「実りの祭りの豊穣は、私の血のにじむ品種改良の成果ですけれど?」――婚約破棄されて追放された悪役令嬢、ざまぁする気もなく隣国で祭りを豊作にしてしまう
「セレスティア、貴様の“土いじり”はもう見飽きた」
収穫祭前夜。豊穣祭の準備で沸くグラナート王国の大広間で、王太子アルフォンスは高らかにそう言い放ちました。
「次期王妃たる者が畑に膝をつくなど恥さらしだ。婚約は破棄する。豊穣の聖女はミレイユだ」
シャンデリアの光が、彼の金髪を華やかに照らしています。
ざわめく貴族たち。扇の陰で交わされる嘲笑。
私、セレスティア・グランフィールドは、その視線をすべて受け止めながら――内心ではこう思っておりました。
(祈りで麦が実るなら、この五年間の私の苦労はいったい何だったのでしょうね)
殿下の隣には、可憐な男爵令嬢ミレイユ。
「私の祈りで、王国の作物は実りますわ」
儚げに微笑む彼女を見て、私はそっと目を伏せました。
実りますわ、ですって。
この手の豆は、祈りでできたものではございませんのに。
痩せた土壌に堆肥を仕込んだのは私。
寒さに強い麦の品種を五年かけて選抜したのは私。
輪作の暦を村々に配って歩いたのも、この私。
ですが、それを声高に叫んだところで、この方々には届かないのでしょう。
私は前世で、日本の農業試験場の研究員でした。品種改良に人生を捧げ、過労で倒れ、気づけばこの剣と魔法の世界に転生していた身。
土に膝をつくことは、私にとって恥ではなく、誇りでしたのに。
「何とか言ったらどうだ、セレスティア。みっともなく泣き喚くか?」
アルフォンス殿下が、勝ち誇った顔で私を見下ろします。
喚く?
いいえ。
私は、ドレスの裾をつまみ、淡々と一礼いたしました。
「かしこまりました」
それだけ。
広間が、一瞬静まり返りました。
(さあ――それでは、いただくものをいただいて、去るといたしましょうか)
◆
泣くと思っていたのでしょう。すがると思っていたのでしょう。
ですが、私が静かに顔を上げて微笑むと、殿下は逆に一歩たじろぎました。
「それでは、ひとつだけ確認させてくださいませ」
「……なんだ」
「私が管理しておりました種苗と、施肥の記録。あれはお返しいただかなくて結構ですわ」
殿下は鼻で笑いました。
「ふん、土くれの記録などいらん。持って失せろ」
「まあ、ありがとうございます。ではお言葉に甘えて――すべて引き取らせていただきますわね。何せ、あれはすべて私の私財ですので」
私財。
その言葉に、宮廷農務官の一人が、はっと顔色を変えたのが見えました。
(あら、あの方はお気づきになったのね。この国の食を支えていたのが“祈り”ではないと)
ですが、殿下もミレイユも、何ひとつわかってはおりません。
「耐寒麦の種籾。緑肥用の豆。堆肥の配合表。輪作の暦。そして――過去五年分の土壌診断の記録帳」
私は指を折りながら、ひとつずつ数えました。
「これらはすべて、私が私費で集め、私が作り上げたもの。恥さらしな“土いじり”の成果ですわ。不要でいらっしゃるなら、遠慮なく」
背後で、侍女のハンナが震える声を漏らしました。
「お嬢様……」
「ハンナ、泣かなくてよろしいのよ」
「泣いてなんか……っ、お嬢様のお手は、王国で一番尊いお手ですのに……!」
そばかすの浮いた頬を涙で濡らすハンナに、私は微笑みました。
この子だけは、ずっと知っていた。私の手の豆の意味を。
「殿下。豊穣の聖女ミレイユ様の“祈り”で、来年もこの国が豊作でありますよう、心よりお祈り申し上げますわ」
最後にもう一度、深々と一礼。
(祈りだけでね。せいぜい頑張ってくださいませ)
私はドレスを翻し、大広間を後にしました。
背中に浴びる嘲笑を、麦畑を渡る風のように受け流しながら。
◆
数日後。
私が向かったのは、隣国リーゼンガルト。以前から私の農学を高く評価してくれていた、竜人の血を引く辺境伯――ヴォルフ・リーゼンガルト将軍のもとです。
