十三話 正体
詳細としては、交際しているいないに関わらず、一組の男女がそうと思われる行動をしたらカップルと見なされる。そして、トレインジャックから始まる悲劇が起こるのだと。
それ以降のことは“絶望的な出来事”としか記されていなかったが、おそらく私達が経験したことに続くのだろう。
「……殺される……」
不穏なその言葉を反芻し、私はぶるりと震えた。忘れ得ぬ死の気配が背面をざらりと撫で上げる。
運転手が姿を消し、剥岩さんの脅威も一時的に去ったと見ていいだろう。だが、もしもこの都市伝説が本当のことだとすれば、私達は金城妙子に殺されることになる。おそらく彼女は、村上一郎とその浮気相手を私達二人に重ねている。これは、復讐なのだ。
そう考えてから、はたと思い返す。
「……待って。でも、どうやって……?」
金城妙子は四十年以上も前に死んでいる。そんな人間が他人を殺せるというのだろうか。――ただ、可能性があるとしたらひとつ。
起き上がって隣を見れば、剥岩さんは細めた目で私を見ていた。人を見下すような、呆れたようなその顔で、彼は溜め息をつく。
「この状況で、ここまで読んでわからないわけ? あんた、運転手の声聞いたんだよな? だったらわかるだろ」
「……彼女があの運転手に乗り移ってる……ってことですよね?」
「それ以外に何があるの?」
「いや、だって……そんな非科学的な話……」
いくらなんでもそんなおかしな話があるものか。
心霊番組などでそういった話を耳にすることはあるが、実際に経験したことはない。その上、証明もできないのなら、それを信じるのは難しいことだ。
「じゃあ他の線でもあるっていうの?」
「……それは……わかりませんけど……」
「大体、映画にしか出てこないようなゾンビがいる時点で充分非科学的だろうが」
「…………」
確かに彼の言う通りだった。ぐうの音も出ない。
どのみち、私はあの運転手に殺されるのか。生きられると思ったのに。やっぱり、昨日の時点で剥岩さんに殺されていれば良かった。後悔の念が私を襲う。
ナイフで体を貫かれるにしろ、首を絞められるにしろ、痛みからも苦しみからも逃れられない。だが、そうするのは人間である剥岩さんだ。
何度も味わった絶望に屈しそうになった、その時だった。思考に、一筋の光が射したのだ。
「……これ、私達が逃げきればどうにかなりませんか? 今なら脱出できる可能性もあります。運転室なら足台になるものはあるでしょうし、そこから扉を開ければ……!」
希望だと思った。私は早口にまくし立てる。
昨日、運転室と客席を隔てるガラスが割れた。窓枠に残ったガラスを取り除けば、安全にその先へ行くことができるだろう。あとは運転手の座席等を足台にし、頭上の扉を開ける。
私達が協力すれば、ここから脱出することは不可能ではないはずだ。だが、返ってきた反応は私の期待していたものではなかった。
「……あんたはなんでそう重要なことを忘れるんだ……」
それは納得ではなく、唖然。
重要なこととは何なのか、思い当たる節がない。思考を巡らせていると、剥岩さんは続けた。
「一両目には運転手がいる。それわかって言ってんの?」
「わかってますよ。私、そこまでバカじゃ――」
「いや、あんたはバカだよ」
「な……」
即座に否定され、私は言葉を失った。だが、彼が零したのは確かな真実。
「襲われることに関しては、仲良くしてようがしてなかろうが関係ない。事実、あんたが襲われたのはひとりで一両目に行った時だっただろ。脱出する間に殺されたら何の意味もねぇよ」
そうだった。つまり、私達が喧嘩しているように見せかけて一両目へ行ったとしても、襲われる可能性はあるということだ。
だが、すぐに新たな光が見えた。どうやら今日の私は冴えているようだ。危うい策かとも思ったが、僅かに芽生えた希望に頬が緩んでいく。
「でも、運転手はゾンビです。脳を破壊すれば勝機はあるんじゃ……?」
「……話になんねぇな。映画はフィクションだ。大体、銃は無いし、あったとしても素人には扱えない」
