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デジタル・コスモロジー:~326万年に一度のグローバル・コミット~  作者: Sevenforest


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第9話:低解像度の境界線

 


 土曜日。雲一つない、完璧にシミュレートされた青空が広がっていた。

 駅のホームに設置された「透過障壁(透過モジュール)」の前で、僕は腕時計の秒針を眺めていた。指定時間の120秒前。改札の方から、聞き慣れた軽やかな足音が近づいてくる。


「カイ君、お待たせ! ……って、やっぱり一秒も遅れないんだね」


 ミオは、白いワンピースの上に、アーカイブの写真でしか見たことがないような古めかしいキャンバス生地のリュックを背負っていた。その姿は、最適化された最新ファッションに身を包んだ周囲の乗客たちの中で、微かな「ノイズ」のように浮いて見えた。


「……当然だ。時間は等しく消費されるリソースだ。無駄にする理由がない」

「あはは、相変わらずだね。じゃあ、行こうか。『共犯者』の遠足に」


 僕たちは、自動運転の高速鉄道――リニア・メトロに乗り込んだ。車内は清潔そのもので、微かな電子音と、管理された空調の匂いだけが漂っている。窓の上部には、乗客の脳波に合わせてパーソナライズされた広告ホログラムが、滑らかなフルカラーで踊っていた。

 この「管理区域」の中心にいる限り、世界はどこまでも美しく、強固な平和を維持しているように見える。


 だが、列車が都市の境界を越え、目的地である山岳地帯へと差し掛かった頃。

 窓の外の景色が、少しずつ「変質」を始めた。


「ねえ、カイ君。……見て。あれ、何?」


 ミオが不安げに指差した窓の向こう。

 遠くに見える稜線が、明らかに不自然な形状をしていた。

 本来なら、初夏の陽光を浴びて複雑な陰影を見せるはずの山々が、ディテールを失い、カクカクとした粗い多角形ポリゴンの集合体に変貌していたのだ。樹木のテクスチャは剥がれ、ただの緑色の塗りつぶしになっている。


「……宇宙OSシステムによる、演算リソースの節約だ」


 僕は窓に額を押し当てるようにして、その「手抜き」の光景を凝視した。

 宇宙という巨大なシステムにとって、パージが決定された地球文明ローカルノードは、もはや維持する価値のない「ゴミデータ」に過ぎない。だから、観測者の少ないエリアから順に、描画レンダリングの予算が削られ、低解像度化している。


 だが、その時、僕はさらに恐ろしい光景を目にした。


「……っ。ミオ、隣の乗客を見てみろ」


 ミオが視線を向ける。僕たちのすぐ隣の席に座る老婦人は、その「ポリゴンの塊」と化した山々を穏やかな表情で眺め、満足そうに目を細めていた。


「あら、今日も山が綺麗ねえ……」


 老婦人は、確かにそう呟いた。

 彼女には見えていないのだ。カクカクとした稜線も、ビット落ちしたような空のノイズも。

 彼女の脳にインストールされた「標準理論(標準パッチ)」が、システムから送られてくる低解像度な情報を、勝手に脳内で「美しい景色」へとアップスケーリングして補完している。彼女が見ているのは、脳が捏造した偽りの高解像度だ。


「……嘘。あんなに崩れてるのに、みんなには『綺麗』に見えてるの?」

「そうだ。僕たちの認知のフィルター(デバッグ)が剥がれ始めているから、僕たちにだけ『生のデータ』が見えてしまっている。……ミオ、これがこの世界の正体だ。僕たちが住んでいるのは、もう崩れかけた、中身のないパンフレットなんだよ」


 ミオの顔から血の気が引いていく。

 自分たちだけが、崩壊していく舞台裏を覗き込んでいる。周囲の乗客たちは、その舞台袖で起きている火災に気づかず、演劇を楽しんでいる観客だ。その圧倒的な認識の乖離が、冷たい沈黙となって僕たちを包み込んだ。


 *


 目的の駅に降り立った瞬間、僕の耳を打ったのは「死んだ風」の音だった。


 駅の周辺は、もはや最低限の演算リソースすら割り振られていない「デッドスポット(演算空白地帯)」だった。

 木々が風に揺れる音を注意深く聴いてみる。

 ……ガサ。ガサガサ。……ガサ。

 それは、五秒周期の完璧なループだった。

 このエリアの気象シミュレーションは既に停止し、宇宙OSはかつて録音されたオーディオデータをただ再生し続けている。

 足元の砂利を蹴っても、音のバリエーションはたった三種類しかない。小石が重力に従って転がる複雑な演算は省かれ、あらかじめ決められた単純な軌道をなぞるだけの「アニメーション」に成り下がっている。


「……気持ち悪い。ねえカイ君、ここ、生きてる場所じゃないみたい」

「ああ。物理法則の演算が間引かれている。宇宙にとって、ここはもう『誰も見ていない場所』なんだ。」


 僕たちは、簡略化された山道を一歩一歩登っていった。

 空の解像度はさらに落ち、太陽の周囲には目に見えるほどの「階調飛び」が発生している。

 そんなスカスカの世界の頂上に、その場所はあった。


 山頂に佇む、白亜のドーム――旧国立天文台。

 かつて人類が、レンズという「物質」を通して宇宙の真実を見ようとしていた場所。


 錆びついた扉を押し開けると、冷えた空気と埃の匂いが鼻を突いた。

 そこには、ホログラムではない、巨大で無骨な天体望遠鏡が鎮座していた。

 宇宙OSによる最適化が届かない、物質としての圧倒的な重み。

 ミオは、懐かしい場所へ戻ってきたかのような足取りで、観測室の棚の奥へと手を伸ばした。


「……あった。これだよ、カイ君」


 彼女の指先に握られていたのは、一枚の円盤状のガラスだった。

 それは火で炙られたように黒く、不均一に煤けていた。

 現代の透過障壁のような、完璧な透明さはない。不純物の塊だ。

 だが、その「汚れ」こそが、この宇宙におけるバグ(例外)なのだ。


「この煤けたガラスを通して見ると、本当の『光』が見える……。アーカイブには、そう書いてあったの」

「……不純物というノイズが、宇宙OSの画像処理アルゴリズムを物理的に混乱させるわけか。論理的には、筋が通っている」


 ミオは震える手で、その不純な窓を太陽へと向けた。


 その瞬間、僕のポケットの中で端末がこれまでにない猛烈な振動を始めた。

 警告画面が、真っ赤なアラートで埋め尽くされる。


『 警告:未知のパケット入力を検知。局所的現実ローカル・リアリティの整合性が臨界点に到達。……シャットダウン・プロセス阻害の恐れ。緊急再演算を開始します 』


「ミオ、待て! それを覗くことは、システムへの直接攻撃に等しい――!」


 僕の制止よりも早く、ミオは片目を閉じ、その「黒い窓」を覗き込んだ。




[SYSTEM LOG]

Local Node Time: 20XX/04/20 13:45

Entropy Injection Rate: 0.042% (Critical Fluctuation Detected)

NEXT GLOBAL COMMIT: 1,275 DAYS REMAINING

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