『冷酷な竜将軍』。そう恐れられている御方。
お会いした将軍は、なるほど、長身に角、鋭い金の瞳。威圧感は噂通りでした。
ですが。
「……よく、来てくれた」
差し出された彼の手には、一冊の書物が握られていました。
擦り切れ、ぼろぼろになった――見覚えのある論文。
「これは……私が匿名で発表した、輪作の論文……?」
「貴女の書いたこれを、俺は三年前から、自分で写して村に配っていた」
彼は視線をそらし、ぼそりと言いました。
「辺境の民は、飢えている。何度も凶作に見舞われた。……祈りでは、腹は膨れん」
その一言に、私は胸を打たれました。
(この御方は、わかっていらっしゃる。豊穣が“祈り”ではなく“土と種”から生まれることを)
「来てくれて、助かる」
途切れ途切れの、不器用な言葉。
ですが、それは五年間、誰も私に言ってくれなかった言葉でした。
「――ヴォルフ様。この荒れ地、必ず黄金の麦畑に変えてご覧に入れますわ」
私が微笑むと、竜将軍はなぜか耳まで赤くして、こほんと咳払いをしました。
「……そうか。頼む」
(あら。冷酷な竜将軍が、随分と可愛らしい照れ方をなさること)
私の新しい戦いは、剣ではなく――鍬から始まるのです。
◆
辺境の村。
私はまず、土に触れることから始めました。
土壌診断。緑肥。灌漑路の見直し。そして耐寒麦の播種。
ハンナが村人たちと汗を流し、実働部隊として村と私を繋いでくれます。
ですが、一人だけ、頑なに私を睨む老人がおりました。
種守りのオルグレン老。
「よそ者の令嬢が、新しい農学だと? ふん。わしらの在来種を、なんと心得る」
麻袋を抱えて離さない、しわ深い御方。
私は膝をつき、その袋の中の古い麦粒を、そっと手に取りました。
「――素晴らしい種ですわ」
「なに?」
「この在来種は、この土地の寒さと風を、何百年もかけて生き抜いてきた宝物。私の新しい品種などより、よほど尊いものですわ、オルグレン老」
老人の眼光が、揺れました。
「私は、この土地の種を奪いに来たのではございません。村人自身が良い種を選び、翌年へ繋いでいく。そのための“実りの祭り”を作りたいのです」
「……実りの、祭り?」
「ええ。神に祈るだけの祭りではございません。収穫を記録し、良い種を分かち合い、来年への希望を植える祭りですわ」
オルグレン老は、しばし黙り込み――やがて、しわだらけの手で目元を拭いました。
「……わしは昔、飢饉で家族を失った。あのとき、祈っても、祈っても、誰も救われなんだ」
「ええ」
「“祈りより、種を”。……お前さんの言葉は、わしの信念と同じだ」
こうして、辺境の荒れ地は動き始めました。
そして一年後――
荒れ果てていた大地は、見渡す限りの黄金の麦畑へと変わったのです。
◇
一方、その頃。グラナート王国では。
私が去った途端、畑が枯れ始めておりました。
堆肥は補充されず、輪作の暦は誰も読めず、耐寒麦の種は尽き。
「聖女ミレイユよ! なぜ豊作にならぬ! お前の祈りが足りぬのではないか!」
アルフォンス殿下が、玉座の間で声を荒げます。
追い詰められたミレイユは、ついに耐えかねて叫びました。
「祈りで麦が実るわけ、ないでしょう!?」
「なっ……」
「元々セレスティア様がやっていたことを、私がやってると言えって命じたのは、殿下でしょう!? 私はただ、祈っていただけ! 土のことなんて、何ひとつ知りません!」
凍りつく玉座の間。
「豊穣の聖女なんて、最初から嘘だったんです! セレスティア様の堆肥と、種と、暦があったから、この国は実っていたんです!」
涙ながらに暴露するミレイユ。
殿下の顔から、みるみる血の気が引いていきました。
「そんな……では、あの土いじりが……本当に……」
備蓄は底をつき。
収穫祭は中止の危機。
民は飢え、王国は静かに崩れ始めておりました。
失ってから、ようやく気づく。
