3羽の雄鶏の到着
1
高校時代を過ごした優星学園での日々を、今でもよく覚えている。
優星学園――日本で最も名門とされる高校。全国ランキングの上位を占める生徒が全体の八割にも達する、まさにエリート校だった。
そんな学校の入学試験に合格できたことは、僕にとっても家族にとっても大きな誇りだった。中学時代、何年にもわたって積み重ねてきた努力が、ようやく実を結んだのだ。
自分が優秀な生徒であることを証明し、日本中から集まったトップクラスの連中と肩を並べることになった。
これから始まる三年間は、刺激的でありながら、矛盾するようだが、穏やかな日々でもあってほしい。僕が望んでいたのは、ただ友達を作り、思いっきり楽しみ、勉強に励んで大学へ進学し、建築家になるという夢を叶えることだった。
けれど、物事はそう都合よく進まない。まあ、世の中なんてそんなものだ。
高校生活初日は、当初、ごく普通の一日になるはずだった。
僕と同じように、新入生たちが次々と校門をくぐっていく。あの日ほど学校へ行くのが楽しみだったことは、今まで一度もなかった。
道の両側には桜の木が立ち並び、坂道を覆うように花を咲かせていた。自分でも不思議なくらい、いつになく気分が高揚していた。
校門を通り抜けたところで、礼儀としてイヤホンを外す。そして、しばらくその場に立ち止まり、優星学園の校舎を見上げた。
そこにあったのは、ガラス張りの外壁に覆われた、実に近代的な建物だった。
僕の目には、ただただ圧巻の一言だった。学校の建築に、ここまで心を奪われる日が来るなんて思いもしなかった。
かつての面影を残しているのは、主に石造りの外壁と、正門や玄関ホールにある柱くらいだった。
ふと、視線を横へ向ける。
そこには、今まで見たこともないほど美しい景色が広がっていた。
丘の頂上に建てられた学園からは、街全体を一望できる。思わず写真に収めたくなるような絶景だった。
しばらくその場で景色を眺めた後、僕は学園の中へ足を踏み入れた。せっかくなので、施設を間近で見て回ることにしたのだ。
僕は初めて訪れる場所では、いつもできる限り隅々まで把握するようにしている。後になって迷ったり、困ったりするのは御免だからだ。
まずは、すぐ目の前にあった屋外施設から見て回ることにした。
驚いたことに、そこにはほとんどあらゆるスポーツの設備が整っていた。サッカー、バスケットボール、陸上競技、アーチェリー、野球……。どの施設もきちんと整備されており、かなり近代的だった。
陸上競技場に足を運ぶと、周囲の芝生が見事に手入れされていることに気づいた。芝の長さもちょうどよく、トラックも走るには申し分ない。まるで本格的な競技場のようだった。
僕は数分間、その場に一人で立ち尽くしていた。春風が髪を優しく揺らす。目を閉じ、心地よい風を全身で感じた。
そして、再び目を開けたとき――高校生活で初めて出会う同級生が、そこにいた。
かなりがっしりした体格で、四角張った顔つきの男子だった。彼も僕と同じように陸上競技場を眺めている。
まるで、日本人版アーノルド・シュワルツェネッガーだ。
そう考えると、思わず笑いが込み上げてきた。とはいえ、本人に笑っているところを見られたら、どうなることやら。
見た目からして、怒らせたら顔面をぶん殴られそうな迫力がある。しかも、何年生なのかさえ判断しづらかった。最初は三年生だと思っていたくらいだ。
「おはようございます」
僕は十メートルほど離れた彼に近づき、丁寧に挨拶した。
「おはよう」
彼も挨拶を返してくれた。声にはかなりの張りがあり、どこか威圧感さえあった。
「僕は角田ノブトシ。今日からここに通うことになったんだ。よろしく」
「へえ、俺と同じ一年生で、入学早々こうして新しい学校を見て回ってる奴がいたとはな。せっかくだし、俺も名乗っておくか。黒沢ヒデキだ。よろしくな!」
彼が自分と同じ一年生だと明かした瞬間、僕の頭の中で何かがショートした。
人を見た目だけで判断してはいけない。そう思い知らされた瞬間だった。
