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 目に映る全てが夕日に染まる町並みが後方へと流れて行く。

 哀愁漂うような、感傷に浸るのも悪くないと思わせる雰囲気に少年は景色を眺めていた。

 自身の乗るバスは旧式でエンジンが前方に搭載されたボンネットバス。

 トンネルを抜けた先、車窓から遠方に見える風景は古式ゆかしい木造建築が多く見受けられる。そのほとんどが平屋であり、二階建ての家などほとんど見当たらない。それこそ昭和の時代へタイムスリップしてしまったと言われても納得してしまうだろう。

 バスが向かっているのは田舎としか形容のしようがない町である。

 幸いなのは道がきちんと舗装されていることで、下手にバスが揺れないことだ。田舎といえばひたすらに砂利道が行く手を阻んでいるのを想像してしまうが特に問題ない走行で現在まで至っている。

 そうしてアナウンスが少年の目指していた町の名を告げる。

『まもなく斜之ななし町。お荷物のお忘れなきよう――』

 しばらくしてバスは停留所へと速度を落として止まる。

 少年は荷物であるリュックを肩掛けして出口へと向かう。

「なあ、あんた」

 軽く謝辞を述べた少年がまさに降車しようとした矢先、運転手が呼び止める。

「この町のモンじゃないだろ。何しにきたんだ?」

 一番最初に降りる客を呼び止めると後続に迷惑だろうと少年は逡巡する。しかし乗客は自分一人であったことを思い出して会話を続けることにした。

「どういう意味ですか?」

「この町に観光産業はないし、かといって目立った特産もないぞこの町は。それにあんたみたいな若いモンが一人でくるのは不思議なんだよ」

 そうなんですか、と曖昧に首を傾げる少年の風貌は撫でつけたような黒髪に長身。けれども大人びているという風でもなくどことなく快活な印象が感じられる程度。

 運転手がいう町についての情報は少年の知るところではないが、確かに特別な理由でもないと少年一人というのは気になるだろう。とはいえ少年にはそれに十分な理由が用意されている。

「転校してきたんです」

「転校?」

 眉間に皺が寄り、顔が微かに傾く。

「両親は遠方にいるので、自分だけ先にきたんです。これから住む土地に早めに慣れたくて」

「へぇ、そうなのかい。がんばりなよ」

「はい」

 運転手の声に背中を押され、数時間ぶりの地面に足を下ろす。

 長時間座りっ放しだったせいか、体のあちこちが凝り固まっている。気休め程度に筋肉を解そうと揉んでいる間にバスはエンジンを吹かして発進していった。

 それを見送り短く息を吐き出すと、視線は地面に広がる影に向けられる。

 影は停留所の待合場所から伸びるものではない。近場に建物はなく、周囲に見えるのは長閑のどかな田園風景。つまりは少年の足元に影を伸ばすものなどない。

 そこから更に視線を遠方へ向けると見える白い建造物がある。

 どこまでも横に広がり向こう側が見えず、どこまでも高く、オレンジに染まりつつも空との境界線を引くそれは壁だ。漠然とそこに存在し、なんの目的をもって建設されたのか。

「壁の町か」

 こうした壁が用いられるのは外部からの侵入を拒むためのもので、今はともかく何かしらの防衛目的で造られたのだろう。伝聞によればさながら万里の長城のように長距離におよび、町を一つを囲むように築かれているとのこと。いつ誰が築いたのかは判然としないが、そこに存在していることで誰かが造ったという事実だけが認識されている。

「観光産業はない、か」

 全世界でも稀有な景色のはずなのに売り出さないのは不思議な話ではあるものの、一介の学生でしかない少年にとってはどうでもいい話である。

 異様な威圧感を放つ壁を横目に少年はリュックを背負い直し、町へと伸びる道を歩き出した。



 一言でいってしまえば、斜之という町は田舎である。

 見当たる限りの家屋は全て木造の平屋ばかり。

商店も古きよき時代を再現したドラマなどで見る店構えだ。

驚くべきは町中を歩いているときにすれ違った子供の格好が、半袖短パンで手には虫取り網なものだから振り返って見送ってしまった。

 とはいえ今の季節はまだ春。衣替えはまだまだ先だった。

 斜之の地は山に囲まれた盆地ということもあって空気は乾燥し降水量が少ないこと、そしてフェーン現象などが挙げられる。それによって夏になると酷く暑くなるので、時期が合えば当然の格好かもしれない。それでも今は春なのだが。

 少年はポケットに入ったあるものを取り出す。

 手のひらにあるのは鍵。目立った特徴もなく、少し錆びた見た目が年代を感じさせる。それもそのはずで築数十年を誇るアパートの鍵である。これから自分の根城になる部屋のもので、学校まで徒歩二十分圏内、近場に商店街もあるという好立地。築年数は町並みから見ても仕方ない部分だし、他の物件もおそらく似たようなものばかりだろう。