それが、あまりにも遅すぎる後悔だったとしても。
◆
リーゼンガルトの「実りの祭り」。
黄金の麦を掲げ、村人たちに慕われる私のもとへ――
一人の男が、恥を忍んで現れました。
かつての婚約者、アルフォンス殿下。
「セレスティア! 戻ってこい! 王国が飢えている! お前の“土いじり”が必要なんだ!」
祭りのざわめきが、ぴたりと止まりました。
私は麦の穂を手に、ゆっくりと振り返ります。
「あら」
静かに、微笑んで。
「五年間“恥さらし”と呼ばれた土いじりが、今さら必要でいらっしゃるの?」
「そ、それは……っ」
「殿下。私、喚きませんでしたわよね。淡々と一礼して、記録も種も、全部“私財”として引き取りましたわよね」
殿下は言葉を失いました。
「支援は、いたしますわ」
「ほ、本当か!」
「――民のために」
私は、まっすぐに彼を見据えました。
「ですが、あなたのためではありませんわ」
王国への食糧支援。それは正式な国家間契約として結びます。
ただし、条件がございます。
「グラナートの村々が、“聖女の祈り頼み”をやめること。そして、農学を学ぶこと。土と種を、自らの手で育てること」
「そんな……聖女の権威が……」
「祈りで麦は実りません。それは、もう殿下がいちばんご存じでしょう?」
二国の食糧を握るキーパーソン。
五年間見向きもされなかった私の価値が、ようやく王国全土に知れ渡った瞬間でした。
(さて。“恥さらしの土いじり”が、国を救うのですから。世の中、わからないものですわね)
殿下は、崩れるようにその場に膝をつきました。
かつて私に「膝をつくなど恥さらしだ」と言い放った、その方が。
泥にまみれた麦畑の畔で、頭を垂れているのです。
(膝をつくことは、恥ではございませんわ、殿下。ようやく、おわかりになりまして?)
私は一礼だけして、彼に背を向けました。
もう、振り返ることもございません。
◆
祭りの喧騒が去った、麦畑の畔。
ヴォルフ様が、なぜか落ち着かない様子で私の隣に立っておりました。
「セレスティア」
「はい、ヴォルフ様」
「……その」
言い淀む竜将軍。角の先まで、真っ赤です。
「祭りの、主役に……いや、その」
擦り切れた私の論文を、ぎゅっと握りしめて。
「ずっと……隣に、いてほしい」
ああ、なんて。
この御方は、感謝も愛情も、いつも途切れ途切れの短い言葉でしか伝えられないのですね。
ですが、その不器用さの一つ一つが、どれほど誠実か。
私は麦の穂を胸に抱き、頷きました。
「――喜んで。ヴォルフ様」
竜将軍は、ほっとしたように、けれど嬉しさを隠しきれずに、そっと私の手を取りました。
土仕事でできた、私の手の豆を。
宝物のように、両手で包んでくださったのです。
◆
それから数ヶ月後。
二国合同の「実りの祭り」。
かつて私を嗤った貴族たちが、私の育てた麦のパンを、夢中で頬張っております。
ハンナが涙ぐみ、オルグレン老が誇らしげに種袋を掲げ、村の子供たちがヴォルフ様の作った麦人形を握りしめて駆け回る。
豊穣は、祈りではなく。
土と、汗と、来年への種から生まれるのです。
「……お嬢様。本当に、良かった」
「ええ、ハンナ。長い道のりでしたわね」
そのとき。
オルグレン老が、そっと私に麻袋を差し出しました。
「セレスティア。……お前さんに、見せたいものがある」
袋の中の、古代種の麦粒。
それに触れた瞬間――
指先に、ぴりりと。
(……これは。魔力……? 麦に、魔力適性が……?)
古びた麦粒が、かすかに金色に輝いていました。
前世の知識にも、この世界の農書にも、こんな麦の記述はございません。
未知。
それは、研究者にとって、何よりも心躍る言葉。
私は、思わず口元をほころばせました。
さて。
「――来年は、どんな新品種を試しましょうか」
風が、黄金の穂を揺らします。
私の“土いじり”は、まだまだ終わりそうにございませんわね。




