第7部
そこは人が住んでいる場所だった。
だが、そこにある窓から見るのは森だった。
そう、家が森の中に立っているような感覚でもあり、その場所に森があるような感覚でもある。
しかし、その家の者にとっては、それはただの庭でしかない。
その森は庭園。一歩足を踏み入れれば広大な池があり、その池に橋さえかかっている。これを庭という人はどんな金持ちなのだろうと考えてしまうのはおかしいだろうか?
だが、その庭に負けまいとしたような家というより、屋敷もすごかった。屋敷の建っている総面積とこの庭といわれる森との面積がちょうど同じになりそうなほど広く、それが2階建てなのだからもう、唖然とするしかない。
そしてその玄関から門まで百数メートルほど歩かなければならないようになっており、その百メートルほども森のような庭になっているのだ。
その屋敷の玄関の門に一人の者が立っていた。
しかし、その屋敷の門にはなぜかインターホンのようなものがない。木でできている門、しかも江戸時代にもありそうな門なのであったら何か違和感を感じてしまうのだが……。
どうやってその屋敷に入るのかと見ていると携帯で誰かと話をしているらしい。そのまま、誰かがそのものを迎えに来るわけでもなくスタスタと門を押して入っていった。
その男は物思いにふけっていた。
窓辺においてあるゆらゆらと揺れる椅子、ロッキングチェアに深く座って目を閉じている。
髪は黒く、外にそんなに出ないのか、それとも元々なのか肌は白かった。微かに子供っぽさを残す大人の顔はどこか疲れを残している。
トントンというドアを叩かれる音にその男は目を開けた。
その瞳は強かった。だが、どこかしら弱いところのある瞳だった。それでも、そう簡単に崩れることのない瞳だった。
その男はその屋敷の主。そして男の生まれた賀茂家の現当主。賀茂雪斗、それが彼の名前である。
「あなた? 起きている?お客様だけど……」
そういって入ってきたのは大人っぽさの中に可憐さを残す雪斗の妻になったばかりの神楽だった。
小さなころから体が弱く、海外で手術をして少しは体が強くなった為、この場所に戻ってきて雪斗と結婚した。それでも時々体調が悪くなることがあり、その妻のために雪斗は仕事をこの別荘である屋敷に持ってきては神楽を静養させ、自分は考える時間を持たせてもらっている。
雪斗が目を向ければ神楽の後ろに控えるように琥珀色の髪を持つものが静かに立っていた。
雪斗はふわりと微笑むとその者を迎えた。
「……めんどくさい」
話し終わって最初の一言がそれだった……。
だが、本人がどれほど拒否しようともそれは本人が望まなくてもわかってしまうものだった。しかも、それがわかるのが一人となれば負担は大きくなる。その負担を分かち合えるのなら分かち合いたい。だが、それは俺にはわからないことだ。それは変えられない。そして、代わることもできない。
他人を思いやる思いが強いもの。
それであるくせに似合わない地位につかなければならなかったもの。
それこそ彼にとっては酷な事だったかも知れないが、変えてはならなかった。だから彼は疲れが抜けない。思いやりが彼の決意を揺るがすからだ。それでも彼はその地位を下りない。下りてはならない。下りれば……、それは死をも意味することだ。
「……斗、雪斗」
声に気づけば目の前に同じような酷なる運命を背負う者の指が自分の頬に触れていた。その指は温かかった。母もこうして触れてくれていた。同じように……。
唇は動いているくせにどんなに音を聞こうとしても聞こえなかった。あぁ、読唇術だと……。他人に聞かれないためにそうしてくれているのだと……。
『……強くあれ雪斗。お前は場所を見つけたんだ。思いやりをなくすな。なくせばお前はお前でなくなる。お前の選んだ道は正しい。ずれることもあるだろう、だがお前の思いやりがそれを正してくれる。忘れるな、雪斗。お前はお前の選ぶ道を行けばいい。それがお前の人生になるんだから』
どこまでも俺を気遣ってくれる。当主として他人に励まされることを他の者は是としないものは多い。それをわかってるから読唇術で話しかけてきた。お前にも思いやりがあるよ。お前は認めないかもしれないが……。
以前、聞いたことがあったな。
お前の強さは何なんだ?と……。答えははぐらかされたな。否、知らないといった。わからないと。
お前の強さは記憶のない昔にあるのかもしれないな。お前のその強さはどこから来るんだろうな。お前の信念の強さはどこにあるんだろうな。それも、すべてお前の奥底に封じ込まれているんだろうな。その封印を解くことは、お前に何を与えるのか。
知りたいが、知りたくない。お前を閉じ込めるかもしれないから……。
なぁ、鈴。お前は記憶がほしいか?




