表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デジタル・コスモロジー:~326万年に一度のグローバル・コミット~  作者: Sevenforest


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/33

第19話:ユニタリ性の罠




 カーテンを閉め切ったままの僕の部屋は、数台のモニタが放つ無機質な光に支配されていた。

 二〇XX年四月二一日、日曜日。

 T-1274。

 三百二十六万年に一度のグローバル・コミット――地球文明の消去パージまで、残り一二74日。


 僕は昨夜から一睡もしていない。

 タブレットの画面には、昨日、ミオの実家で実行した「強制例外処理インジェクション」のログが、血の跡のように赤く表示されている。


「……あり得ない」


 僕は何度目かわからない溜息を吐き、シミュレーションの再計算を実行した。

 画面端に表示されている「EIR:エントロピー注入率」の数値は、42.85%。

 

 天城理論に基づけば、この数値は「世界の不確定性」の濃度を示している。

 通常、管理区域セクター内のEIRは、徹底的な枝刈り(プルーニング)によって0.1%以下に抑えられている。そこへ、僕たちは一気に42%もの猛毒を叩き込んだ。物理定数は乱れ、両親の意識は「自由」という名の過負荷に焼かれた。

 だが、その直後に佐藤――ISMS管理委員が現れ、システムは「ロールバック」を完了させた。


 本来なら、ロールバックが成功したのなら、EIRの値は元の数値まで下がるはずだ。

 不純物が取り除かれたのなら、水は再び透明に戻る。それが論理性というものだ。

 

 しかし、現実は違った。

 宇宙は、僕たちが放った「火」を飲み込んだまま、平然と日常を再構築してみせた。


「ユニタリ性が、保たれている……」


 僕は画面上の数式を睨みつけた。

 宇宙がデジタルな演算系である以上、情報は消えない。たとえ表面上の現象テクスチャを以前の状態に上書きしたとしても、そこで発生した「例外バグ」の事実は、累積的なエントロピーとして系全体のメモリに保存され続ける。


 これこそが、天城博士の論文で警告されていた「ユニタリ性の罠」だ。

 僕たちは「バグを起こせばシステムが壊れる」と考えていた。だが、この宇宙OSは、僕たちが想像していたよりも遥かに強靭で、そして強欲だった。


 コン、コン、と控えめなノックの音がした。


「カイ、入るわよ。お昼ごはん、置いておくわね」


 ドアを開けて入ってきた母親は、お盆に乗せたサンドイッチを机の端に置いた。

 ミオの両親と同じだ。

 彼女の動作には一ミリの揺らぎもなく、僕への接し方は「受験を控えた息子の健康を気遣う母親」という、システムが規定した最適解をなぞっている。

 僕が昨夜、何時に帰宅したのか。

 何に絶望し、何と戦っているのか。

 彼女はそれを問うことはない。なぜなら、台本アクション・キューにそのような「無駄な分岐」は用意されていないからだ。


「……ありがとう。後で食べるよ」


「そう。根を詰めすぎないようにね」


 母親は微笑んで、部屋を出ていった。

 その微笑みが、かつてのような「本物の優しさ」なのか、それとも宇宙OSがレンダリングした「記号」なのか。

 今の僕には、その境界線を論理的に識別することができない。

 

 僕は再びモニタに向き合い、思考を加速させた。

 

 仮説A:ISMSのメインサーバーを直接ハックし、管理区域のロールバック機能を一時的に無効化する。

 検証:不可能。ISMSのプロトコルは物理法則そのものにマウントされている。重力や光速を書き換えるのと同義であり、現在の「未定義(Undefined)」権限ではアクセス権が足りない。


 仮説B:さらに大規模なエントロピー注入を行い、システムのリソースを飽和オーバーフローさせる。

 検証:危険すぎる。42%の注入でミオの両親は精神崩壊の危機に瀕した。注入率を100%に近づければ、セクター全体、あるいは宇宙そのものが「物理的な崩壊ビッグ・リップ」を引き起こす可能性がある。

 

 仮説C:自分たちの意識を「未マウント領域」へ移送し、外部からシステムを再構築する。

 検証:移送手段が不明。そもそも「外部」が実在するという証明が、天城リポジトリの未解読領域にあるかどうかも定かではない。


「……クソっ」


 僕はキーボードを叩きつけた。

 浮かんでくる攻略法を、僕自身の論理が次々と論破していく。

 

