第11話
クラー率いる帝都治安部隊の別働隊は街に向かって森を進むが、理性がない足手まといが1人いるせいで、その行進速度は遅い。
そして、ゆっくりとした進行の先頭を歩くクラーは目に見えて苛立っていた。
そんなクラーに部下達は少し距離を置いている。今この場にいるのは皆クラーより立場が弱く、苛立ったクラーは部下への八つ当たりがひどいのだ。
クラーは基本的に強い者には怯えるが、弱い者にはかなり強気に出る性質があった。
日頃のストレスは部下に当たるため、ほとんど部下からは実力を認められつつもその評判はよくない。
そんなクラーが苛立ちを隠せずに、ガリガリと爪を噛みながらブツブツと何事かを言っているのだ。部下が距離をとるのも無理のないことだった。
「あのクソサモアドのゴミクズが。いっつもいっつもバカにして…折角あの八方美人隊長がチャンスをくれたのにいちゃもんつけやがって。………それもこれも全部…」
ブツブツと何かを呟いていたクラーが唐突に立ち止まり、後ろを歩く部下の方に振り向いた。
急に振り向いたクラーに部下はギクリと体を揺らし身構えるが、そんな部下の反応にクラーはさらに苛立ちを募らせる。
「クソッ、どいつもこいつも」
クラーが舌打ちをしてから部下の方に歩み寄っていき、できれば全力で逃げたい部下達だったが、そういうわけにもいかず緊張した顔付きで近付いてくるクラーを待ち受ける。
クラーはゲオルやサモアド達の前にいる時のオドオドした姿からは想像のつかないほど堂々たる足取りで騎士の元に歩み寄ってきた。
「………ク、クラーさん?どうなさいました?」
騎士がクラーに声をかけるが、クラーはそれを無視し、用があると思ってた騎士の間を掻き分けて歩き続ける。
騎士達は絡まれることを恐れて、クラーの進む道を空けるように体を動かした。
そして出来上がった騎士の道の先には、首輪により理性を奪われたミアがおり、クラーはミアの目の前まで来ると足を止める。
「………全部…お前が、お前が逃げたせいだ!獣の分際で!」
クラーは怒声と共にミアの顔面を殴る。ミアは殴られたことでよろめくが、理性がないせいかその表情に変化はない。
痛がる素振りを見せないミアに癪が触ったのか、クラーが再び殴ろうと腕を振り上げるが、その腕を振り下ろす前に近くにいた騎士に腕を掴まれてしまう。
「マズイですって!隊長に言われたこと忘れたんですか!?前回はこいつを死にかけるまで痛めつけたせいで余裕がなくなったんですよ!」
「こいつが逃げなきゃいいだけじゃない!」
「いやいやいや、ダメですってば!仮に逃さなかったとしても怪我させた時点で過ちを繰り返してるんですよ!逃げなかったら結果的にはいいかもしれませんが、そういうことじゃないんです!隊長は自制心を試してるんですよ!」
「………チッ。そんぐらい私だってわかってるわよ」
クラーが渋々といった風だったが、部下の説得に応じてその拳を下ろした。
周囲の騎士がホッと胸をなでおろすが、当のクラーはまだ納得がいっていないらしく、不機嫌そうに顔を歪めている。
「ダメ。やっぱりこのままだと私の気が治まらない」
そう呟きミアの髪を掴んだクラーに、部下は呆れながらも間を割って止めに入る。
「クラーさん!本当にいい加減にしてくださいよ!」
「大丈夫よ、怪我はさせない」
「なら、その掴んでる髪を離してください。というか信用できません。さっきも気が治まらないとか言ってたじゃないですか」
「別に私の鬱憤を晴らすのに暴力である必要がないと思っただけよ」
「………はぁ」
「こんなにむさ苦しい男共と無抵抗でか弱い女の子が人気のない夜の森にいるのよ。ねぇ」
クラーが意味ありげに言ったことの真意を察した騎士達が目に見えて動揺してざわつき始める。
確かにミアは可愛らしいが、まだ少女だ。ミアが仮に人間だとしても騎士達はそのような目でミアを見ることはなかっただろう。
それに彼らは騎士。帝都治安部隊に配属されて汚れてしまったが、彼らも元々は民を憂う騎士道精神に満ち溢れた清らかな心を持っていたのだ。
