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「失礼しましたー」

 軽い調子で立てつけの悪い引き戸を締める。

 少年が出てきたのは目的地と定めていた職員室だ。女学生が言っていたように玄関から入った右手の廊下の先にあった。

 職員室には数人の教師がデスクワークを行い、訪れた少年に首を傾げていた。その中で一人の教師が反応を示し、話はその教師に通して一通りの手続きは完了したのだった。向こうとしては明日訪れるものと思っていたようで、少年は苦笑交じりに「朝は弱いので」と頭を掻いた。幸いにもその教師は新米らしく、少年の言葉に説教じみたことを言うのではなく同意していたくらいだ。もしかすると学生時代は同じような経験をしていたのかもしれない。

 とりあえず手続きは終了したので一安心。明日の朝にはもう一度職員室を訪ねる必要があるとはいえ、担任に引率されて教室へ向かうだけ。時間に急かされる登校は回避されたも同然だった。

 貴重な朝の時間を憂いなく使えることに気をよくして、この町での拠点であるアパートへ向かうことにした。

 靴を履き替え、いざ外に。

「?」

 何気なく聞こえてきた物音に首を傾げる。

 校舎に入ってから、というか敷地に入ってから学生の姿をほとんど見ていない。第一学生集団以降、廊下を歩く生徒などおらず、気配すらないのは不思議に思う。放課後といえば独特の解放感に浸りつつ、部活に青春を注いだり、仲間達と遅くまで駄弁ったりするのではないか。