「ちょっと失礼なことを聞いてもいいかな……?」
僕は気まずそうに頭をかきながら尋ねた。
「何だよ?」
彼は鋭い目つきでこちらを見た。その視線に、僕は少し怯んでしまう。
「いや……一瞬、三年生かと思ってたんだ」
恐る恐る答える。
「マジで?」
意外にも、彼は大笑いした。安心したような、拍子抜けしたような気分になったが、それでもまだ少し怖かった。
「まあ、気にすんな。そう思われるのは初めてじゃないからな。俺みたいな奴が十五歳だなんて、普通は思わないらしい。中学時代なんて、いじめをしてるんじゃないかとか、ヤクザとつながりがあるんじゃないかとか、疑われたことまであるぜ」
そんなことを疑う連中と比べれば、僕はまだまともな考え方ができる人間らしい。どうやら彼は、自分の見た目を笑いのネタにする余裕もあるようだ。
「みんな、ずいぶん人を疑ってかかるんだね」
僕は場を和ませようとした。
「俺は別に、何を言われようが気にしねえよ。ただし、頭の良さを馬鹿にされるのだけは別だ。俺がこの学校にいるのは、スポーツ推薦のおかげだからな」
彼は自信満々に言い切った。
「心配しないで。僕は人を馬鹿にするようなタイプじゃないから」
「お前、なかなかいい奴じゃねえか。この三年間、仲良くやっていこうぜ!」
「ありがとう。それじゃ、悪いけど、今度は校舎の中を見てくるよ」
そう言って、僕たちは別れた。
最初の印象では、黒沢は少々荒っぽいものの、根は親切な人間のようだった。少なくとも、友達候補としては悪くない。
次に玄関ホールへ向かうと、そこでは新旧の建築様式が見事に共存していた。
床も階段も、昔ながらの木造のまま残されている。一方、靴を収納する下駄箱だけは新しいものに取り替えられていた。
玄関ホールだけが、まるで過去から取り残された小さな空間のようだった。伝統的な建築様式をそのまま維持しているのが、何とも興味深い。
階段を上がると、まるで間違ってタイムマシンに乗ってしまったかのような感覚に陥った。
校舎の奥へ進んでみても、その近代的な造りには驚かされた。
教室には大きなガラス窓が設けられており、廊下の隅々にまで太陽の光が差し込んでいる。机も椅子も、考え得る限り最新式のものだった。
まさか、自分がいつか教室に閉じ込められていたいと思う日が来るなんて、想像もしていなかった。
最後に、屋上へ上がった。
フェンスのそばまで歩き、もう一度景色を眺める。正門から見た景色よりもさらに素晴らしかったが、フェンスが邪魔をして、少々見づらかった。
しばらく何も言わずに立っていると、突然、見知らぬ人物が現れた。
足音が聞こえ、こちらへ近づいてくる気配がしたので、その存在に気づいたのだ。
先ほどの男子と同じように、僕たちは挨拶を交わした。
「俺と同じように、朝早くから新しい学校の施設を見て回ってる奴がいるとはな。感心するよ」
開口一番、相手は鋭い観察眼を見せつけてきた。
「どうして分かったのかって? そりゃ簡単さ。こんな時間から学校に来て、わざわざ校内の教室を一つ一つ確認する奴なんて、普通はいないだろ?」
僕は思わず笑ってしまった。
「実は、さっきも同じ目的で来ていた一年生に会ったよ。かなり体格のいい奴だったけど」
「なるほどな。君も彼も、方向音痴で迷子になりやすいタイプなんじゃないか? そのうち、新入生恒例の洗礼でも受けることになりそうだな」
彼は最後に笑い声を漏らした。
先ほどの男子とは違い、この男にはどこか居心地の悪さを感じた。初対面だというのに、まるで昔からの友人であるかのように馴れ馴れしく冗談を飛ばしてくる。
「いや、それ以上に、秘密の場所を探して悪戯するのが好きなんだよね」
僕はわざと意地悪そうな顔をして答えた。もちろん、相手はあまり気に入らなかったようだ。
「へえ、ずいぶん刺激的な人生を送ってるんだな」
彼は少し調子を取り戻すように言った。
「そうそう。中学最後の日なんて、トイレにトイレットペーパーを詰め込んで、便器を使えなくしてやったよ」