帝都治安部隊として悪事に手を染めたこともあるが、それは仕事として仕方がなくであり、自ら必要のない悪事をするほど彼らは堕ちていなかった。
「いや…クラーさん?本気、ですか?」
「本気よ」
「………大前提としてこれには首輪の効果で理性がない。実行してもダメージはありませんよ」
「私の気持ちの問題だから。これに取り返しのつかないことをしたという事実が重要なの」
「それ以前に獣人相手じゃ流石に我々もその気にならないというか」
「耳と尻尾さえ気にしなければ人間相手と一緒。
正直になりなさいよ。あのクソ隊長のせいで休む暇もなく働いてるのに表に出ないから暇な部隊と他の騎士にバカにされ、美味しいところは全部隊長に持って行かれる。………たまには役得があってもいいんじゃない?」
クラーの誘惑に騎士達は押し黙る。隊長への不満と日々の激務に疲れた体と頭が判断を鈍らせ、僅かに残った騎士の誇りが揺らぎ始める。
だが、彼らは相手が幼い獣人であるという事実になんとか踏み止まっていた。
「………これは獣人。どんな扱いをしても誰も責めない。それに獣人じゃなければこんな少女との機会なんて今後絶対にないわよ」
騎士の反応にあと一息だと確信したクラーが、踏み止まらせていた幼い獣人の少女という要因で誘惑をかけた。
踏み止まる要因が逆に誘惑の要因となったことに騎士達は大きく揺らぎ、そしてついに1人の騎士が前に出てしまう。
「………おい」
同僚が声をかけるが、彼は止まらずに歩き続ける。
その向かう先にはミアが理性をなくした状態で立っていた。
「悪い。今まで黙っていたが、俺ロリコンなんだ」
彼はミアの元への歩みを止めずに後ろにいる仲間にそう言う。
普通ならドン引きする台詞だが、大多数の騎士達はその台詞をさらなる誘惑と受け取り、より一層心を揺さぶられる結果となってしまった。
(こいつら全員堕ちるのも時間の問題ね。所詮は騎士の誇りなんて自己満足。仲間がうまい汁を吸ってるのに自分だけぐたらないプライドで吸えないなんて我慢できるわけがない)
こうなればクラーは勝手に繰り広げられるであろうショーを見物するだけで、クラーの溜まり溜まった鬱憤は綺麗サッパリ晴れるだろう。
クラーはミアの末路を思い笑みをこぼしながら、ミアの元に歩く騎士に視線を向けた。
だが、あることに気がついたクラーは笑みを消し、眉間に皺を寄せて怪訝そうな顔をする。
視線を向けた先にいる騎士の周囲の空間が歪んでいるのだ。
そして、クラーが空間の歪みに気づいた次の瞬間、ミアの元に歩く騎士の体は横に吹き飛ばされていた。
突然のことにクラーや騎士達が呆気にとられる中、吹き飛んだ騎士は体を地面に何度もバウンドさせながらも勢いは落ちることなく吹き飛び続け、そして森の大樹の一本に衝突することにより、ようやく止まった。
だが、勢いよく大樹に衝突した騎士は、トマトを壁に投げつけたかのように破裂し、辺りに赤い液体とぶよぶよの塊を撒き散らす結果となる。
あまりにも凄惨な光景だが、呆然としていた騎士達はすぐに立ち直り、周囲を警戒し始めた。
吹き飛ぶ直前に起きた空間の歪みは魔法使いである騎士達には心当たりがあったのだ。
あの歪みは衝撃魔法という名前の通り衝撃を放つ魔法によって生じるものであり、威力の大小はあるものの魔法が使えれば誰もが使える基本的な魔法の1つである。
そのため、彼らは魔法使いの攻撃を受けたと判断し、即座に身構えたのだった。
だが、彼らが必要以上に警戒心を現にしたのは何も敵が魔法使いだからというわけだからではない。
衝撃魔法は本来、相手を少しよろめかせる程度の威力なのだ。
人を吹き飛ばし、バラバラにする程の威力の衝撃魔法など帝都治安部隊でも使える者はいないだろう。
それどころが、そんな威力で衝撃魔法を放つことができることを彼らは今まで考えたことすらなく、実物を見ることをなかったら有り得ないと一蹴したはずだ。
つまり、帝都治安部隊達は今までにない魔法力を誇る敵がおり、彼らはそんな強大な敵に立ち向かうべく陣形を組み始めた。