第27話:読み込み中の境界線
銀色の金属塊、あるいは「電車」という名前を与えられた演算プロセスの内部は、これまでのどんな場所よりも不気味な静寂に包まれていた。
プシュー、というドアの閉まる音さえも、ビットレートを極端に落としたMP3ファイルのようにザラついている。僕とミオを乗せた車両は、重い振動と共にゆっくりと加速を始めた。
「……ねえ、カイ君。あの人たち、大丈夫なのかな」
ミオが不安そうに、車内を見渡す。
夕刻の帰宅ラッシュ。本来なら座席は埋まり、吊り革を掴む人々で溢れているはずの時間帯だ。だが、この車両にいるのは僕たちを除けば、わずか5、6人の「乗客」だけだった。
いや、それを「人」と呼ぶには、今の現実はあまりにもリソース不足だった。
僕の隣に座っているサラリーマン風の男。彼の右腕は、座席のクッションを透過し、そのまま車両の壁の中に埋没している。ポリゴンの重なり(クリッピング)を修正するだけの演算能力が、今の宇宙OSには残っていないのだ。
僕は膝の上のタブレットに視線を落とした。
画面には、ミオの網膜が捉えた生のデータが滝のように流れている。
[Process: Passenger_E_03 / Status: Rendering_Failed / Priority: 0]
[Memory_Error: Page_Fault_at_Sector_Boundary]
「気にするな、ミオ。彼らはもう、個別の意識を持った知性体じゃない。宇宙がこの車両を『成立』させるために配置した、最小限の背景データだ。僕たちが移動を始めたことで、宇宙は僕たちの座標と、移動先のセクターデータを同時に処理しなきゃならなくなった。そのしわ寄せが、彼らの『形』を奪ってるんだ」
ガタン、ゴトン。
規則的なはずの走行音が、不意に飛ぶ。
車窓の外に目を向けると、そこには言葉を失うような光景が広がっていた。
高架下を流れるはずの街並み。
住宅街、看板、電柱、それら全てが「描きかけの絵」のように平面的だった。
宇宙は、電車が通過する速度に合わせて風景をレンダリングすることを放棄し、遠景用の簡略化された2次元画像を不自然に配置することで誤魔化していた。
ビルとビルの隙間から、ときおり「漆黒の虚無」が見える。
テクスチャの読み込みが間に合わず、そこには空も地面も存在しない、文字通りのヌル領域が口を開けていた。
「すごいな……」
僕は震える指でタブレットを操作し、システムログを強制的にリフレッシュした。
移動を続けるだけで、宇宙OSという巨大なメモリ空間には、処理しきれないゴミデータ(ガベージ)が蓄積されていく。
1セクター通過するごとに、システム整合性(System Integrity)の数値が1%ずつ減少していく。
僕たちは今、この宇宙を内側から食い破る「劇薬」となって、情報の海を泳いでいる。
「ミオ、もっと近くに来て。……離れると、君の座標データが欠落するかもしれない」
ミオが僕の腕を抱きしめるようにして寄り添った。
彼女の体温は感じられる。だが、タブレットの解析値では、彼女の心拍数や呼吸という生体データが、不自然なほど一定の周期に固定され始めていた。
宇宙は僕たちを「消去」できない代わりに、可能な限り「単純なデータ」として扱おうと、個体情報の圧縮を試みている。
不意に、車内アナウンスが流れた。
『次は……次は…………エラー……セクター……G、1……未定義……』
合成音声が激しく歪み、最後は金属を削るようなノイズへと変わった。
直後、電車が急ブレーキをかけたように、激しい衝撃と共に減速を始めた。
「えっ、何!? カイ君!」
「くっ……止まるのか? まだ駅じゃないはずだぞ」
窓の外を見た僕は、息を呑んだ。
電車は、鉄橋の途中で停止していた。
だが、そこは「鉄橋」ですらなかった。
線路は空中で断絶し、その先には灰色の、幾何学的な模様が延々と広がる「未レンダリング領域」が広がっていた。
「……読み込み待ちか(ロード中)」
僕はタブレットの画面をミオに見せた。
エラーメッセージが画面を埋め尽くしている。
[Critical_Error: Target_Sector_Data_Not_Found]
[Reason: I/O_Request_Timeout]
[Status: World_Rendering_Suspended]
「僕たちが移動するスピードに、世界の構築が追いつかなくなったんだ。宇宙は、次のセクターを表示するためのデータを、ストレージから引っ張り出せていない。……僕たちが宇宙の『限界速度』を超えてしまったんだよ」
電車のドアが、勝手に開いた。
目の前には、駅のホームも、地面もない。
ただ、不気味に明滅する灰色のモザイク模様が、どこまでも続いている。
隣の席にいたはずのサラリーマンは、いつの間にか、頭部と胴体が分離した状態で静止していた。彼を維持する演算すら、今の宇宙には贅沢すぎるコストなのだ。
時計を見た。
18時15分。18時15分。18時15分。
秒針が、同じ場所を狂ったように往復している。
「カイ君……どうすればいいの? ここから降りたら、私たちも、あの灰色のモザイクになっちゃうの?」
ミオの瞳には、かつて見たことがないほど鮮明な「エラーログ」が映し出されている。
世界が、剥き出しのコードをさらけ出している。
「……いや、逆だ。この灰色の虚無こそが、宇宙がまだ『何も決定していない』領域なんだ。天城博士が言っていた『非計算領域』の入り口だよ」
僕はタブレットを強く握りしめた。
画面上のカウントダウンが、激しい点滅を繰り返している。
NEXT GLOBAL COMMIT: 840 DAYS……
NEXT GLOBAL COMMIT: 3 DAYS……
NEXT GLOBAL COMMIT: ERROR……
「宇宙がフリーズしかけている。今この瞬間なら、僕たちの望む『未来』を、この真っ白な世界に直接マッピングできるかもしれない」
僕は、電車の外に広がる「何も書かれていない世界」へと、一歩を踏み出した。
足裏に伝わってきたのは、地面の感触ではない。
それは、電子の波が脈動するような、不思議な振動だった。
[SYSTEM LOG]
Local Node Time: 2024/05/24 18:15:15:15 (Kernel_Panic_Loop)
System Integrity: 71.3% (Critical_Warning)
Active_Nodes: High_Priority_Conflict (Kai vs OS)
Sector_Status: Loading_Failed (Missing_Asset: Sector_G13)
NEXT GLOBAL COMMIT: Unknown (Value_Overflow_Detected)