もちろん、真っ赤な嘘だ。
「へえ、そうなのか? 俺なんて、先生たちの手帳を何冊もシュレッダーにかけてやったぜ」
彼もまた、僕と同じように嘘をついていた。
まるで、中学生になりたてのガキ同士が、どちらのほうが悪ぶっているか競い合っているような会話だった。
話の大半は大げさな作り話で、もはや冗談というより荒唐無稽な話に近い。正直、思い出す価値もない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
僕たちは本当は模範的な生徒なのに、その一面を人前で堂々と見せるのが苦手だったのだ。
それから数秒間、僕たちは沈黙した。そして、話題を変えることにした。
「悪い、自己紹介がまだだったな。名前を聞いてもいいか?」
彼が尋ねてきた。
「角田ノブトシだよ」
「俺は皆川ダイチ。よろしく」
「こちらこそ、よろしく」
「どうぞよろしく」
そのとき、校内のあちこちから足音や生徒たちのざわめきが聞こえ始めた。
皆川は僕から視線を外し、校庭のほうを指差した。
いつの間にか、ほかの生徒たちが大勢押し寄せていたのだ。
もし僕たちがもっと早く行動していなかったら、あの人混みに巻き込まれ、入学式に遅刻していたかもしれない。
屋上からは、初登校を迎えた何百人もの生徒たちの笑顔を見渡すことができた。
特に一年生たちは、日本で最も名門とされる学園の入学試験を突破したことに、大きな達成感を覚えているようだった。
中学時代はもう過去のもの。これからは大学進学に向けて準備を始める時期だ。
もっとも、そこにたどり着くまでには、まだ三年もあるのだけれど。
そのとき、校門付近に妙な人だかりができ始めた。
まるで一本の通路でもできたかのように人々が左右へ分かれ、映画スターやアイドルでも登場したかのような歓声が上がっている。
実際に現れたのは、僕たちと同い年の、ごく普通の女子生徒が三人だけだった。
とはいえ、認めざるを得ない。三人ともかなりの美少女だった。誰だって思わず見とれてしまうだろう。
真ん中にいるのが一番背が高く、左側が中くらい、右側が一番小柄だった。
皆川もまた、彼女たちをじっと見つめていた。
「なあ、あの三人って何がそんなに特別なんだ? どうしてみんな、あんな騒いでるんだよ?」
状況が理解できず、僕は尋ねた。
「お前、あの三人を知らないのか?」
皆川は驚いた様子だった。
「日本でトップ三に入る成績優秀者だよ。真ん中にいるのが上田タマホ。グループのリーダー的存在だ。ただし、成績は二位。彼女の左にいる斉藤キョウコが全国一位で、右にいる橋本アカリが三位だ」
「だったら、どうして一位のキョウコがリーダーじゃないんだ? 普通、女子の仲良しグループって、一番頭のいい子が中心になるものじゃないのか?」
「さあな。プライドの問題かもしれない。まあ、そんなことより、そろそろ急いだほうがいい。入学式まで時間がないからな」
皆川は腕時計を確認しながら言った。僕もつられて時計を見た。
屋上を出ると、僕たちは別々の方向へ向かった。
正直、ありがたかった。
先ほどの男子とは違い、ダイチにはどうにも居心地の悪さを感じていたのだ。皮肉っぽく、からかうような態度が、実に癪に障る。
正直に言えば、僕はああいうタイプの人間が大嫌いだった。
僕とは正反対の存在と言ってもいい。
2
屋上から入学式が行われる体育館までは、階段を下りるのに五分ほどかかった。
体育館の入口に近づいたところで、僕は運よく親友の伊佐緒を見つけた。中学時代からの付き合いで、彼もほかの生徒たちと同じように体育館へ向かっているところだった。
「おーい、ノブ! 心配したんだぞ! てっきり、まだ来てないのかと思った!」
僕を見つけるなり、彼は勢いよく声をかけてきた。
「ごめん。早めに来て校内を見て回ってたんだ。まあ、いろいろ寄り道もしたけどね」
「お前って、ほんと変わってるよな」
伊佐緒は笑った。