 アパートへの道を眺めて僅かの逡巡。

 踏み出した少年の足は根城とは違う進路をとる。

 平屋ばかりが建ち並ぶ路地をどこまでも真っ直ぐに目的地へ向けて進む。

 途中目に入る家々にはところどころ塗装が剥がれて錆が目立つポストがあったり、手製の棚には盆栽が並んでいる。表札の掲げられた石積みの上で猫が寝息を立てていたりと現代日本において稀少な風景が広がっていた。

 時代錯誤とも言える道を行った先、山の麓に立てられた施設に辿りつく。

「これはまた……」

 少年はそれを見て漏らすように呟く。

 石造りの階段を数段上ると、土で覆われた土地が視界に広がり、最奥には一際存在感を放つそれが少年を迎えた。それは道すがら見てきた家々と同じ木造。屋根には瓦が敷き詰められ、年季の入った横長の板が張り合わされた壁には大きな掛け時計が時間を刻んでいる。

 現存している数はどれほどあるのかはわからないが、文化遺産といっても過言ではない木造校舎を少年は初めて目にしていた。

 近づいてみると壁に使われている板は年季とは言い難く、防腐剤代わりのペンキは落ちて下地が見えている。もはや倒木を思わせる風合い……というよりも部分的には腐っていた。

「まるで心霊スポットだなー」

 見上げた校舎は全体的に老朽化が進み、背後の山に包まれる様は異世界に迷い込んでしまったかのようにさえ思える。そうした思考に感化されたように鴉の鳴き声が聞こえるものだから、何かが出ても不思議と納得してしまえそうだった。

 正面玄関は戸締りされ、来賓用の玄関が見当たらなかった時には徒労感が湧きそうになったが、幸い正面玄関に施錠はされていなかった。

 玄関の隅に置いてあったスリッパを履いて校舎内へ。軋む床や経年による風化が顕著に見ることができる廊下を適当に歩き回る。

 少年の目的は書類の手続きを早急に終わらせてしまうことだった。登校したときに行えばいいという話ではあったが、困ったことに朝はそこまで得意ではない。遅刻せずに登校はできると自負するも、書類などの手続きができるだけの余裕を持てるとは自慢にもならないが言えないのだ。

「……あれ?」

 職員室を探す少年の前には壁が立ちはだかっていた。

「二択を間違えたか」

 玄関から伸びる道は三つあった。

 一つは二階へと向かう階段。

 もう一つは左へと伸びる廊下。

 そしてその向かい――右へと伸びる廊下。

 大概職員室は一階にあるので、最初の選択肢は自然消滅した。残された二択で左を選んだ少年は見事選択を誤ったのだった。

「引き返すか。…………?」

 短く溜め息は吐き出し反転。そのまま歩き出そうとした格好のままで静止する。

 最初は何かの物音だと思ったが、そうではないらしい。

 声。笑い。どこか仄暗い心象が含まれたそれに、少年は眉間に力が入る。

「キャハハ、ウケるんですけどー」

 一室――おそらく教室だろうそこを覗き込んだ瞬間にそんな言葉が耳に届いた。

 室内にいる人数は四人。

 窓から差し込む西日が逆光になりシルエットしかわからないが、同様のスカートを穿いているために女生徒なのだろう。ただ談笑しているにしては立ち位置がどうも不自然に感じる。それはまるで一人を三人が囲むような……。

「ほら、なんか言い返してみなよ」

 唐突に一人がそう挑発的に言い放ち、丁度囲まれているように見えた一人を突き飛ばした。その対象となった女生徒はすぐさま対応することができずに周りにあった机や椅子を巻き込んで倒れてしまった。

「うっわ、ダッセェ。ちゃんと踏ん張れよ」

「あんまおっきな音立てんなよ。こんなとこ見られたら、あたしらがまるで虐めてるみたいじゃん?」

「アハハ、言えてるー」

 チラチラと廊下の方を気にしながら女生徒達が勝手なことを言っている。どこからどう見ても虐めのワンシーンだった。

「ふむ。どうするべきか」

 少年の位置は教室にある出入り口二つのうち後ろ――行き止まり側なので、注意の対象に入っていなかったようだ。こちらの存在は今のところ気づかれた様子は見受けられない。

 助けに入ればヒーロー気取り確定。虐められるヒロインを助けるヒーローに憧れる部分もあるが、女の虐めはかなり苛烈らしい。それが自分に向けられることで助けるのも一つの手だ。しかしそこまでする関係性は今のところ皆無。少年自身そこまでお節介でも世話焼きでもないので、教室に突入する気はさらさらない。だとしてもこのままこの場を去るのも寝覚めが悪いというもの。

