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デジタル・コスモロジー:~326万年に一度のグローバル・コミット~  作者: Sevenforest


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第6話:非決定論的ノイズ




 放課後の物理準備室は、演算の澱み(よどみ)のような静寂に包まれていた。


 西日が、窓から差し込んでいる。

 だが、僕が指先を滑らせているその透明な仕切りは、数世紀前の人々が愛用した『ガラス』という不安定な物質ではない。それは、特定の空間座標に対してシステムが「透過フラグ」と「衝突判定」のプロパティを書き込んだだけの、純粋な論理的境界――透過障壁(透過モジュール)だ。

 不純物もなければ、割れることもない。ただ、向こう側の風景という情報を遮ることなくレンダリングし続けるだけの、無機質な『仕様』。


 僕はその冷たい虚無に背を向け、古い端末の画面を凝視していた。


「……結局、合格ラインなんてものは存在しないのか」


 非公開リポジトリから取得した『Kernel_05_Exception_Handling』のソースコード。そこには、僕が期待していたような「生存のための数値目標」は一切記されていなかった。


 ただ、天城博士の署名と共に、呪いのようなコメントアウトが残されているだけだ。


『 /* 警告:Entropy Injection Rate(EIR)の目標値を設定し、それに向けて最適化された行動をとることは、演算の収束を加速させる。それはシステムにとって最も予測可能な、すなわち「価値のない」デッドコードへの降伏である。 */ 』


 絶望が、胃の奥で重く沈殿する。

 宇宙OSシステムが求めているのは、効率的な救済ではない。あらかじめ定められた『最適解』という名の檻から飛び出す、論理の飛躍……バグだ。

 だが、論理を突き詰め、最短ルートの解を求めることこそが正解だと信じてきた僕にとって、「無意味に、非論理的に動け」という要求は、あまりにも残酷な矛盾だった。


 その時だった。

 端末の隅で、常駐させていた監視スクリプトが微かな警告音アラートを吐いた。

 周囲数メートルの空間複雑度を監視する波形が、不規則なノイズを刻み始めている。


 同時に、僕の脳裏には先ほどまで眺めていた学内サーバーの接続ログがフラッシュバックした。

 昼休みから現在までの約三時間。図書データベースの深層に対して、異常なほど非効率なスキャンを繰り返していたセッション。現代の高速クエリなら一瞬で終わるはずの調べ物を、あたかも一行ずつ手動で捲るように続けていた、奇妙なノイズ。


『 警告:不適切なリソース消費を検知。プロセスID:W-108(白石 澪) 』


 僕はその名前を、救いようのない無能の記号として記憶の隅に放り投げていた。

 だが、その「ノイズ」の主が今、僕の目の前に立っている。


「……あの、すみません。ここに、古い『レンズの破片』とか、落ちてませんでしたか?」


 振り返ると、そこには一人の女子生徒がいた。

 白石シライシ ミオ

 同じクラスにいるはずの、目立たない存在。だが、その瞳だけは、決定論に支配されたこの世界の誰とも違う、解読不能な光を宿していた。


「……澪さん。君だったのか。図書サーバーのログを三時間も汚し続けていたのは」


「えっ。……あ、やっぱりわかっちゃいました? ここのサーバー、古い情報のインデックスが全然貼られてなくて、探すのすごく大変だったんです」


 澪は悪びれる様子もなく、困ったように笑った。

 三時間。システムからすればパージ対象に等しい、圧倒的なリソースの無駄エントロピー


「君は……レンズの破片なんてもののために、それだけの演算リソースを捨てたのか?」


「ええ。効率悪すぎますよね、私。でも、古いアーカイブで見たんです。昔の人は、日食っていうバグみたいなイベントの時に、わざわざガラスを火で炙って、その真っ黒に煤けた破片越しに太陽を見ていたって」


 澪は物理準備室の棚を覗き込みながら、楽しげに言葉を続ける。


「煤けたガラスを通して見ると、光が溢れて、リングみたいに見えるんですって。昔の人はそれを『ダイヤモンドリング』なんて呼んで、その強烈な眩しさを楽しんでいたらしいです。……今の綺麗な透過障壁じゃ、そんな眩しさは味わえないですよね。それって、すごく……無駄で、面白そうじゃないですか?」


 眩しさ。

 デジタル宇宙論において、それは単なる光学的現象ではない。網膜という入力デバイスに対して、システムの許容範囲を超えた過剰な演算負荷が流れ込み、脳が一時的なスロットリング(処理落ち)を起こす状態だ。

 旧人類はそのシステムエラーに、あえて『クオリア(質感)』をマッピングし、快楽として享受していたというのか。


 生存に不要な、ただ脳に負荷をかけるだけの不純物。

 澪は今、その「無価値なバグ」を、愛おしげに追い求めている。


「……効率よく生きるだけじゃ、なんだか『読み終わった本』をもう一度読んでるみたいで。だったら、誰も読まないような変な注釈バグを探すほうが、私には似合ってる気がするんです」


 ドクン、と心臓が跳ねる。

 僕は端末の画面を凝視した。

 局所的なEIR(エントロピー注入率)の数値は、わずか0.004%。

 だが、そのグラフが描く波形は、僕がこれまで見てきたどんな数式よりもカオティックだった。


 天城博士が求めていた「巨大な例外」。

 それは、高名な学者の頭脳からではなく、こうした「目的を持たない非効率」の中からこそ生まれるのではないか。


「……澪。レンズは見つからないかもしれないけど、その代わりに、もっと面白い『バグ』の探し方なら教えてあげられるかもしれない」


「バグ? 変な人ですね、カイ君」


 彼女の返答が、僕の構築していた論理的予測を鮮やかに裏切っていく。

 

 窓の外、システムが生成した偽物の夕焼けが、僕らの影を長く引き伸ばしていた。

 残り1279日。

 想起という名の捏造エンジンが作り出す時間の流れの中で、僕は初めて、計算不可能な変数に出会った。


[SYSTEM LOG]

Local Node Time: 20XX/04/16 16:45

Entropy Injection Rate: 0.004% (Minimal Anomaly Detected)

NEXT GLOBAL COMMIT: 1,279 DAYS REMAINING

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