「慎重なだけだよ。僕は失敗するのが嫌いなんだ。中学一年のとき、お前が間違えて女子トイレに入ったこと、覚えてるか?」
その瞬間、伊佐緒の顔が真っ赤になった。
「あのとき僕がかばってやらなかったら、中学卒業までずっといじめられてたかもしれないぞ」
「そ、それは……そうだけど……」
恥ずかしさで顔を赤くしたまま、彼は口ごもった。
「まあ、誰がそんな昔のこと覚えてるんだよ?」
「結構な人数が覚えてると思うけど」
「と、とにかく! 今から新しい生活が始まるんだ。そんなことはもう忘れようぜ……」
「そうだね。中学時代の知り合いがあまりいないことを祈っておこう」
一見すると、伊佐緒は少し抜けているように見えるかもしれない。けれど、実際にはかなり頭がいい。
何しろ、中学時代は僕に次いで学年二位の成績を収めていたし、日本で最も入学難易度の高い高校の一つである優星学園にも、難なく合格している。
ただし、彼には致命的な弱点があった。
それは、社会性がほとんど欠如していることだ。あまりにも人付き合いが苦手なせいで、知的な問題でも抱えているのではないかと誤解されるほどだった。
しかも、場違いな冗談を口にすることも少なくない。
僕のおかげで、そのあたりはかなり改善されたものの、まだまだ直すべきところは多い。
とはいえ、僕は心理学者でも精神科医でもない。彼の性格を根本から治せるわけではなかった。
やがて、入学式が始まった。
緑色の制服を身にまとった生徒たちが全員立ち上がる。壇上に現れたのは、がっしりとした体格で、白髪交じりの髪に眼鏡をかけた男性だった。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」
校長は挨拶を始めた。
「私は優星学園の校長を務めております、勅使河原ゴロウです。今年もまた、新しい学年を迎えることができました。在校生の皆さんには、これからも日々努力を重ね、それぞれの目標に向かって全力を尽くしてほしいと思います。特に三年生の皆さんは、大学入試に向けて、これまで以上に勉学に励んでください。
そして、新入生の皆さん。毎年恒例ではありますが、皆さんにもいくつかお話ししておきたいことがあります。
新しい生活の始まりにあたり、皆さんの健闘を心から祈っています。どんなことがあっても、決して諦めないでください。
何よりも大切なのは勉強です。もちろん、それ以外のことに時間を使ってはいけないという意味ではありません。しかし、個人的な事情によって学生としての本分をおろそかにしてはいけません。それは最終的に、皆さん自身の将来を損なうことにつながります。
皆さんは、自らの努力によってこの学園に入学する権利を勝ち取ったのです。そのことを誇りに思ってください。そして、自分たちの実力を日本中に示し、この国のさらなる発展に貢献してくれることを期待しています」
その声には、厳格さと同時に、どこか人を安心させるような響きがあった。
少なくとも僕は、校長の言葉を一つ一つ真剣に聞いていた。
校長の挨拶なんて、形式的で退屈なものだと思っていたのに、なぜか彼の話には引き込まれてしまった。
もっとも、ほとんどの生徒たちは完全に無関心だったようだ。
しかし、時間が経つにつれて、このときの言葉が重要な意味を持つことになる。
当時の僕たちは、まだ自分の行動に対する責任も十分に理解していない、ただの子供だった。
勉強をして、楽しい時間を過ごすこと。それだけを考えていたのだ。
3
自分のクラスがどこなのか確認しようと、生徒たちが押し寄せる人混みの中へ、僕は何とか割り込んだ。
そして、ようやく自分の配属先を確認することができた。
僕は一年一組。親友の伊佐緒と、上田さんも同じクラスだった。
一方、皆川さんは斉藤さんと一緒に一年二組。そして、黒沢さんは橋本さんと同じ一年三組だった。
どのクラスも一階に配置されている。
ちなみに、この学園のクラス分けは、ほかの高校とは少し異なっていた。
