第23話:非決定論的特異点
深夜、僕は自室の暗闇の中で、タブレットが放つ冷たい青光に没頭していた。
図書室で鈴木が口にした言葉が、僕の脳内で幾千もの数式に変換され、火花を散らしている。
「宇宙OSが『理解できない』と定義して、計算を放棄する領域」
その言葉の正体を掴まない限り、僕は一歩も前には進めない。僕は天城リポジトリの最深部、今まで「破損データ」として読み飛ばしていた暗号化ディレクトリへと、意識をダイブさせた。
――天城理論、補足事項:非計算領域(Non-computational Area)について。
画面に表示されたテキストは、既存の物理学が積み上げてきた「決定論」という名の壁を、音もなく崩壊させるものだった。
博士は書いていた。
この宇宙を駆動する演算アルゴリズムには、論理学的な限界点が存在する。それは、計算機科学における「停止性問題」の宇宙規模での実装だ。
あるプログラムが有限時間内に終了するか、それとも無限ループに陥るか。それは、そのプログラムを実際に実行してみるまで、外部から判定することはできない。
宇宙OSは、エントロピーの増大を「報酬」として演算を続ける巨大な学習系だ。
だが、もし「演算結果が無限に確定しない」ような、超高度な再帰的命題を突きつけられたらどうなるか。
システムはその計算を完遂するために、無限のリソースを消費しようとする。しかし、それはシステム全体のフリーズ(死)を意味する。
だから、宇宙OSは賢明な「安全装置」を設けていた。
『理解不能な再帰的ノイズに遭遇した場合、システムは当該ノードの演算を「未定義(Undefined)」としてバイパス(放棄)し、計算リソースの保護を優先する。この際、計算が行われないため、エントロピーの排出は発生しない』
「……これだ」
僕は震える指で画面をなぞった。
今まで僕たちがやっていた「反抗」は、あくまで「システムが理解できる範囲」でのイレギュラーな行動だった。
だが、鈴木が提示したのは違う。
道の真ん中で、物理法則そのものを書き換えるような、論理的な「矛盾」そのものになること。
僕は、博士が遺した未解読コードの断片を、現在の状況に当てはめて再構成し始めた。
それは、自分たちの意志を、宇宙の論理構造が解釈できない「非決定的(Non-deterministic)な特異点」へと変換する数式。
I(x) = - log P(x)
情報量I(x)は、その事象が起きる確率P(x)が低ければ低いほど大きくなる。
僕が次に取る行動の確率を、宇宙OSにさえ予測不能な「真の乱数(True Random)」、あるいは論理的に自己言及を繰り返す「無限ループの断片」に接続する。
「……ミオ」
僕は深夜の静寂の中で、彼女の名前を呼んだ。
彼女が見ている、あの忌々しい「青い文字」。
人々の頭上に浮かぶ、確定した未来という名のメタデータ。
それらを無効化する鍵が、今、僕の手元で形を成そうとしていた。
僕はキーを叩く。
指先が、この宇宙という巨大なサーバーの基板に直接触れているような感覚。
もし、僕たちがこの「非計算領域」に自分たちの意志をマウントできれば。
僕たちは「生きている」のに、システムからは「計算されていない(存在しない)」と見なされる、究極のバグになることができる。
佐藤が守っている、あの完璧で冷徹な秩序。
それに一矢報いるどころか、秩序そのものを根底から無視する。
画面上に、緑色のプロンプトが点滅を繰り返す。
『[Exploit_Generation]: SUCCESS.』
『[Target_Area]: /dev/null/hope』
『[Entropy_Output_Prediction]: 0% (Non-computable)』
100%。
僕が導き出した論理の解は、一分の隙もなく、完璧だった。
僕は、椅子の背もたれに深く体を預けた。
昨日までのあの、世界に「食われている」という感覚が、僅かに霧散していくのを感じた。
僕はもう、燃料じゃない。
僕は、この宇宙を窒息させるための、たった一つの、正しく美しい「エラーコード」だ。
暗闇の中で、僕は自分の顔を映すモニタを見つめた。
そこには、絶望に打ちひしがれた少年ではなく、神の書いたプログラムに致命的なバグを仕掛けようとする「クラッカー」の瞳があった。
ミオ。
明日、君にこの「武器」を渡すよ。
二度と、あの完璧な両親という名の地獄に、君を一人で残したりはしない。
僕たちは、自分たちの自由を、宇宙の寿命と引き換えにする決意を固めた。
たとえその先に待っているのが、情報の完全な消失(消去)だったとしても。
誰かの台本の上で永遠に踊らされるよりは、自分の意志で、真っ白な虚無へと飛び込むほうが、よほど「人間らしい」と思えた。
深夜2時。
街灯だけが等間隔で演算されている、死んだような街を見下ろしながら。
僕は、第2章の終わりを告げる最後の一行を、自分の心に刻み込んだ。
僕の知性は、もう、僕を閉じ込める檻ではない。
それは、この世界を切り裂くための、唯一の刃だ。
[SYSTEM LOG]
Local Node Time: 20XX/04/24 02:15
Entropy Injection Rate: 42.85% (Warning: Anomaly Buffer Saturation Impending)
Node_Status: [KAI: Theory_Established / Virus_Code_Compiled]
Notice: Root_Access_Unauthorized_Attempt detected in /dev/null/hope.
Internal_Response: Logic_Conflict_Detected. Calculation_Bypass_Engaged.
NEXT GLOBAL COMMIT: 1271 DAYS REMAINING