「さっさと片付けろよ」

「ショウコインメツってやつだな」

「お、なんか頭いいこと言ってるー」

 品性の欠片もない笑い声が教室内に響く。その声量で誰かが気づいてやってくるとは思わないのだろうかと、変なところで少年は感心してしまう。

「と、そろそろいいか」

 周囲を確認し、息を吸い込む。

「いつまでも居残ってる生徒は早く帰れよー! これから見回るから見つけたやつは宿題増やすぞ―!」

「ヤベェ! 見回りの鍋じゃね!?」

「見つかったらマジで宿題増える!」

「んじゃアタシら帰るから、ヒビノはそれ片付けなよ? そのうち鍋が来るだろうけど!」

 下品な笑い声を上げて女生徒三人がバタバタと喧しい足音を立てて去っていく。

 その様子を掃除用具入れの陰に隠れて見送る少年は頭を掻く。隠れていたとはいえ三人は全くこちらの存在を知ることなく行ってしまった。用心で身を隠したのがバカみたいだった。

「ナベは来ないし宿題も増えないぞーっと」

 面白いように引っ掛かった女生徒に小声でそんなことを言ってみる。

 恐るべきは彼女達の中に該当する人物がいたことだ。本当に宿題を増やす教師がいるとなれば覚えておいた方がいいかもしれない。本名かどうかは別として「宿題を増やす教師ナベ」と少年は記憶に刻むことにした。

「よいしょ」

 不意に聞こえた声に、頭に鍋を被った教師のイメージ映像が霧散する。

 再度覗き込んだ教室では一人残された女生徒が倒れた机を並べ直していた。

 律儀な性格なのか、自分が虐められていた証拠をなかったことにしようとしているのかはわからない。黙々と作業をこなす姿を見ているうちに少年の息が詰まった。

 傾きを強めた夕日に浮かび上がった女生徒の姿は一般的な容姿とはかけ離れていた。虐めの対象となる一番の要因は当然わかりやすい見た目である。しかし女生徒は絶世の美人というわけではなく、醜悪な不細工というわけでもなかった。

「白い……」

 まさにその一言に尽きた。

 それと同時に虐めの対象になる要因として思い至ったことがあった。それは他とは「違う」部分があればいいのだ。容姿の造形とは別に要因となるものは一目で自分達その他大勢とは違う部分があるだけでいい。

 例えば背の高低。

 例えば成績の良し悪し。

 例えば運動神経の有無。

 そして彼女の場合は髪や目の色がその要因となったのだろう。

 燃えるようなオレンジに染まる教室で、長い髪は白だとわかる。染めているにしては艶があり、自己主張などで染色あるいは脱色するほど穿った性格ならば相手の数に関係なく向かって行くはず……。

 がたん、と不自然に音が鳴ったことで思考から意識を戻す。

「あ」

 そう漏らしたのはどちらだったのか。少年だったかもしれないし、女生徒だったのかもしれない。

 ともあれ椅子を片付ける女生徒と少年の目は合った。

「あー、どうも。片付け、中?」

 先に口を開いたのは少年。白々しかったと思う。

「あ、いえ、ちが、そうじゃありますっ」

「どっち?」

 動かしていた机から両手を離し、胸の前で振りまくる。同時に顔も左右に振って髪を振り乱していた。

 先程の出来事を見ていたとは知らないらしく、必死に隠そうとしている様子が見て取れる。出会ったばかりの相手に踏み込んでいく必要はないし、女生徒にとって大きなお世話になってしまっては意味がない。何よりそこまでする義理もない。

「まあどっちでもいいか。えっとこれはそっちかな?」

 何かを言おうとする女生徒を無視して近場の倒れた机を起こす。倒れる様子を見ていたので倒れた机の位置は把握している。指示されなくても僅かな時間で元通りになった。

「助かりました」

「どーいたしまして」

 ニッと歯を見せると、畏まった女生徒は表情を崩した。

「あ、そうだ。つかぬことを伺うけど職員室はあっち?」

 三人組みが走り去った方を指さすと女生徒は頷く。

「玄関の向こう側へ行くとすぐですよ」

「うわぁ、致命的な選択ミス」

 分岐路を間違わなければすでに帰路についていたかもしれないと思うと無駄足感が半端じゃない。とはいえこうして女生徒の手助けをしたと思えば全くの無駄というわけでもないだろう。そう思うことで納得しておく。

「案内しましょうか?」

「いや、いいよ。玄関の向こう側でしょ? そこまで方向音痴じゃないから」

 今の状況は決して方向音痴のせいではない。単に選択肢を間違っただけだ。

「それじゃ」

 軽く手を振って元来た道を引き返そうとする。

「あ、あの!」

「なに?」

「ありがとうございました」

「……お、おう」

「それじゃ!」

 ばたばたばた、と駆け出していった女生徒をポカンとし、我に返るまで数秒。

「どっちの意味だ?」

 おそらく机を片付けたことだとは思う。けれどなんだか裏の部分にも言われたような気もして複雑な心境になってしまうのだった。

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