一クラスの人数は平均二十五人ほどで、完全な抽選によって決められる。そして、毎年メンバーが入れ替わる仕組みになっていた。
学園側の方針は、生徒同士の交流と結束を促すことで、最大限の学習効果を引き出すことだった。
これは校長自身も、何度となく公言していたことだ。
伊佐緒は、今年一年間、僕と同じクラスで過ごせると分かって嬉しかったのか、満面の笑みで僕に抱きついてきた。
それとは対照的だったのが、屋上で皆川と一緒に見かけた三人組だ。
別にひどく落ち込んでいるわけではなかったが、まるで別れを惜しんでいるように見えた。
ふと振り返ったとき、彼女たちの寂しそうな表情が目に入ったのだ。
どうやら、あの三人は本当に仲がいいらしい。まさに一心同体といったところで、爆弾でも落とされない限り離れることはなさそうだった。
教室に入ると、先生が来る前から生徒たちはあちこちで会話を始めていた。
伊佐緒と話していた僕の視界には、三人の女子に囲まれて座っている上田さんの姿が入った。
彼女の周囲には、何人もの女子が集まっていた。
あれだけ大勢に囲まれていたら、普通は鬱陶しく感じてもおかしくない。ところが、上田さんは自然体で、誰に対しても親切に応じていた。
どうやら、優しくて穏やかな性格らしい。
彼女は中学時代の思い出や家族について話していた。
聞こえてきた話によると、かなり裕福な家庭の出身らしく、父親はこの地域でも有数の大企業で、幹部を務めているそうだ。
先生が教室に入ってくると、僕は改めて室内を観察した。
床は灰色のビニール製で、窓は壁一面を占める大きなガラス張りになっている。太陽の光が教室の隅々まで差し込んでいた。
机もかなり近代的だった。白い天板にオレンジ色のPVC製の椅子が組み合わされている。
見た目は少し頼りなさそうだったが、人間工学に基づいて設計されているらしく、座り心地はまったく問題なさそうだった。
先生が自己紹介を始めた。
黒髪のおかっぱ頭をした、若い男性だった。
服装はシンプルで、定番のシャツにジーンズ、先の尖った革靴を合わせている。
名前は鈴木ダイスケ。
僕たちの一年間の担任であり、世界史を担当する教師でもある。
見たところ、気さくで話しやすそうな人だった。
もっとも、感じのいい先生だからといって、甘やかしてくれるとは限らない。
この時点で、僕は警戒を怠るべきではなかった。
4
午後の授業が終わり、昼休みになると、学園の雰囲気は一変した。
廊下では、あの三人組がひときわ目立っていた。
彼女たちが通るたびに、周囲の生徒たちは道を空け、まるで神聖な存在でも崇めるかのように歓声を上げている。
中央に上田さん。その右側に斉藤さん、左側に橋本さん。
「……あの三人、一体何がそんなに特別なんだ?」
僕は心の中で呟いた。
確かに美人だし、成績が優秀なのも間違いない。だけど、ここまで騒ぐほどのことだろうか。
中学時代のことを思い出す。
女子を見ただけで鼻の下を伸ばしていた男子たちの姿が、今でも目に浮かぶ。そんな連中を尻目に、僕は何度か短い交際を経験し、彼らを嫉妬させてきた。
彼らとは違い、僕にはそれなりに相手の心をつかむ器用さがあったのだ。
しかし、そこでふと、屋上で皆川と交わした会話を思い出した。
あの三人は、日本全国でトップクラスの成績を誇る生徒たちなのだ。
競争の激しい日本という国で、彼女たちが注目を集める理由は理解できる。
それでも、スポーツ界のスーパースターや女神のように扱うのは、いくら何でも大げさではないだろうか。
僕は、自分が彼女たちの存在に圧倒されていることを自覚していた。
中学時代、僕は学年トップの座を手に入れるために必死で努力してきた。
日本全国を探せば、自分より優秀な人間がいるだろうとは思っていた。けれど、それが仲良し三人組の女子だなんて、夢にも思わなかった。
彼女たちの視線や歩き方を見れば、今後この学園で最も人気のある女子になることは容易に想像できた。
そして、彼女たちの取り巻きが現れるまで、それほど時間はかからなかった。
