の事態に弱いから!
ヒフミが大急ぎで、プログラムを直してくれる。彼は俺の友達をやっているせいで緊急事態に慣れている。
ありがとう……!
ユイは反省の様子を見せずに、俺の手の甲をぺしんぺしんと叩いている。
鼻歌みたいな音を漏らしながら、ごきげん……。
「だめですってば!」
強めに言うと、むすっと頬を膨らませた顔は、子供みたい。
早く幼児並みの知能まで成長してくれ〜! って切に願うんだけど!
また、俺が当てられるところから授業が再開。
平穏を装って回答する。
先生が背中を向けて、黒板の表示操作、ページをめくる音。
切り抜けた……ホッと胸をなでおろした。
隙あり! とユイの手が伸びてくる。
電子ペンシルを盗られる。
「それはだめ!」
ユイの小さな手には思わぬ力があって、俺と取り合いが均衡した。
きっと反動なんて気にしない全力の「ちょーだい!」だから、これ、俺が手を離したら思い切りこけて後頭部を床に打ち付けるはず……だ、だめすぎる。
慎重に、力を込めて、
「あっ!?」
バキョ、と嫌な音を立てて電子ペンシルが壊れた。
その勢いのままユイは横に転げ落…………させるか!
「っ!」
肘を、ユイの後頭部に滑り込ませて、頭ごと抱える姿勢。
ぐおおお肘関節が……!
助けてヒフミ、と視線で訴える。
「せんせー。ハジメくんが転校生を押し倒してまーす」
「何!? 廊下に立っていなさい!」
何言ってんだこのやろおおお!?
先生もそれルール違反の時の常套句だけど、もっと融通効かないわけ!?
……方法はアレだけど、この教室でずっと授業を受けるのは無理そうだから、抜けるべきかもしれない。
「大丈夫でしたか? ユイ、……!」
指に、擦り傷。
皮膚が裂けかけている。
ほんのりピンク、朱色、それから、赤────
──血の色は禁止。
ゾワッッ!! と全身が冷たくなった。
頭の中に警報のようなものが現れる。
ユイのお腹を抱えて、運ぶように持って、廊下に向かう。
横目で見たヒフミが、驚いたように目を丸くしてこっちを見ていた。
教室のみんなも、俺たちに注目している。
ヒフミと全く同じ表情で、揃って首をひねって、凝視しているその頭のなかで何を考えてる?
ユイの色を見られてはいけない。
そう思った。
急いで、ユイの指先を口に含んだ。
ただ隠すためだから。
いやほんと。
口の中で妙な感触。
きっと、たらりと指をつたった潤滑液が、したたり落ちたんだろう。
おかしい。
おかしいって。
人型ロボットの培養槽に入っていた潤滑液はピンクだった、”それが体内色になるはず”、なのに、ユイは……
デザインミス?
ピースがカチリとはまったように確信してしまった。
保健室に向かおう……!
とても優しい保険医がいる。
ユイの皮膚を縫合する設備と予備部品もそろっている。
アイデア暴走時に迷惑をかけたことは、謝り倒すしかないなぁー……!
彼女の指を、咥えたまま、俺は全神経を足に集中させて、不気味なくらいにやさしくかつ素早く走るという奇行を見せた。
[レポート]
美少女型ロボット 唯 2/10
・知識 博士級
・知能 犬
・装備 セーラー服・白衣・スニーカー・犬耳カチューシャ
・なつき度 MAX
※指・負傷中