10・保健室
──廊下を走っていると、ヒフミから連絡。保健室には他の生徒がいないとのこと。
学校データベースを調べてくれたみたいだ。
明日奢るジュースは二本に増やそう、って決めた!
保健室にすべりこむ。
扉が開く際には、ガララ、とアナログな音がわざわざ発される。
真っ白な室内、中央に、保険医の姿がある。
「ふぇんふぇい!」
きちんと呼べなかった……。
「…………ぷっ」
六三四先生がこちらを振り返って、噴き出して小さく笑った。ころころと女性らしい声。
黒茶色#7B4334 の巻き髪が背中で揺れて、ゆたかな胸の上で、保険医のネームカードが跳ねる。
みだれた前髪の隙間から、タレ目の瞳が覗いた。
俺の髪色を映して、キラリと光った。
「まーたハジメくん? いつも、いけないことしちゃって〜」
女子の指を今まさに口から吐き出したばかりの俺は、どう見ても変態だろうし、こんなふうにからかわれても仕方がない……
お叱りは、あとで受けます。
「急患です!」
「詳しく説明してちょうだい」
「診て!?」
「どれどれ……」
まず症状を尋ねましょう、というのが規則なんだけどね……と呟きながら、ムサシ先生がユイの指を眺めた。
たらり、と流れている異常色。
人工皮膚が裂けていて、若干焦げてもいる。
電子ペンシルが負傷の原因だから。
「……! すぐ治しましょう」
「お願いします」
「それから、きちんと説明してもらうわよ」
さすがのムサシ先生からも、柔和な笑顔が消えて、真剣な眼差しとなる。
ユイの手の甲から手首、何度も撫でて、素材を確認したようだ。体温36・5度、柔らかい素材は何を表すのか、ムサシ先生は把握したらしかった。
でもまだ何も言ってこない。口をつぐんで、ユイの怪我に集中してくれているのはありがたいな。
ユイをベッドに寝かせると、ムサシ先生は両手両足を金属の輪で固定する。
俺に指示をした。
「皮膚パーツ、縫合キット、潤滑液。持って来てちょうだいな」
「はい」
俺はすぐさま道具棚に走る。
未来人の治療用ではなく、心理研究学科が使う道具棚にそれらがある。
たくさんの引き出しの中で、これらのパーツのとこは……鍵、壊されてるな? 俺の暴走癖のせいですね、ハイ。ここからユイ創造の時の部品を持ってったんでしょうね。ほんとすみません。
高級部品を、落とさないよう気をつけながら、ベッド近くのサイドテーブルに揃える。
ユイは不思議そうにムサシ先生を見上げた。
「大丈夫よ」とやんわりした声がかけられている。
でも不安そうに俺の方を見てきたので、俺はユイに曖昧な笑みを返した。
まずはムサシ先生が脱脂綿をユイの指に当てて、あふれていた潤滑液を吸い取った。
ヒクヒク、ユイが唇を引きつらせる反応。
痛いらしい。
ムサシ先生が、ぎゅっと目を閉じて、ふう、と口をすぼめてため息……瞼がわずかに痙攣しているのを見るに、頭の中の警告に耐えているんだろう、って考えられる。
血の色、禁忌、警告、それってなんなんだろう?
俺も頭が痛い、物理的にも精神的にも。
なんだろう、とても嫌な感じだ…………。
「始めるわ!」
ムサシ先生は、ぱしっと自分の頬を叩いてから、鋭利に尖ったハサミを持ち、ユイの指先の皮をわずかに切って排除。
「ハジメくん、皮膚パーツ」
「はい」
先生が、ユイの傷口に新たな人工皮膚を置いて、接着発温装置で光を浴びせた。
ユイが怖がって暴れようとして、でも手足が固定されているので、俺の頭の中に「!!!」という絵文字がやかましく浮かぶ。
痛覚、ここまで繊細に作らなくてもよかっただろうに……俺は、ユイにプログラミングした自分自身をどろっと恨みながら、反対側のユイの手を握って、励ました。
痛みを代わってやることはできないから。
ぽろり、とユイの目から涙が一粒こぼれた。
ううう罪悪感で心が死にそう……。
皮膚パーツ、2枚目、3枚目。
とても丁寧にムサシ先生は治してくれている。
この部品が使われる機会なんて、愛玩ロボット研究に失敗したときくらいだっけ……心理研究学科、モモが「ごく稀に使うかな?」って教えてくれたことがある。
……愛玩、かぁ。
ユイは、愛玩ロボットだろうか? と、ふと考えた。可愛らしくて懐っこい、ひと目俺を見たときからそんな感じだ。
心理研究ロボットとして、感情豊かな人型を産んでみたら、たまたまこんな性格だっただけ?