突然、眼鏡をかけた男子生徒が上田さんの前に立ちはだかった。皆川とは違い、かなり太った体型をしている。
「こんにちは」
男子生徒は上田さんに声をかけた。
「あなたが何を考えているか、分かってるわ」
上田さんは、汚れきったトイレでも見たかのような嫌悪感を顔に浮かべ、きっぱりと言い放った。
「あなたと付き合うくらいなら、ヒヒとデートするほうがマシね。どうせスマホに同級生の写真を保存して、それで自慰行為でもしているような人間なんでしょう?」
その言葉を浴びた男子生徒は、その場に崩れ落ち、泣き出してしまった。
入学初日から、あまりにも惨めな屈辱を味わったのだ。
しかも、周囲の生徒たちは誰一人として気に留めていなかった。
確かにひどい言葉だった。けれど、どうやら周りの人間も彼女の態度に賛同しているらしい。
今度は、別の太った男子生徒がキョウコの前に現れた。
先ほどの男子と同じような態度で近づいていく。
「こんにちは。実は前から君のことが……」
「はいはい、言いたいことは分かったわ。考えておくわね……なんて、冗談よ!」
キョウコは笑いながら言った。
「あなたみたいな人に、女性が振り向く可能性があるとでも思ってるの?」
彼女は嘲笑を続けた。
結果は、先ほどと同じだった。
二人の男子生徒が打ちのめされ、今後の学園生活で笑いものにされることが確実になってしまった。
僕は、三人目が現れないことを祈った。
しかし、その願いはあっさりと裏切られる。
短髪で、見るからに不快な印象を与える男子生徒がアカリに近づいた。
ところが、彼女は怯えたような表情を浮かべると、まるで目の前に暴漢でも現れたかのように、男子生徒の顔へ催涙スプレーを噴射した。
男子生徒はそのまま地面に倒れ込んだ。
その光景が何を意味するのかは、明白だった。
あの三人は、誰もが憧れる存在であると同時に、決して手の届かない存在なのだ。
それでも、なぜか男たちの欲望をかき立ててしまう。
もし彼女たちの心を射止められる男がいるとすれば、それはきっと、僕たちには理解できないほどの恋愛の才能を持つ超人なのだろう。
5
午後の授業中、僕はずっと考え事をしていた。
幸い、ぼんやりしているところを教師に注意されることはなかった。
僕はこっそりと、同じクラスの上田さんを観察し続けていた。
三人の中で、彼女が一番近くにいる存在だからだ。
彼女は窓側から数えて二列目の、一番後ろから一つ前の席に座っていた。一方、僕は教室の後方中央にいる。
幸運なことに、クラスの大半は授業に集中していなかった。真面目に先生の話を聞き、ノートを取り続けているのは彼女くらいだった。
僕にとっては好都合だった。
彼女に怪しまれることなく、こっそり観察できるのだから。
もっとも、ただ眺めているだけでは意味がない。
彼女のことを徹底的に知る必要がある。弱点だって把握しておきたい。
まるで血の匂いを嗅ぎつけたサメのように、獲物を狙うべきなのだ。
授業が終わると、僕は教室の窓から夕焼けを眺めていた。
校舎の外では、三人組が何かの話で盛り上がり、笑い合っている。
あの三人の絆は相当強い。
もし一人が危険にさらされれば、残りの二人が必ず助けに入るだろう。
まるで蜂の大群に立ち向かうようなものだ。
「どうやら、あの三人を観察しているのは俺だけじゃないみたいだな。しかも、かなり慎重に」
聞き覚えのある男子の声がした。
僕は入口のほうへ顔を向けた。
そこにいたのは、屋上で出会った眼鏡の男子――皆川さんだった。
「僕のことを、ずいぶん誤解しているみたいだね」
僕は訂正した。
「まあ、そうかもしれないな」
彼は得意げな口調で答えた。
「そういえば、今朝はちゃんと自己紹介していなかったな。俺は皆川ダイチ。そこまでは知っているだろうけど、実は中学時代、菊高校で学年トップだったんだ。別にお前を見くびっているわけじゃない。そもそも、お前が名乗る前から正体は知っていたんだが、わざと知らないふりをして驚かせてやろうと思ってな」
「……何の驚き?」
