第29話
盛り上がる帝国軍とは正反対に獣人達はたった1人の女性が登場しただけで、たじろき士気が瓦解していた。
人間は数が多いだけで一人一人は弱い存在、それは獣人にとって常識で、人間側ですらそのことは事実として受け入れている。
数さえ勝っていれば人間より優れているということは獣人にとって心の支えになっていた。
だが、今この場では獣人にとって唯一のアドバンテージが聖女によってあっさりと覆されたのだ、獣人達が怖気づくのも無理はない。
「お、落ち着け!聖女といえど人間だ!」
「で、でも!今の見ただろ!急に爆発したぞ!まるで聖女を攻撃したから神の裁きが!」
「特殊魔法の一種だ!神などいるわけない!」
「そ、そうだ!所詮は人間!どんな魔法か知らないが、動きに注意をすれば問題ない!」
「聖女を討ち取れ!」
一部の獣人がそんなことを口にしながら、聖女に向かって特攻をしかける。
なんの策もない特攻だが、聖女の魔法の正体がわからない現段階では決して間違った作戦ではない。
聖女を打倒することは帝国軍、ひいては人類に勝利することに同義なのだ。
聖女の魔法の正体がわからないなら、あれこれ策を弄するのでなく、対処が間に合わなくなるまで攻撃し続ける。
自らの命を顧みない捨て身の攻撃だが、この状況ではひとつの手だ。
だが、獣人達には大きな誤算があった。
聖女は圧倒的な力を持ってして、今の人類の偶像たる立ち位置を手に入れたのだ。
「………哀れな獣。だけど、安心して。この私が直接手を下し、その穢れた魂を浄化する」
聖女は迫りくる獣人を嫌悪感を込めて目つきで見やりながらそう口にする。
この言葉は獣人をバカにしているのでも煽っているのでもない。心の底がそう思っているのだ。
そして、聖女は腰につけた剣に手をかけ、居合斬りの要領で迫りくる獣人に向けて剣を横一文字にに振るった。
だが、獣人達とはまだ距離があり、その剣は獣人に触れることなく空を切ってしまう。
傍から見たら空振ったようにしか見えないその行動だが、振るわれた剣の先にいた獣人達は剣には触れていないにも関わらず、上半身と下半身を分けるように切り裂かれた。
一人や二人でない。聖女に特攻をしかけていた獣人も、聖女に背を向けて逃げる獣人も、物陰に隠れてやり過ごそうとする獣人も、無惨に真っ二つに別れてしまったのだ。
一番遠くで切り裂かれた獣人は聖女から1kmほど遠くにおり、聖女の前方1kmの範囲にいた獣人のほとんどが一瞬で死んでいった。
圧倒的な虐殺だが、聖女の攻撃の恐ろしさは範囲だけでない。
剣の先にいた広範囲の獣人が切り裂かれただけなら、剣の先から斬撃のような物が放たれだけだと普通な思うが、聖女は獣人のみを攻撃したのだ。
捕らえられて獣人に囲まれていた人間は周囲にいた獣人のみが死に、遮蔽物や家に隠れていた獣人は遮蔽物や家を一切傷がついていないのに死んでいった。
少なくとも人間達から見える範囲にいた獣人があっという間に一掃され、一瞬の静寂があった後にどこからともなく帝国兵士から歓喜の声が上がる。
「………アーメリ」
聖女が歓声のなかそう呟くと聖女の後ろに付き従うように付いてきていた女性の聖騎士隊員が地図を持ちながら近づいて来た。
「1時の方向100mほど先に1人。見たところ死体しかないので死んだふりをしていると推測できます。11時と10時の方向にある家に何人かいます。地図に印をつけました。それと、12時の方向900mほど先にまっすぐにげているのが1人います」
その言葉を受けて聖女が何度が剣を振ると、女性の聖騎士隊員が告げた位置にいた獣人が次々と切り裂かれていった。
「お見事です。今ので特攻してきた獣人は壊滅しました。ただ12時の方向に逃走していた獣人は取り逃したようです。もう聖女様の攻撃は届かないところまで逃げられました」
「………その方向なら包囲網の中だ、問題ない。他は?」
「村の中心に集まっています。恐らく、特攻隊が道を開けて、避難するために集まった非戦闘員かと」
「わらわらと数が多い…獣じゃなくてごきぶりみたい。
よし。では、前進。一匹残らず殲滅する。アーメリ、君の魔法には頼りにしているよ」
「はい。大丈夫です、一匹も逃がしません」
村人が次々と殺されていく中、村長は1人で村の外まで繋がる隠し通路を走っていた。
この通路は帝都にも知られてない、村長とその妻のみが知る秘密の通路。この通路なら村の外まで問題なく出られるはずだった。