それとも計画的にこうした????
ユイを創った時、俺は、何を考えてたんだろう?
ゾッとする。
……心の深淵に向き合わないと、解決しない疑問だろうな……
帰宅したら瞑想とかしてみようかな。
そしてもう一度部屋を確認してみよう。手がかりがあるかも。
ユイの指先が、俺の手のひらの中でぐいぐい動いて、かわいそうになってくる。
なんとかならないかなー、って思って、両手で手のひらを包むと、ほんのわずかに落ち着いたみたいだ。
素肌の接触は心を落ち着かせる効果があるらしい、って人間心理の文献で見たことを試したけど……正解だったのかも?
人型ロボットを怒らせてはならない。
人型ロボットを怖がらせてはならない。
って、むずかしすぎるんだけど!
……俺にできる最大の努力を、するしかない。
治療が終わった。
「うぅー」
「えらかったです!!」
拘束を解かれたユイは、がばっと抱きついてくる。
勢いが、ほんと犬。
俺の腰に腕を回して、ぐりぐりと頭を擦り付けている。
40度に上昇した俺の体温が心地よかったらしくて、ユイがようやくふにゃりと力を抜いたので、このまましばらく抱き枕になることに決めた。
怪我を防げなかったお詫びに好きに扱ってください。
「嫌われなくてよかったぁ……」
本音が、じわりとこぼれた。
ムサシ先生が、スプレーを仕上げにしゅっと吹きかける。
びくっとしてすがりついてきたユイの頭を、二人がかりで丁寧に撫でた。
ムサシ先生のことは、少し怖がっているようだ。
「はい。おわり。ウサギの皮膚部品でもうまく馴染んでくれて、よかったわぁ! 怪我をしたことはもう、分からないわね」
ユイの白い指先は、ほんの少しこすったような線が現れているだけで、なめらかだ。
速乾スプレーのおかげで、乾かす手間もない。
「ありがとうございます、ムサシ先生。ああホッとしたぁ……! さすがの技術です」
「まったくもう、なのよ?」
ムサシ先生が茶化して言ってくれた返事に、俺は深いお辞儀をかえした。
彼女がその程度の叱責で許してくれることは、ほんとうに感謝すべきことだから。
ムサシ先生は苦笑を浮かべた。
それから柔らかな微笑みになる。
「保険医」というプログラム通り、患者を安心させる表情だ。
ユイが、俺と先生をきょろきょろ見比べて、前のめりになっ…………それはだめ!?
首根っこをつかまえて阻止する。
「ん?」
ムサシ先生が首をかしげる。
すぐ目の前にユイの顔が迫っていた。
つまりは二人は至近距離で見つめあっている。
俺は引きつった顔でそれを阻止している。
「ああ!」
ムサシ先生がポン、と手を打った。
「お礼にキスしようとしてたんでしょう〜? あらあら、近頃の学生はまったく色気付いちゃってぇ」
「それ先生のからかいの常套句ですけれど、多分、ユイはマジでやろうとしていましたよ」
「……マジで〜?」
ムサシ先生は俺の言葉を珍妙に繰り返して、ぱちくりと瞬きした。
そんなバカな〜、って表情が語っている。
バカバカしい事態がおこっています。
すみませんすみません。
犬なんです。
はあ。
怖がったかと思えば、すぐに懐いたり。
ユイは自由奔放で、それはものすごい魅力なんだけども、俺の心臓がいくつあっても足りなさそうだ。
自分の胸に手を当てると、軋むような音が速いリズムで刻まれている。
「説明、ね? ハジメくん」
「ハイ」
ムサシ先生に詰め寄られても、ユイに拘束されている俺は逃げられるわけがないのだった。
これまでの経緯を話す。
今までにないほど強烈な衝動によって、気がつけば、人型ロボット・唯を創っていたこと。
現在、犬知能であること。
寿命は10日であること。
人型ロボットと共存する日々の、レポートを作成していること。
「ほんと、ハジメくん、ハジメくんってば、もー…………いつか大きなことをやらかすと思っていたけれど〜」
ムサシ先生のため息が、深い。
「責めたりはしないわ〜」
「ムサシ先生は、そうなんですよね……」
だからこそ彼女が保険医なんだ。
保険医が先か、彼女の人格が先か、プログラムの順番がどちらかはわからないけれど。