「お前のことなら、よく知っているさ。中学時代、光条心中学で学年一位だっただろ? 惜しかったな。俺との差は、わずか〇・二点だったけどな」
彼は笑った。
正直、かなり腹が立った。
「何だよ、その顔は。もしかして、悔しいのか?」
僕の表情を見て、彼はさらに挑発してきた。
「違う! どうしてみんな、そんなに成績に執着するんだよ? どうして他人の成績まで把握してるんだ? しかも、僕以外の人間はみんな互いに比較し合ってるじゃないか!」
「この国はそういう仕組みで動いているんだよ。ましてや、ここは日本で最も名門とされる学園だ。私立の進学校ともなれば、激しい競争が待っているのは当然だろう。
それに、一つ忠告しておいてやる。
勉強で俺に勝てる可能性はない。それだけじゃないぞ。女を口説く技術でも、お前は俺に敵わない。
俺の頭脳は勉強だけに使われているわけじゃないからな。中学時代には『女たらしの秀才』なんてあだ名まで付けられていたんだぜ」
「僕が童貞に見えるとでも? 中学時代に何人と付き合ったと思ってるんだよ」
「そんな過去の話はどうでもいい。重要なのは今だ。残念だったな。よりによって俺と同じ学校に入ってしまうとは。
あの三人の心を射止めるのは、この俺だ。何しろ、俺の頭脳はお前より優れているからな」
「そう急ぐなよ」
突然、低くて重みのある声が割り込んできた。
教室に入ってきたのは、先ほどスポーツ施設で出会った体格のいい男子――ヒデキだった。
「女の子が男に求めるものは、頭の良さだけじゃない。お前は大切なものを忘れている。そう、肉体だ!」
「肉体だって?」
ダイチは皮肉っぽく笑った。
「そんなものを重視するのは、表面的なことしか見ていない馬鹿だけだろ」
「じゃあ、これはどう説明する?」
黒沢はそう言うと、制服のシャツを脱ぎ、鍛え上げられた腹筋を見せつけた。
「はいはい、ありがとう。クリスティアーノ・ロナウドと鉢合わせしなくて済むと思ってたんだけどな」
皆川はからかうように言った。
「冗談だと思ってるだろうが、これは何年もトレーニングを積み重ねた結果なんだぜ。それに、その眼鏡を見る限り、お前って昔いじめられてたタイプじゃねえの?」
「面白い冗談だな。だが、その推測は完全に間違っている。
もっとも、今の女子が筋肉自慢の男だけを好むわけじゃない、という点については同意してもらいたいものだな」
「何だと!? 俺が中学時代、女子にどれだけモテていたか知らないのか?
弱肉強食の時代には、女は一番強い男を選んでいたんだぞ!」
黒沢は、自分を馬鹿にされるとすぐに熱くなるタイプらしい。
「でも、現代の平均的な女性は、肉体よりも社会的な地位を重視する傾向にあるけどな」
「……二人とも、くだらない言い争いはその辺にしておかないか?」
僕は、完全に蚊帳の外になってしまうのを避けるため、会話に割って入った。
「せっかくだから、お互いに自己紹介したらどうだ? 僕の名前はもう知っているだろうけど、君たち二人はまだだろ?」
「初めまして! 俺は黒沢ヒデキ! この国で最も優れた若手アスリートだ!」
「へえ、興味深いな。少なくとも、知能指数はマイナス三くらいありそうだけど」
皆川がすかさず皮肉を飛ばした。
「てめえ……!」
黒沢は今にも殴りかかりそうだった。
「黒沢さん、そういう態度はやめてくれ」
僕は再び二人を止めた。
「それより、どうして僕たちの会話に割り込んできたんだ?」
「悪い。どうしても口を挟まずにはいられなかったんだ。
実を言うと、俺にもあの三人の心を射止めたいという気持ちがある」
黒沢は少し気まずそうに答えた。
「そりゃ、ずいぶん苦労しそうだな」
皆川が再び黒沢をからかった。
「お前、俺を馬鹿にしてるのか!?」
黒沢が怒鳴った。
「もういい加減にしてくれ!」
僕はまたしても二人を制止した。
「わざわざ自己紹介してもらわなくても、君のことは知っているよ」
皆川が口を開いた。
