第6話
帝国の首都たる帝都、そのさらに中心に位置する皇帝の居住地である宮殿は当然ながら厳重な警備によって守られていた。
皇帝のみならず、皇帝一族や大臣、国に仕え物事の真理を追求しようとする研究者なども宮殿の庇護のもと日々を過ごしている。
そんな研究者の1人であるジルベール博士は自分に宛てがわれた宮殿地下に位置する研究室で怒りを隠しきれずにいた。
「ど、どういうことだ!?もう一度言ってみろ!?」
ジルベール博士のすぐ前にはゲオルをはじめとした帝都治安部隊の面々が膝を付いて深々と頭を下げており、ジルベール博士の怒号にゲオル以外の騎士はすっかり腰が引けてしまっていた。
「申し訳ございません。捕獲を命じられた獣人の娘を取り逃がしました」
「………おかしいな。帝都治安部隊というのは、魔法学校卒業者でも成績優秀で剣の腕もたつ者しか入隊が叶わないエリート中のエリート。帝国内でも卓抜な人材を集めた部隊なはず」
「………」
「そのため人員はあまり多くない。だが、今回ばかりは失敗は絶対に避けたかったら各方面に無理を言って1個小隊並の人数を動員させた」
「………申し訳ございません」
「はっきり言って、多すぎると我ながら感じていたけど、今回ばかしは万全を期しなければいけなかった。
それをお前らは雁首揃えて小娘1人捉えられんのか!?おい!」
「……………申し訳ございません!」
「クソッ!申し訳ないと思っているならとっとと捜しに行け!」
ジルベール博士はシッシッと追い払うように手を振ると深々とため息を吐いた。
だが、ため息も無理もない。万が一でも失敗はありえないと踏んでいたことが、失敗に終わったせいでジルベール博士が描いていた予定が大きく崩れたのだ。
(このまま見つからなかったらどうする?あの小娘を取り逃がしたということは逃げる先は村だろう。村に入られると手が出しづらい。直接村に引き渡し要求するか?いや、ダメだ。それには上の許可がいる。そんなことしたら勝手に脅迫していたことがバレてしまう。なら、どうするべきか?)
「………ジルベール博士」
ジルベール博士は今後の捜索でも見つからなかった場合を想定して思考に没頭していたが、それを遮るように名を呼ばれてしまう。
ただでさえ苛立っていたジルベール博士が名を呼んだ者に意識を向けると、そこにいたのは先程捜索を命じたはずのゲオルがおり、その事実にさらに苛立ちが募る。
「何故まだいる!?遠くに行く前にとっとと行け!」
「いえ、その心配はいりません。取り逃がす前に負わせた怪我があるので、そう遠くには行けないはずです」
「ほぅ、それはよくやった。だが、汚名返上にはならん。少し捜索に余裕ができただけだろ、早く捜索に行け!」
「いえ、逆です。遠くに行かれる心配はありませんが、早くしないと命を落とす可能性があります」
「………は?すると、あれか?お前らは生け捕りを命じたのに関わらず、死ぬかもしれないぐらい傷めつけたのか?そういうことか!?」
「………帝都に戻れば治療魔法が使える者がおるので、逃げられないようにと」
「だけど、結果はどうだ!死にかけの奴に逃げられた!お前らがそこまで無能だとは思わなかったぞ!マジか、お前ら!使えなさすぎだろ、え!?
じゃあ、なんだ!既に死んでるかもしれないってことか!?
俺はあの娘を手に入れられるこの時を何年も待った!何年もだ!それをお前ら無能部隊のせいで台無しにされるってのか、あ!?」
「ですが、まだ生きている可能性はあります」
「なら1秒でも早く見つけて来い!」
「いえ、このまま闇雲に捜しても間に合いません。ですので、博士が所有している獣人を頂きたく思います。
博士には過去何度も生け捕りにした獣人を引き渡しています。あれだけの人数が全滅してるとは思えません。
そして、獣人は同じ種族の仲間の位置をおおまかにですが感じ取れるはずです」
「………つまり、あれか。猫の獣人をくれと。私の貴重なモルモットを寄越せと」
「可能な限り返却はしますが、場合によってはそのモルモットは返ってこないかもしれません。ですが、いただければ必ず例の小娘をこの場に連れて参ります。
それに…博士も困るのではないんですか?我々が処刑したことになってる獣人を博士がこっそり生け捕りにしていることをバラされるのは?」
「チッ、いっちょ前に交渉のつもりか?今まで贔屓にしてやった恩を忘れて?