「どうしてだ!何故、ここにいる!この通路は帝都にも知られてない秘密の通路なんだぞ!」
隠し通路は一本道で村長の前に出口から進軍してきた帝国軍が立ち塞がったのだ。
一方の鉢合わせした帝国軍、帝都治安部隊の現隊長であるサモアドは村長の発言に困惑していた。
「帝都に知られてない?それはどういうことだ?」
「それによく見れば帝都治安部隊の紋章を付けている奴もいるじゃないか!運び屋ごときが裏切りやがって!」
「帝都治安部隊を知ってる?それに運び屋?」
「とぼけやがって、人間が!殺してやる!」
村長はサモアドの話を聞かずに襲いかかってき、サモアドは聞きたいこともあったが手加減する余裕もなく、仕方なしに村長を斬りつける。
村長は獣人であるがため、かなり俊敏な動きだったが、軍人であるサモアドと闘ったことなど一度もない村長では経験や訓練に差がありすぎた。
村長はサモアドにあっさりと斬られと、そのまま恨み言を残しながら地に倒れ伏す。
「………何なんだよ」
そうぼやくが村長はすでに意識はなく、答えは得られない。
サモアドがモヤモヤとした気持ちを抱えていると、サモアドの後方に控えていた1人の女性騎士が一歩前に出て口を開いた。
「サモアド殿。その獣の言う事に心当たりはありますか?」
「エーメリさん………いえ、全く」
サモアドに話しかけたのは聖騎士隊のエーメリという名の女性騎士だ。
双子であるアーメリと2人で聖女の後ろに常に付き従っており、聖女の側近の聖騎士隊として民衆に広く知れ渡っている。
いつも2人でワンセットで有名な双子だが、今回の作戦ではアーメリが聖女に付き、エーメリはサモアド率いる別働隊に同行していた。
「キルヒェン公国は獣人に対する措置法案を可決させることを条件に帝国に特別な恩情をかけています。今は帝都のみ条例という形ですが、いずれは帝国全土に適用させると、あなたの国の皇帝は約束しました。獣の戯れ言など私も本気にはしていませんが…もしも、獣と手を組むようなことがあれば私達の庇護下にある全ての国、つまり世界中が敵になる。そう肝に命じてください」
「………もちろんです。陛下もきっと同じお考えでしょう」
「人間ならばそれが当然です」
サモアドは口にはしないが、その内心は不満気であった。
獣人を蔑ろにすることに何も不満はないが、聖騎士隊が立場が上であるようなその物言いにサモアドは少しだけムカついたのだ。
「ところでエーメリさん。よくこの通路を見つけましたね。入口は巧妙に隠されていました。そもそもこの通路ってエーメリさんが案内してくれましたっけ」
サモアドは話題を逸らすのと、ちょっとした意趣返しの意味も込めてそう言うと、エーメリは少しだけ困ったような表情を見せたが、すぐに何でもないような声色で答えた。
「私の魔法です」
「魔法ですか」
「探知魔法と聖女様は呼ばれています。名前の通り効果は探知。この村程度の広さなら地形や建物の構造などを確実に知ることができます。隠し通路など、私の魔法の前では無意味」
「………それは、また…すごいですね」
「でもわかるのは地形や構造だけ。どこに誰がいるかはわからない」
「充分ですよ。構造がわかってるのとわかってないのとではかなりの差があるじゃないですか」
「いえ、私達は聖女様が率いる部隊。最強でならなくてはならない。付け入る隙のない最強の部隊。でも、どう足掻いても私にないものはないまま。だから、私に足りないものをアーメリが補ってくれているのです」
「補う?」
「アーメリの魔法は誰がどの位置にいるかを知ることができる探知魔法。アーメリがわかるのは人や獣人などの知的生物のみ。逆に私がわかるのは命のない建物や大地のことのみ。つまり、私達は2人で完璧に状況を知ることができる。
そして、範囲内なら壁越しにでも自由に攻撃できる聖女様と連携する。まさに死角のない最強の組み合わせだと思わない?」
「………」
「ちょっと話し過ぎたかな…そろそろ行きましょう?」
「………あ、あぁ。行こう」
サモアドも聖女は神に愛された存在だと聞いていたが、それは宗教的な意味合いだと思っていたが、今の話を聞き、あながち間違いでもない感じていた。
聖女と側近の双子は1人1人が強力な魔法を使え、連携すると考えうる限り最強の組み合わせを誇る。
偶然にしては行き過ぎており、聖騎士隊は名前だけの部隊でないことを証明している。
だが、あまりにも強大過ぎて、サモアドは敵でないにも関わらず寒気すら感じていた。