「ちなみに俺は皆川ダイチ。この国で最も優秀な男子生徒だ。俺は三人のうち誰か一人の心を射止めるだけじゃない。いずれは彼女たちをも超えてみせる」
「この会話から、一つだけ確かなことが分かったな」
僕は二人を見回した。
「僕たち三人とも、あの三人のことが相当気になっている。それも、手が届きそうにない相手だからこそ、余計に惹かれてしまうんだろうね」
「角田さん、君は少し率直すぎるんじゃないか?」
皆川は少し不満そうに言った。
「まあ、否定はしないけどな。
ただ、ここまでの話から考えるに、俺たちには女性を口説く才能がある。それも、まだまだ現役ってことだ。
君たちの目を見れば分かる。二人とも本気なんだろう? 嘘をついている人間なんて、足の不自由な人間より簡単に見抜けるものさ」
「せっかく三人で同じ目標を持っているんだ。ここは一つ、彼女たちを一人ずつ担当するというのはどうだろう?」
僕は提案した。
「冗談じゃねえよ!」
黒沢は大笑いしながら即座に拒否した。
「俺も反対だな」
皆川も同意した。
「ところで、お前たち、彼女たちのあだ名を知っているか? 『チタニウム・トリオ』だ。
中学時代から、告白してきた男子を一人残らず振ってきたことで有名なんだよ。これからも、その犠牲者の数は増え続けるだろうな」
「どうしてだよ? 三人で争う必要がなくなるんだから、全員にとって都合がいいじゃないか」
僕は驚いて尋ねた。
「そんなに簡単に決着がつくと思っているのか?」
「悪いが、俺たちにはプライドがあるんだよ」
皆川が説明した。
「不戦協定なんて、俺たちのような男にとっては侮辱も同然だ。そもそも、自分を恋愛の達人だと思っているのか?
そんなことを言う時点で、今の状況をまったく理解していない証拠だ。
一つの鶏小屋に、二羽以上の雄鶏はいらない。ましてや、俺たちは三人だ。
恋愛というものは、雄鶏の鳴き声と同じようなものさ。周囲の中で、最も目立つことができるのは一羽だけ。
俺たちは伝説になる男たちだ。そして、伝説というものは、不可能に挑戦したときにこそ生まれるんだよ」
「だったら、勝負を提案しようぜ」
黒沢が口を開いた。
「三人のうち、最初に彼女たちの誰かを落とした奴が勝者だ。負けた二人は、この学園にいるほかの女子と付き合う権利も失う。
それだけじゃない。勝者が望むことなら、何でも言うことを聞かなきゃならない」
「面白いじゃないか。俺は賛成だ」
皆川が即座に応じた。
「角田さん、お前はどう思う?」
「僕は、あまり賛成できないんだけど……」
正直、苛立ちを感じていた。
「でも、これが宣戦布告だというのなら、受けて立つよ」
「決まりだな!」
二人は、ほぼ同時に声を上げた。
それぞれ、違うタイミングではあったけれど。
半ば強制的に受け入れさせられたようなものだったが、僕にはほかに選択肢がなかった。
高校生活という、人生の中でも特に輝かしく、刺激的な三年間を、恋人も作らずに過ごすわけにはいかない。
上田さん、斉藤さん、橋本さんの誰かと付き合うことができれば、それは間違いなく最高の成果になるだろう。
もっとも、ほとんど不可能に近い挑戦ではある。
それでも、もし成功すれば、僕の人生における大切な青春時代に、これ以上ない華を添えることになるはずだ。
最初は馬鹿げた話に思えた。
しかし、僕たちのプライドが懸かっている以上、簡単に引き下がるわけにはいかない。もちろん、勉強だっておろそかにはできない。
何よりもつらかったのは、高校生活が始まったばかりだというのに、すでに敵を作ってしまったことだった。
この先、本当に悪夢のような日々が待っているのかもしれない。
あの会話は、三人それぞれが自分の遺書に署名したようなものだった。
そして、その中で最も無謀だったのは、間違いなく僕だ。
そもそも、僕には何の取り柄がある?
皆川は頭脳で勝負する男だ。
黒沢は肉体で勝負する男だ。
では、僕は?
ただの善良な男子高校生にすぎない。何とか自分なりに立ち回っているだけの、平凡な人間だ。
三羽の雄鶏の中で、最も弱いのは僕だった。