 ふと職員室から出る際に言われた言葉があった。

『遅くなる前――サイレンが鳴る前に帰りなさい』

 どうもこの町は定時になるとサイレンで報せるらしい。

 まさか十代後半で反抗的な学生までもがそれに従っているとは思えない。思えないが少なくとも校舎内に抗って残る気配は感じなかった。

 少年は訝しみつつ、おそらく唯一の居残り学生の顔を拝もうと下駄箱陰から覗き込み……その顔というか目が合う。

「あ」

 その居残り生徒は先程の――白い女生徒だった。

「おお、反抗的学生」

「反抗的?」

「こっちの話、気にしないで」

 思わず口に出てしまった。

「帰んないの?」

「えっと、それはー」

 別れてからそれなりに経っている。時間にして二、三十分くらいだろう。あれから何かをしていたというなら別だが、どうにもそんな雰囲気ではなかった。

「ところで何年生?」

「二年です」

 横目で下駄箱の学年を確認。女学生がいたのは一年の下駄箱だった。

「そっか、それじゃ俺と同じだ」

 女学生が何かしらの反応をしているが、少年はそれを視界に収めずに適当に話を合わせる。視線は目まぐるしく動き、そのうち一点に定められる。

「そ、それじゃ――え」

 動き出した拍子に足元がおろそかになっていた。靴を履き替えるためのスノコに足を取られて前のめりに倒れる……寸前に手を伸ばして突っ張る。

 咄嗟の行動に女学生は目を見開き、少年は今の状態を冷静に判断。

 下駄箱に背を預けた女学生の顔の横に片手を突き出し、顔は割と至近距離。

 これはいわゆる「壁ドン」なる行為に該当するのではないだろうか。

「おっと失礼」

 素早く身を離し片手での謝罪。軽い謝罪に見えるが仕方がない。

 もう片方の手は塞がっているのだから。

「それと失礼ついでにこれ」

「あ、私の……」

 差し出したのは一足の靴。少年の懸念していた汚れ《・・》はないようだった。

 どこか縮こまるようにする女学生は靴を受け取ると履き替え、少年に向けて頭を下げる。

「ありがとうございます」

「どーいたしまして。それじゃこれで」

「ま、待ってください」

 さっさと外へ行こうとするのを呼び止められる。

「あの、その、ありがとうございました」

「うん、それは聞いた」

「あわわ、そうなんですけど、そうじゃなくて――」

 一人で慌て始める様子を少年は特別急かすわけでもなく見守る。

 それから数十秒あたふたしたのち、

「一緒に帰りませんか!?」

 顔を赤くして力みながら誘われた。



 沈みかけの夕陽に作られた影は二つ。

 色濃くとても長く伸びていた。

「あの、えっと……転校生さんの家はどちらですか?」

「商店街の近く」

「それじゃ学校が近いんですね」

「通学には便利だね」

「えっと、あの……」

 学校を後にしてから女学生は何かと話題を振っていた。

 大人しい印象となんら変わらない声量。

 脈絡のある会話になってはいるのだが、どことなく言葉の端々に必死さが滲んで見えるのは気のせいではないだろう。

「転校生さんはいつから登校なんですか?」

「あのさ、転校生だって言ったっけ?」

「いいえ。でも学校で見たことなかったので。あれ、すみません、もしかして在校生の方でしたか?」

 急に不安になったのか窺うように上目遣い。見上げてくる女学生の目は夕日に照らされているせいか、燃えるように赤く見えた。

「いんや、転校生で正解。登校は明日から」

「そうでしたか。よかったぁ」

 ほっと胸を撫で下ろす。そこまで安堵するようなことではないと思う。

 しばらく歩いていた最中、女学生が声を上げる。

「そういえば自己紹介していませんでした」

 そうして立ち止まる女学生に少年も倣う。

「私、日比野谺ひびのこだまって言います。斜之高校の二年生です」

「そっか、よろしくヒビノさん」

「よろしくお願いします」

「……」

「……」

「……」

「転校生さんも名乗ってください!」

 おお、と少年が目を丸くする。

「そんな声も出せるんだな」

「ひゃ、そ、それは、ごめんなさい」

 恥ずかしそうに俯き、髪の間から覗く耳は色づいていた。

「はは、別に謝ることじゃないだろ。そうだな俺も名乗るか。俺は駿河黎一するがれいいち。明日から斜之高校の二年だ」

 満足か、と尋ねるように視線を向けると女学生は笑みを浮かべた。

 日比野谺の浮かべた笑顔はなんというか、ふにゃっとしたものだった。はにかむと形容するのが一番近しい表現かもしれない。自然か不自然かといえば不自然。それというのも笑うための表情筋が遅れて反応したかのようなぎこちなさがあった。

「知り合いついでに不躾一ついいかな?」

「はい、どうぞどうぞ」

 笑顔で両手を差し出すように促され、黎一は思ったことを口にする。

「変わった髪の色してるけど両親は外国の人?」

 その瞬間、谺の表情は強張った。

 もちろん黎一はその反応を予想していたし、気にしているのもわかっていた。それでも黎一は言葉を続ける。

「夕日でわかんないけど、目の色も赤っぽい気がするんだよね。染めてるとかカラコンしてるとかなら納得するけど、実際はどうなの?」

 興味本位で訊いていると判断されるに値する言動。

 偏見で物を言っていると思われても仕方ないと黎一自身が考える。それでも彼にとっては訊いておきたいことだった。

「……です」

 表情こそ強張ったままだった谺が恐る恐る言葉を紡ぐ。

「これは……生まれつき……です」

「へぇー」

「転校生さん……じゃなかった、駿河さんの言う通りです。おかしいですよね。髪は白くて目なんて真っ赤なんです。どうせならみんなと同じく生まれたかったです。でも生んでくれた両親には感謝していて、でもこんな姿じゃなくてもいいんじゃないかって思わなくもないです」

 そのあとに、何が言いたいんでしょう、と首を傾げる姿に黎一は噴き出した。

「いいんじゃないか?」

「……え?」

「みんなと違くたっていいだろ」

「でも……」

「虐められるって?」

 再度表情を強張らせる谺。

 そしてきごちなく、しかししっかりと首を縦に振った。

「やっぱり見てたんですね」

「どうしてそう思うの?」

「最初に見た人の反応は決まって驚くか、気味悪がります」

「俺の感性がずれてるだけかもよ?」

「だとしてもです。それに私、何をとは言ってませんよ?」

「一本とられたなぁ。正直に話すと見てたのは最後の方だけだよ」

「そうですか」

「話を戻すけど見た目なんて所詮見た目だよ。確かに重要だけど肝心なのはその人間がどんなやつかだ。ヒビノさんは髪が白くて目が赤い。けどどう見たって不良には見えない。実際不良じゃないんだろ?」

「も、もちろんです!」

 胸の前で両手で握り拳を作って頷く。

「なら普通にしてればいい。学校で虐めに遭ってるなら友達に助けを乞えばいい。助けてくれるだろ」

「……いません、友達」

「おおぉ」

 ほんの少し、本当に頭を抱えそうになる。

 そこを必死で抑えて逡巡。

「よし、それなら俺が友達になろう」

「本当ですか!?」

 がしっと手を掴まれ、たじろぐ。

 びっくりするほど澄んだ二つの赤い目に自分の顔が映っていた。

「お、おお。こっちに知り合いはいないし、友達の一人もいないと生活に潤いがないだろうしな。もちろんヒビノさんが迷惑じゃな――」

「迷惑じゃないです!」

「そ、そっか」

 被せるように言う谺に気圧されつつ、頭を掻くと一つ小さな溜め息。

「よろしくな、ヒビノさん」

「谺」

「ん、ああ、ヒビノさんの名前ね。わかってるよ」

「違います。名前で呼んでください。私は黎一さんって呼びます」

 なにやら決意と期待に満ちた顔だった。

 特に拒否する理由はない。

「わかった。よろしく谺」

 そして手を差し出す。

 親交の証としての握手。

 意図したことを察した谺はふにゃっとした笑顔を浮かべ、

「よろしくお願いします、黎一さん」

 握り返そうとしたときそれは鳴り響いた。

 けたたましく、鼓膜を叩き割らんとするような過剰ともいえる大騒音。まるで消防車が鳴らす警報音を思わせるその音は、大気を振るわせ思わず耳を塞がなければいけない程だった。

