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 荒くなった呼吸を整えるために一度深く息を吸い込む。

 その行為が役にたったのかどうかは定かではないが、ほんの少しばかり気が晴れた気がする。

 状況はあまりに異質で理解の範疇を越えていた。まさに超常現象としかいいようのない未知の事態。

 相変わらず周囲は霧に覆われ数件先が見えて精々。そこから先はぼんやりとした輪郭で、文字などはほとんど識別できないほどだ。

「大丈夫か?」

 気分が落ち着いてきた頃合いを見て、隣の少女を気遣う。

 正直なところ今の今まで気遣う余裕はなかった。

 今時分男は女をなんてものは時代遅れな考えだと黎一自身思う。けれど申し訳ないと思う部分を否定しようとは思わない。

「なんとか」

 深い呼吸を数度繰り返すと落ち着ついたようで、返す言葉に乱れは感じなかった。

 頼りなげな印象の少女は思った以上に体力があるのかもしれない。

「早めに移動しよう」

「わかりました」

 しっかりとした頷きを確認し、動き出そうとして小さな驚きを耳にする。

 背後に化け物がいるのかと思い見ると、谺が視線を下に向けて一点を見つめていた。

 その視線を辿ると、そこには黎一に握られた谺の手。髪色同様、白い手はまさしく陶磁のようだ。しかししっかりとした体温は感じられた。そしてなんとなく汗を掻いているなと思ったとき――。

「あ」

 谺はびっくりした声を出して手を引く。

「あ、これは別にイヤだとかそういうわけじゃなくてですね、だたびっくりしたというかおどろいたというか――」

「大丈夫だ。気にする余裕も場合でもないからな」

 一人であたふたする谺を尻目に物陰から通りを覗き込む。

 この状況はとても幸いとは言い辛いが、通りに人影は見えない。もっとも霧越しに見える範囲でとしかいえないため、なんとも心許ない話だった。

「目的地は俺の家だとしても、今いるところがどこだかわからないとどうにもならんな」

 もう一度周囲を確認してからリュックを漁る。

 中身が少なかったこともあって目当ての品はすぐに見つかる。

「地図、ですね」

 広げたところで覗き込んだ谺が呟く。

 そう。黎一が取り出したのは自宅までの地図である。困ったことに不動産に相談し契約したまではいいものの、実物を見ずに契約した結果がこれだ。寝食さえできればいいという最低条件での契約。それによって下調べなどせず地図を貰うだけで終わらせてしまったのが運のつき。

「わからん」

 受け取った地図はそれはそれは簡易なものだった。

 バスの停留所があり、学校があり、商店街があるのはわかる。その付近に自宅と書かれたそれは言わば子供のラクガキ。縮図がどの程度か見当もつかないので距離感は当てにならない。何より商店街をマルで囲ってあるだけでどこに何があるのかを明記していない。

「そういえば資料を漁っても出てこなかったな」

 不動産の担当が分厚いファイルを何冊も捲っていたのに最後まで出てこなかったことを思い出した。

 思えばその時点でおかしかったのだ。

「わかりました」

「は?」

 突然谺がふんすと鼻息を荒くする。

「ここからそう遠くはありませんよ」

「なんでわかる」

「よーく見てください。一応目印は書かれてます」

 言われて目を糸のように細くして見る。

 マルに囲まれた商店街の下あたりに数件の名前が読める。

「パン屋? クリーニング屋? あとなんだこれ」

「駄菓子屋です」

「読めねぇよ」

 狙ったかのような小さな文字である。

「ん? ってことはパン屋はここか」

 横にある看板にはパンの文字が連なっている。

 他にパン屋があるかもしれないが有力な手掛かりだった。

「斜之のパン屋はここだけです。ここのクロワッサンはとっても美味しいんです。冷めても美味しいのですがやはり焼きたてです。登校時間を合わせれば――」

「いい。いい。今はその情報は必要じゃない」

 嬉々として語り始めた谺を諌める。

「他に見落とした情報はないのか?」

 紙面を隈なく――それこそ穴が開くくらい睨むと右下に小さい文字を発見。それに従ってリュックを漁ると指先に少し硬めの感触があった。

「あった」

 それは物件を映した写真。

 どうやら道案内を地図で済まそうとした代わりに、担当が物件を見つけやすいようにと忍ばせていたらしい。

「あ、これ知ってます」

「マジか」

「ですですっ」

 コクコク。

「道案内頼んだ」

「不肖、日比野にお任せ――をっ!?」

 意気込んで飛び出した谺。その瞬間にバターンと盛大な音を立てる。

 片足で止まる谺の足元にはアルミだかスチールだかわからない看板が突き飛ばされたように倒れていた。

 静まり返った霧の中で何かが蠢くのを感じる。

 その正体を察した黎一は像のようになった谺の手を引いて駆け出す。

「お前はドジっ子か!」

「ご、ごめんなさぁいっ」



「頭いてぇ……」

 若干の頭痛を感じて頭を抑える黎一。

 その原因は意味不明な霧でも仮面の化け物でもない。

(俺の想像してたのと違う)

「うぅ……」

 頭痛の原因は、板張りの塀に背を預けて体育座りする日比野谺という少女だった。

 絶賛反省中の白い少女こと谺は、隠密行動がちょっと苦手……いや少し……というか全くできない性分らしい。らしいというかそういう星の下に生まれたといっても過言じゃないような気がする。

 空き缶があれば蹴飛ばす。隠れようと奥に入れば生垣をガサガサさせる。ノボリを顔に引っ掛けて悲鳴を上げたときはさすがに駄目かと思ったくらいだ。

 どうも仮面着き――呼称がないと不便――は耳は機能しているが目は機能していないようだった。目視されたという場面でも追ってくることはなく、行動するときは音を立てたときのみだったので気づくことができた。

