第8話:不可視の絶望と共犯者
昨日の「試行」の余韻が、まだ脳のバックグラウンド・プロセスで熱を持っている。
放課後の教室。西日が透過障壁の窓を焼き、影を不自然に長く伸ばしている。
僕は一人、端末のログを追っていた。周囲の生徒たちは、標準理論に基づいた「最適化された日常」を謳歌している。進路の話、流行のVRゲーム、放課後のスイーツ。
すべてが予定調和。すべてが完璧。
この世界には、計算外の「汚れ」が一つもない。
「ねーえ、カイ君。また難しい顔して数字と睨めっこ? 目が四角くなっちゃうよ?」
突然、鼓膜に軽快な振動が届いた。
顔を上げると、ミオが僕の席の横で椅子を逆向きに引いて座っていた。背もたれに顎を乗せ、いたずらっぽく僕を覗き込んでいる。
「……ミオか。目は四角くならない。生物学的に不可能な冗談は演算の無駄だ」
「出た、カイ君の『ムダ』攻撃! でもね、その無駄が人生のスパイスなんだよ。はい、これあげる。売店で最後の一つだった『合成イチゴ・グミ』。演算負荷高めの味だよ」
ミオが差し出してきたのは、毒々しいほど赤いグミだった。
僕はそれを無視して、端末の画面をスリープさせようとした。だが、ミオの手が素早く僕の端末を止める。
「昨日の『宇宙のため』っていう話。……もっと詳しく聞かせて。今のカイ君を見てると、さっきのグミよりずっと体に悪そうな顔色してるもん」
僕は溜息をつき、周囲に誰もいないことを確認してから、非公開リポジトリの出力を投影した。
ミオが画面をじっと見つめる。だが、彼女の瞳には何も映っていない。正確には、彼女の脳がその情報を「理解不能なノイズ」としてレンダリングを拒否しているのだ。
「……何か見えるか?」
「ううん。綺麗な砂嵐。テレビの放送終了後みたい。……これが、世界の終わり?」
「あと1277日。宇宙という名のOSは、この世界を『冗長なデッドコード』と判定した。地球文明の消去がスケジュールされている。……信じられるか? 君の目には、ただのノイズにしか見えないはずのこの話を」
僕は問いかけた。
なろう小説の主人公なら、ここで美少女に盲信されても違和感なく受け入れるのがお約束だろう。だが、僕は論理を愛する人間だ。見えないものを信じるという「論理の飛躍」に、正当な理由が欲しかった。
ミオは、しばらく黙って窓の外を眺めていた。
校庭ではサッカー部が練習し、スプリンクラーが計算された軌道で水を撒いている。
「信じるよ。……っていうか、『やっぱりね』って思った」
「やっぱり……?」
「この世界、ずっと気持ち悪かったんだもん。どこを見てもピカピカで、ルールが完璧で、みんなが『正解』に向かって最短距離で歩いてる。民間のガバナンスも、学校の校則も、ISMSだかなんだか知らないけど、管理されすぎてて……まるで『中身のない豪華なパンフレット』の中に住まわされてるみたいでさ」
ミオの言葉は、意外なほど鋭く僕の胸を突いた。
「管理者の顔は見えないのに、失敗することだけは許されない。そんなの、いつか『サービス終了』が来るって言われた方が、ずっと納得感あるよ。カイ君のその必死な顔を見てると、その砂嵐の向こう側に、本当に怖い『真実』があるんだなって確信できるもん」
彼女は僕を盲信しているのではない。
彼女自身がこの「完璧すぎる世界(ガバナンスの極致)」に対して抱いていた直感的な恐怖。それに、僕の持ってきた絶望が、最悪な形で適合してしまったのだ。
「……納得したよ。君は、僕よりもずっと前からこの世界の『綻び』に気づいていたんだな」
「……みんなに教えないの? 『あと三回の冬が来たら、全部消えちゃうよ』って」
「無駄だ。試してみたよ。匿名掲示板やSNSにこのログをアップロードしても、システム上の認知フィルタに弾かれる。あるいは、ただの『デマ』として処理される。標準理論に最適化された彼らの脳は、世界の終わりという『論理的矛盾』を受け付けないようにデバッグされているんだ」
僕は拳を握りしめた。
この真実は、世界に対する違和感を抱えた僕たち二人にしか、正しくレンダリングされない。
「……つまり、この世界でその『仕様』を知ってるのは、私とカイ君だけ?」
「そうだ。僕たちは、この宇宙OSに対する唯一の『共犯者』なんだよ」
共犯者。
その言葉の響きが、ミオの口角を微かに押し上げた。
「えへへ。なんだかラノベみたいな展開で面白くなってきたね? じゃあ、そんな『共犯者二人』で週末、デートしましょうよ」
「デート……? 今、僕たちが置かれている状況を理解しているのか?」
「理解してるから言ってるの! 『あと三回の冬が来たら消えちゃう』なら、一回一回の週末を最大効率で楽しまなきゃ。カイ君の好きな『最適化』でしょ?」
ミオは立ち上がり、くるりと一回転して見せた。
「電車で一時間のところに、古い天文台跡があるの。今はもう演算リソースが絞られてて、誰も近寄らない『デッドスポット』。そこに、アーカイブにあった『煤けたガラス』の残骸があるかもしれないなって」
「天文台か。……現在の天文学はすべてシミュレーションで完結している。物理的な観測装置など、骨董品以下のガラクタだ」
「そのガラクタが、私たちの『存在理由』をハックする鍵になるかもよ? それに、共犯者でしょ? 私たち」
共犯者。
その言葉の響きが、僕の脳内の重苦しい数式を、一瞬だけ軽やかに書き換えた。
「……いいだろう。土曜日の朝、駅の透過障壁の前で。遅刻は1マイクロ秒も認めない」
「了解! じゃあ、予習としてそのイチゴ・グミ、食べておいてね。感想はまた明日!」
ミオは軽やかに手を振って教室を出て行った。
一人残された僕は、机の上に置かれた真っ赤なグミを手に取った。
口に入れると、鼻が曲がるような強烈な人工香料の味がした。
宇宙の最適化からは程遠い、あまりにも非効率で、暴力的なほどの「存在感」。
相変わらず世界は静かで、安定し、そして死に向かっている。
けれど、この不愉快なグミの味と、ミオという予測不能な変数だけが、僕に「生きている」というノイズを突きつけていた。
[SYSTEM LOG]
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