ここにくるときは安心できる。
「ごめんなさい」
「ちゃんと謝れてえらいわね。いいのよ〜」
ムサシ先生はにこりと微笑んで、俺の頭も撫でた。
指先が髪の毛をさらさら弄んで、楽しそうですらある。
「ぼくは、保険医だから。ユイちゃんの怪我を治して、ハジメくんの心を救いましょう」
保険医だから。
助かります。
これからきっとたくさんお世話になると思います。
「ムサシ先生、今日はありがとうございました。多分また、来ます」
「あらあら〜」
「ユイのことで」
ぴしり、とユイが固まった。
また来る、保健室、保険医、怪我を治す、皮膚、イタイ! と予測したらしい。
必死にイヤイヤをしているので、髪の毛がビシバシと俺に当たっている。
「であれば、ユイ? 怪我をしないように、もうちょっと気をつけて下さいね!」
迫力を意識しながら告げると、ユイは不服そうに頬を膨らませながらも、頷いてくれた。
はーーーー。
くすくす、先生が笑う。
「お疲れ様。ねぇハジメくん、ユイさんのレポートを書いたとして、どう活用するのかしら? ぼくに教えてくれない?」
「それは……。保険医として? 教師として? 634番として?」
「ぼくとして、634番だからよ。心配しているの」
それなら、政府に報告をされることはないだろう。
ムサシ先生も教師の一人である以上、いつだって報告を懸念しておかなくてはいけない。
「生徒の異常について尋ねる教師」は「状況を政府に報告する」ことと関連づけられるから。ユイを診てもらうことについては信用しているんだけどね……
ムサシ先生の瞳をじいっとまっすぐに見る。
白#FFFFFFを映して、キラキラとしていた。
「……ヒフミとモモにメールを送ってあります。休み時間になればここに集いますから、そのタイミングで全員に話してもいいですか?」
「あの2人が来るのね。賑やかになりそう〜。わかった、待つわ」
うん、一斉に共有したほうが手間が省けるし、相互監視で告げ口防止にもなるから。
そんなことを考えてしまっている自分が、嫌なやつだなぁ、って凹んだ。
俺が、創造物のことでみんなを巻き込んでいるのになぁ。
俯くと、ムサシ先生が顎をつまんで上を向かせた。
「苦しまなくてもいいわ、ハジメくん。ぼくは保険医だもの、生徒の苦しみを解放するのは当たり前よ。あなたはまず、ユイさんのことを大切にしてあげたらいい。たった10日なんでしょう?」
「……そうですね。俺には、生み出した責任があります」
ムサシ先生の目に映った色は、キラキラとしていて、俺自身の心境がどうであれ、ユイのことを語る時には目が光るんだなあ、って自覚した。
ムサシ先生がにっこり笑う。
「未来を素敵に変えていきなさい! あなたの瞳の輝きに、未来を託しましょう」
「……人型ロボットと人間だって、お互いを思いやって幸せを探していけば、よりそって生きられるって思うんです。今度こそ」
「ん」
ん……?
今……すごく自然に口が動いた。
確かに普段から考えている俺の意思ではあるものの、なんか……
光の名残がこぼれたか?
…………。
ユイがずしっと重みを増す。
というのは、まどろんでいて、頭がかくんと傾いたからだった。
俺の体温40度が心地よかったのと、騒ぎ疲れたのと、ってところかな。抱え直す。
「可愛いわね」
「眩しいですよね」
「ユイさんを眺めるハジメくんの表情、とてもやさしいわ。仲良しさんね〜」
ユイの寝顔はやすらかで、ここに存在できるだけでも幸せだといわんばかり。
っていうのは、欲目すぎるかな?
ひとまず、ユイがこの世界に嫌悪感を示すっていう最悪の事態は免れた。
ふにゃりとユイが寝惚けながら微笑むと、俺たちふたりも、つられて自然に口をゆるめた。
しばらく休憩していると、授業おわりのチャイムが鳴って、ヒフミとモモがやってきた。
[レポート]
美少女型ロボット 唯 2/10
・知識 博士級
・知能 犬
・装備 セーラー服・白衣・スニーカー・犬耳カチューシャ
・なつき度 MAX
※指・治療済み
※快眠中