 火事かと思い黎一は耳を塞ぎつつも周囲を見回す。

 しかし夕闇に立ち上る黒煙など見当たらず、まして警報を鳴らしているはずの消防車の姿は見当たらない。どうやら警報を鳴らしているのは消防車ではないらしい。

 そこにふとした違和感。

(人がいない……?)

 黎一達がいるのは商店街。

 夕刻の商店街ともなれば普通は夕飯の食材を探す人で溢れているはずだ。それなのに客どころか店主の姿すら見当たらない。さらに言えば見える範囲の商店は全てシャッターが下りていた。閉店するには随分と早い時間だ。一、二件程度なら何も思わないが、これはさすがに異常としか思えなかった。

「じ、時間!」

 その声にハッとして谺を見る。

 白い少女は手首に巻いた腕時計を見つめていた。

「時間?」

「ど、どうしよう……黎一さんは転校してきてわからないのに、私がしっかりしないといけなかったのに、サイレンが鳴ったら……ここからじゃ私の家は……近くに……」

「おい!」

 何かを探すように見回す谺の腕を掴む。

 小刻みに震え、ただでさえ白い肌から血の気が引いているのがわかる。

「どうしたんだ、谺」

「あ、黎一、さん……?」

 肩を揺すると焦点の定まっていなかった目が黎一を捉える。

「落ち着け。深呼吸してから答えろ」

 言われた通りに谺は深く息を吐き出す。

「何を焦ってるんだ?」

「外にいてはいけないんです」

「なぜ?」

「そういうものなんです」

 要点を得ない答え。

 それでも話を進める。

「さっきのサイレンはなんだ?」

「時間を教えているんです」

「なんの時間だ」

「外にいてはいけないって」

 思い返すと職員室でもサイレンが鳴る前に帰れと言われていた。

 どうやらサイレンが鳴る前に室内にいないといけないという、暗黙の了解がこの町にはあるらしい。

 夜の帳が下りるまで時間はあり、昨今夜に働くことも珍しくない。それだけ長閑だと言えるのならば幸せなことではある。

 けれども谺を見る限りそうではないようだ。

「もしも外にいたらどうなる?」

「そ、それは……わかりません」

 谺の表情は嘘をついている様子はない。

 だがその顔つきは明らかに怯えを含んでいた。まるで厳しい父親に定められた門限を破ってしまうかのように。

 何かよくない予感がすると、脳が体に訴えてくる。それを理解や納得するよりも早く行動に移す。

「俺の家が近くにある。室内ならどこでもいいのか?」

「は、はい、だいじょぶです」

「その後、どうすればいいかわかるか?」

「はい、わかります」

「よし行くぞ――!?」

 自宅へ案内しようと振り返ると、そこは一面知らない光景が広がっていた。

 正確には商店街であるのは間違いない。見える店舗も先程と全く同じ位置で同じ佇まいだ。違うのはそれらを内包している世界自体。

 どこからともなく現れた白い霧のようなものが、視界に広がりを見せると数軒先の看板の文字が霞み始める。

 だんだんと濃さを増していく霧から喘ぐように頭上を見上げると、そこに空はなかった。先程まで遠くの山の付近夜には藍色が広がっていたが、頭上を染めていたのはオレンジだった。なのに今は白く霞んで何色をしているのか判然としない。

「一体なにが……?」

「黎一さんっ」

 谺に服を引かれて見れば、霧の向こうに人影が見えた。

 ゆらゆら、ずるずる、ゆらゆら、ずるずる――。

 陽炎のように揺らめくそれは人。

 揺らめいているように見えたのは覚束ない足取りだったからだ。

 そして近づいてくる姿をはっきりと目視した瞬間に――冷や汗が噴き出した。

「ひっ!」

 谺が喉を引き攣らせる。

 黎一は乾いた喉を潤すために出てこない唾液を嚥下しようとする。

 目前まで接近していたのは人、らしい。

 姿は間違いなく人間のそれ。しかし顔に狐の面をつけ、くり抜かれた目の部分から濁った目が忙しなく彷徨い動いている。顎には得体の知れない体液を垂れながして、ずるずると耳障りな音――力の入らない足を引き摺るようにして歩いていた。

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