 天城理論を知れば知るほど、この宇宙が「出口のない箱庭」であることを確信してしまう。

 宇宙OSの目的は、演算の継続だ。

 エントロピーが枯渇し、すべての事象が確定しきってしまう「熱的死」を回避するために、システムは常に新しい「ノイズ」を求めている。

 佐藤は言った。僕たちのあがきは「有用な資源」だと。


 つまり、こういうことだ。

 僕が今、こうして必死に逆転の数式を組み立て、脳をフル回転させて悩んでいること自体が、膨大な演算コストを消費し、宇宙に「新鮮なエントロピー」を供給しているのだ。

 僕が自由を求めて足掻けば足掻くほど、宇宙のCPU負荷は高まり、結果として「全演算消去グローバル・コミット」のデッドラインが、僅かずつ先延ばしにされていく。


 僕たちは「反逆者」ではなく、ただの「燃料」だった。

 

 僕が知性を使ってシステムをハックしようとすることさえ、宇宙OSにとっては「面白いバリエーションの演算」として歓迎されている。

 僕たちが苦しみ、足掻き、不確実な選択を重ねる。そのエントロピーを吸収して、この決定論の檻はさらに厚く、より安定して、永遠に近い時間を生き長らえていく。


「……勝てない」


 僕は椅子の背もたれに体を預け、白く光る天井を見上げた。

 そこにはミオのように文字列は見えない。だが、僕の頭脳というプロセッサが、その天井の質感が「手抜き」されていることを理解してしまう。

 僕が見ていない時、この部屋の背面はレンダリングされていない。

 僕が思考を止めた時、僕というノードの解像度は最低値に落とされる。

 

 ミオ。

 君は今、何を思っている?

 あの「完璧な日常」の反復に、心を削られているのか。

 それとも、もう何も見たくないと、瞳を閉じてしまっているのか。

 

 僕はタブレットを手に取り、ミオへのメッセージを打ち込もうとして、止めた。

 『大丈夫だ』 → ?

 それは論理的な嘘だ。

 『何か別の方法を考える』 → ?

 それは今の僕には証明できない空論だ。

 

 論理的思考力が強いということは、自分の無力さを数学的に証明できてしまうということだ。

 

 もし、この宇宙が本当にデジタルなシミュレーションに過ぎないなら。

 この「絶望」というクオリア(感覚)さえも、システムが僕たちに与えた「燃料の質を上げるためのスパイス」ではないのか。

 そう考えると、自分の意志で悲しんでいることさえも、誰かのプログラムに従っているような気がしてくる。

 

 残り1274日。

 明日は月曜日だ。

 再び、あの「檻の中心」である学校へ行かなければならない。

 そこには、僕たちを「有用なバグ」として放置した佐藤がいる。

 何事もなかったかのように回る、完璧な社会がある。

 

 僕は、母親が置いていったサンドイッチを一口齧った。

 味は、驚くほど正確だった。

 マヨネーズの量も、パンの柔らかさも、僕の脳が「サンドイッチ」として認識するのに最も適した情報量ビットで構成されている。

 

 僕はそれを、砂を噛むような思いで飲み込んだ。

 僕たちは生きているのではない。

 ただ、この巨大な演算系の一部として「消化」されているのだ。

 

 だが、その時。

 モニタの片隅で、計算上は「ゼロ」に収束するはずのパラメータが、僅かに震えた。

 ユニタリ性の保存則を無視するような、一兆分の一の誤差。

 

「……バグじゃない」

 

 それは、カイが立てたいかなる仮説にも当てはまらない、外部からの「干渉」のような波形だった。

 佐藤が言っていた「別のベクトルの監査者」。

 それが、僕たちの絶望を「燃料」としてではなく、別の目的で観測しているのだとしたら。

 

「……まだ、終わらせない」

 

 僕はその微かなノイズをログに刻み込み、モニタの電源を落とした。

 暗転した画面に、自分の顔が映る。

 そこにあるのは、敗北した少年ではなく、まだ答えを探し続けようとする「エラーコード」の表情だった。

 

 不確実な明日が、来る。

 それは宇宙OSが用意した台本かもしれないが、その台本を読み上げる僕の声だけは、まだ僕のものだと信じたかった。



[SYSTEM LOG]

Local Node Time: 20XX/04/21 21:00

Entropy Injection Rate: 42.85% (Persistent / Integrated)

Node_Status: [KAI: Undefined / Logic_Loop: Trapped]

Current_Action: Calculating_Escape_Path... [Status: Failed_Retry_Infinite]

NEXT GLOBAL COMMIT: 1274 DAYS REMAINING

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