「それはそうですけど……。あ、でもほら、棒とか……どうです? なんだったらナイフでも……」
「まさか、このスタンションポール使うとか言い出すんじゃないだろうな」
「だって、他に棒なんて見当たりませんし……」
スタンションポールとは、立ち乗りの乗客がつかまるために設置された、直立している棒のことである。
「……だったら横転の衝撃で外れたヤツでも探してこい。ナイフにしてもそうだ。あんなんじゃ、致命傷は与えられない」
名案とも思えた策は、全て剥岩さんの正論の前に叩き潰される。
彼はチッと盛大に舌打ちをして、今までにないほど深く長い溜め息をつくと、脱力したように言い放った。
「……まぁ、いいんじゃない? あんたがひとりでやる分には、俺は何も言わないよ」
「な……。剥岩さん、あなただってここから出たいんでしょう? だったら……」
初めに、私と協力して脱出すると言ったのは剥岩さんだ。なのに、ここで諦めるというのか。
それに、何度も私をバカだと言った彼のことだ。私の案が実現不可能なものだと言うなら、自分で的確な策をとればいい。……と思ったのだが。
「あれ……」
ふと思った。そういえば、剥岩さんは一度たりとも脱出の方法を述べていない。脱出が不可能だという理由なら幾つも並べていたが。嫌な予感がした。――まさか、彼は。
剥岩さんはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「これは俺の推測だが、この環境をつくったのは彼女自身。環境自体が既に非科学的なんだよ。現実ではない、幻を見せられてると言ってもいい。それなら、いろいろと納得がいくだろう?」
「…………」
現実的ではないが、それが事実なら、救助が来ないことも電波が圏外であることも頷ける。
さらに、電車が一本も通っていないということも、脱線事故のニュースが無いということも、剥岩さんの嘘ではなかったのだという証明になる。
なんだか上手く丸めこまれたような気もするが、彼の言葉には説得力があった。だが、ということはつまり。
「……妙子さんの復讐が終わらないなら、私達って……まさか、一生このまま……?」
「まぁ、俺の推測が正しければな。だから、脱出なんて無駄な悪足掻きってことだ」
話が途切れ、沈黙が訪れる。あたりに広がった空気は、私に重くのしかかった。
彼の言ったことが本当なら、ここに抜け道はひとつも無い。希望は打ち砕かれた。私達が殺されるのは、運命。
「……この話はこれで終わりだ。ここからは俺の話」
剥岩さんの手が、奪うような動作で携帯を攫っていく。乱暴に放られたそれは、放物線を描いてリュックの中へと吸い込まれた。
――やっぱりそうだ。私は気がついてしまった。
画面メモに保存してある都市伝説サイトのページ。横転した後には電波が圏外となっていた携帯。
つまり、彼は横転する前からこのことを知っていた。近くに女性さえいれば、彼はいつでもこの悪夢を起こせる状況にいたのだ。
そして、武装集団が二両目へ入ってくる前に彼が囁いた一言。
――……気をつけろ。
やっぱり、剥岩さんは最初から全てを知っていたのか。そうか。だから、脱出の方法を考える必要もなかった。
頭を強く殴られたような気分だった。
「…………剥岩さん……あなた、私を利用したんですね……」
「…………」
「あなたの話っていうのも、こんなことを起こした目的について……」
剥岩さんは笑顔のまま、黙っていた。無言は肯定の意。私の言ったことは、おそらく図星だったのだろう。
だが、ひとつ疑問が残る。彼は、殺されるとわかっていてこの悪夢を起こしたということだ。そんな自殺行為、誰が好きこのんでやるというのか。
「なんでこんなこと……」
「俺、ゲームが死ぬほど好きなんだよ」
私の視線を受けて、剥岩さんは唐突にそんなことを言った。
「……ゲーム?」
何の話かわからず、聞き返した私に彼は一言。
「向こうで話そう」
立てた親指が示した先には、一両目へと続く扉があった。