………わかったよ、クソが。獣人は繋がりが濃い同士ほどお互いの位置を感じ取りやすい。あの小娘と繋がりが濃い獣人がちょうどある。少々弄りすぎて扱いにくいが私にとっては貴重品だ。ありがたく思えよ、くれてやる。小娘を連れて来れるならそいつは使い潰しても構わん。だが、失敗だけは絶対に許さないぞ。失敗したら今の地位はないと思え」
「必ずやり遂げてみせます。………つかぬことを伺いますが、なぜあの小娘に執着するのですか?私には普通の獣人としか思えません。過去に獣人の生け捕りに失敗したことが何度かありましたが、ここまで狼狽なさったことは」
「自惚れるな。貴様は一介の雑兵に過ぎん。民に慕われ勘違いしたか?下の者は従順であればいい。余計な詮索はするな。そうすればいずれ隠し事をする側になれるぞ」
「………申し訳ございません」
深々と頭を下げ続けるゲオルにジルベール博士はフンと鼻を鳴らし、約束の獣人を連れて来るために研究室の奥の部屋へと入っていった。
ゲオルはジルベール博士の完全に奥の部屋へと入り見えなくなったのをチラリと確認すると、下げ続けた凝った首をほぐすためゴリゴリと首を回し始める。
「あ〜疲れるわ」
そんなことを呟いていると、後ろでゲオルと、同じ様に膝を付いた姿勢のサモアドが苛立った声で話しかけてくる。
「隊長、いつまであいつの言いなりになるつもりですか?」
「耐えろ。あいつは顔が利く。我々がこうやって民から羨望の眼差しを受けるエリート部隊でやっていけてるのは奴が後ろ盾になっているからだ。
不祥事の揉み消しや、民からの信頼を得られる楽な仕事の斡旋。それらをたまに獣人を引き渡すだけで受けられる。こんなに良い話は他にない」
「しかし、この事が明るみに出ればマズいのでは?」
「何故だ?引き渡した獣人は恐らく非道な実験を受けているだろう。もし、人間相手にやっていたのなら、極悪人として語り継がれる可能性もある。だが、人間ではなく獣人だ。
殺すはずの獣人を実は科学の発展に利用していたのなら、それはむしろ善行だろう、違うか?」
「なら、コソコソしなくても堂々と」
「そしたらあの博士が後ろ盾にはならん。堂々としたら業務の一環として処理されてしまう。
ジルベールは何か後ろめたいことがあるからコソコソやってるかもしれないが、そのおかげで我々は奴の優遇を受けているのだ。奴の贔屓を受けるには秘密裏でなければならない。
もし、世間にバレても帝都治安部隊としては科学の発展に協力してるだけで何にも後ろめたいことはなかったで押し通せる。実際にあいつが何をしてるかは知らないからな。
今は帝都治安部隊が民から信頼を得る大事な時期。このタイミングでジルベールの後ろ盾がなくなるのは是が非でも避けなければ。
もう少しの辛抱だ。もう少しで帝都治安部隊は民の味方としてポジションを確立して帝国内での影響力を強められる。それまでの辛抱だ」
サモアドはゲオルの話を聞き、怒りがこみ上げていた。
この男は自分の地位を確立するためにジルベール博士に従っている。
そのおかげで帝都治安部隊は余計な仕事に追われており、そのほとんどを部下が処理しているのだ。
それにゲオルは問題ないと言ったが、実際にジルベール博士とゲオルの取引が明るみに出たら大問題だろう。
内容より癒着していたという事実がマズいのだ。
その事にゲオルが気づいていないわけがない。気付いていたのに語らなかったのだ。
ゲオルが自分の本音の一端を語ったのはサモアドが最近ゲオルに反抗的だったから、自分の考えの一部を伝えることで信頼を得ようという魂胆だろう。
だが、サモアドからしたら、いざという時は全ての責任を押し付けて切り捨てるつもりという考えが、バレた際の対処を語らなかったことにより丸わかりだった。
サモアドの信頼を得ようと、ゲオルがした行動が逆に余計な反感をかってしまったのだ。
「待たせたな。こいつを好きにしていい」
ゲオルとサモアドがコソコソと話し合っていると、奥の部屋から鎖のような物を持ったジルベール博士が戻ってきた。
ジルベール博士が鎖を引くと、鎖に繋がれた者が奥の部屋からよろめきながら帝都治安部隊の前に姿を表す。
鎖に繋がれた首輪を付けた獣人の少女は全身包帯だらけだった。
片目を覆うほど包帯で顔を隠し、腕や足の至る所にも包帯が巻かれている。
片目しか露わになってないその目は焦点があっておらず、表情は感情が感じられないほどなかった。
彼女がジルベール博士の元でどんな目にあっていたのか想像すらしたくない。獣人をよく思わないゲオル達が見ても、そう考えてしまうほど、彼女の成りは酷いものだった。