 それを実証するために何度となく接近遭遇を繰り返したのは他でもない谺のうっかり。決して褒められたものではない。

「ともあれここまでこれたわけだが……」

 塀から覗き込んだ先――そこには写真にあった自宅ことアパート。

 紆余曲折あって目前まで近づくことができた。

「たくさんいますね」

「誰のせいだ、誰の」

「ふえぇぇぇん」

 もちろん谺の騒音で引きつけられたトレイン状態の産物だった。

「泣くな気づかれる」

「うぅ、はい……」

「それにしてもかなりの数だぞ」

 ここに至るまでの間に遭遇した全てがここにいるとは思えない。だとすると会敵した個体以上に同様の仮面着きがいると考えられる。

(こんな田舎に得体の知れないものがウヨウヨしてるのか?)

 考えただけで虫唾が走る。

「谺はあんなのが彷徨ってるの知ってたか?」

「あんなのいるなんて知りませんよ!? 知ってたら外なんか出ません。ひがな引き籠って一生を終えます。ヒッキーにイッペンの悔いなしです!」

 それはそれでどうなんだろう。

「っと駄弁ってる場合じゃないな。誰かさんが大声出したからこっちにくる」

「ええ!? 私のせいですか!?」

「強行突破だな」

「え。あそこに突っ込むんですか?」

「それ以外にないだろ。他にあてがあるのか?」

「ないです……」

 しょんぼりする谺の肩を掴み、

「行くぞ」

 そして飛び出していく黎一。

「お、おいて行かないでくださいぃ!」

 慌てて追いかける谺。

 アパートまで数十メートル。道幅は車が擦れ違うのにギリギリといった程度。その間にいる仮面着きは五。

 走り抜けるには無理があった。

「谺は俺の背中だけを見て必死についてこい。それ以外は見るな」

「無茶言わないでください!」

「じゃあバイオレンスは覚悟しろよ?」

「日比野の目は今から黎一さんの背中が世界です」

 何を言ってるのかわからないが、とりあえず谺の了解を得て仮面着きへ向かって行く。

 最初は助走もついた状態から飛び蹴りを放ち、後方へと転がっていく。着地すると横合いから待っていたかのように手が伸びてくるも、しゃがみ込んでの回し蹴りで壁へ叩きつけた。二体同時に迫ってくる片方にリュックを投げつけ視界を塞ぎ、もう一体の脇腹へ命一杯引き絞った蹴りを入れると、視界を塞がれた仮面着きを巻き込んで倒れる。

「黎一さん!」

 その声が聞こえたのと背後から掴みかかられたのはほぼ同時。倒される前に体を捻って仮面着きの腹部に両足の裏をめり込ませる。

「ぐあっ!?」

 後頭部をぶつけて明滅しながら腹筋、背筋、そして下半身の筋力を総動員して体を伸ばす。その結果、仮面着きの腹部に刺さる両足がさながら弓あるいは投石器のように、仮面着きを吹き飛ばした。

「大丈夫ですか!」

「助かった」

 差し出された手に起こされた黎一は急いでアパートの二階へ駆け上がる。

 目的のドアの前に着いた瞬間に思い出した。

「やべぇ、鍵リュックの中だ」

 階段方向に目をやると覚束ない足取りで上ってくる仮面着き。

 戻る余裕はなかった。

 頭を抱えそうになる隣で何やらごそごそ物音を立てている谺。

「あった」

 そう言ってドアノブに突き刺したのは鍵。

 ロックが解除される音がやけに大きく聞こえ――扉は開かれた。

 力加減も忘れて全力で扉を閉める。

 古いアパートであることを思い出してドアノブが壊れていないか恐る恐る確認。

 思わず溜め息。幸い安堵の方である。

「た、助かったぞ」

「ど、どういたしまして」

 互いに顔を見合わせて笑みを浮かべる。

「これで安全なんだよな?」

「……何か忘れているような」

「おい、なんだよ思い出せよ!」

 顎に人差し指を当てて思案する谺。

 そこへドアをノックというかベタベタという気持ちの悪い音が響く。

「えーとなんだっけ?」

「ちょ、早くしろよ」

 明らかにドアの向こうには仮面着きがいる。それは一体だけではなく複数。

 一縷の望みをかけて鍵をかける黎一。

「んー喉に小骨が刺さってる感じ……」

「いいから思い出せ!」

「あ、そうか秋刀魚だ」

「そっちじゃねぇよ! 小骨の正体はどうでもいい!」

 背を押しつけてるドアが強打される。ミシミシと不安に駆られる音が耳に届く。バリケードとしてはあまり時間を稼げないだろう。

「思い出した、ひかり!」

「秋刀魚の次はなんだ! コハダか、アジか、イワシか!?」

「光り物じゃなくて光――ライト、明かり点けるの!」

 谺は部屋に上がって明かりを点けようと昔ながらの紐の点灯装置を引く。

 しかし――。

「点かないよ!?」

「ブレーカー上げろ!」

 ドアが悲鳴を上げるように、乾いた音を立てた。見やった箇所がササクレて歪む。今にも破られそうなダメージを物語っていた。

(入居初日でドア大破とかどんなだよ!)

 そんなことを思っている間に谺は転がるようにしてブレーカーを上げ、再度紐を引く。

「点いた!」

 パッと明るくなり目に刺激を覚えて瞼を閉じる。

 叩く音も瞬く間に消え、気配すら波が引いて行くように遠くなっていくのがわかる。

「助かっ、た?」

「みたい、です」

 緊張の糸が切れて座り込む黎一。

 谺も腰が抜けたようになっていた。

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