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デジタル・コスモロジー:~326万年に一度のグローバル・コミット~  作者: Sevenforest


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第13話:最適化された檻



 自動改札機を抜けた瞬間、世界の「密度」が変わった。


 山頂の天文台――あの演算負荷の低い「デッドスポット」から戻ってきた僕たちを待っていたのは、吐き気がするほど整理整頓された、管理区域(セクターG12)の日常だった。


 夕刻の駅前広場。帰宅を急ぐサラリーマン、塾へ向かう学生、スーパーの袋を提げた主婦。数えきれないほどの人間が行き交っている。だが、今のミオの瞳に映っているのは、おそらく「人間」ではない。


「……ねえ、カイ。これ、止まらないの。消し方が、わからないの」


 僕の袖を掴むミオの指先が、微かに震えている。

 彼女はもう、あの「煤けたガラス」を必要としていなかった。天文台でデバイスが物理的に破壊されたのと引き換えに、彼女の意識の階層レイヤーは、宇宙OSの出力結果レンダリングを飛び越え、メモリ内の生データ(RAW)を直接参照する段階へと昇格してしまったのだ。


「落ち着いて、ミオ。何が見えてるか説明できるか?」

「……文字。青い、半透明の文字が、全部に張り付いてる。あの歩いてる男の人……『[Status: Action_Queue: Walk_Normal]』。隣を走ってる子供……『[Status: Action_Queue: Run_Randomly(Preset_B)]』。みんな、みんな次に何をするか、あらかじめ決まってる」


 彼女が視線を向けた先。そこには、何の変哲もない日常の風景がある。

 だが、天城理論をインストールされた僕の頭脳は、彼女の言葉から即座に世界の「仕様書」を復元していく。


「それが『枝刈り(プルーニング)』だよ、ミオ」


 僕は彼女を支えるようにして、駅前のベンチへと誘導した。視界に情報が入りすぎないよう、彼女は俯き、自分の膝を見つめている。だが、その膝にさえ『[Entity: Human_Female_Legs / Resolution: High]』といったメタデータが浮遊しているのだろう。


「枝刈り……?」

「そう。宇宙は無限じゃない。演算リソースは有限だ。だから、宇宙OSは効率化のために、重要でない領域の演算を徹底的にサボる。管理区域ここに住む何十万という人間に、いちいち自由な意志で行動されたら、宇宙のCPUは瞬時にパンクしてしまう。だから、システムは『最適解』という名の台本を用意するんだ」


 僕は周囲を見渡した。

 一見、人々は自由に動いているように見える。しかし、彼らの動きには無駄がない。ぶつかりそうになれば、最小限の角度で回避する。会話の内容も、定型文を組み合わせたような「無難」なものばかりだ。


「この管理区域セクターに住むノードたちは、安定した社会を維持するために、不確実な選択を放棄するようにプログラムされている。今日の夕食に何を食べ、どの道を通って帰るか。それは彼らが自分で決めたことじゃない。宇宙OSが最も演算コストが低くなるように計算し、彼らの脳に『自分の意志だと思い込ませて』書き込んだアクション・キューなんだ」


 ミオは顔を上げ、恐る恐る駅前の大型ビジョンを見上げた。

 そこには流行のニュースや広告が流れているが、ミオにはその映像の裏にあるパケットの構造が見えているはずだ。


「……あそこのビルの前で立ち止まった人。今、携帯を見た。……『[Event: Trigger_Notification / Response: Check_Device]』……。あ、本当に携帯を見た。カイ、怖いよ。誰も、生きてないみたいだ」

「生きてはいるよ。ただ、演算の主体をシステムに明け渡してしまっているだけだ。天城博士の論文によれば、文明が成熟し、安定すればするほど、エントロピーの増大は止まり、宇宙にとってその領域は『あってもなくてもいいデータ』になる。だから、グローバル・コミット――削除の対象に選ばれる」


 326万年に一度。

 この宇宙が不要なログファイルを一掃するように、変化を止めた文明をパージする。

 そのカウントダウンは、僕たちの脳裏に刻まれている。


「……私たちは? 私たちには、なんて書いてあるの?」


 ミオが僕の顔を覗き込んだ。

 僕は自分のステータスを知っている。天城博士のリポジトリへアクセスし、非公開の命令を実行したあの日から、僕たちのノードはシステムの管理下から外れた。


「僕たちには、アクション・キュー(台本)は存在しない。ステータスは『[Status: Undefined]』。未定義だ」


 ミオは自分の手を見つめた。

「未定義……。どこにも繋がってない、エラーコード……」

「そうだ。だからミオ、君に見えているその青い文字は、僕たちには通用しない。僕たちが右に行くか左に行くか、宇宙OSは予測できない。だからこそ、君の視覚はこの決定論的な檻をハックするための、唯一のデバッガーになるんだ」


 ミオは少しだけ呼吸を整えたようだった。

 彼女の特異な直感力は、宇宙が隠蔽しようとしていた「演算の裏側」を本能的に拒絶していた。それが今、論理的な確信へと変わろうとしている。


「……カイ。私、家に戻るのが怖い。お父さんも、お母さんも、あんなふうに『台本』で動いてるのかな」


 その問いに、僕はすぐに答えることができなかった。

 管理区域に住む以上、その例外はないはずだ。ミオの両親もまた、社会という巨大なマトリックスの中で、最もコストの低い「親」というロールプレイを強制されている可能性が極めて高い。


「……確認しに行くしかない。でも、忘れないでくれ。ミオが今見ているのは、世界の『真実』じゃない。世界の『構造』だ。構造がどれほど冷たくても、そこにある質感までが偽物とは限らない」


 僕は自分でも、それが気休めであることを分かっていた。

 天城理論に基づけば、質感クオリアさえも想起リコールによる演算結果に過ぎない。


 電車を降りてから、僕たちは一度も「普通の人」と目が合うことはなかった。

 彼らの視線は、常にシステムが規定した「次の処理対象」へと向いている。未定義(Undefined)である僕たちは、彼らの視界にはレンダリングされているものの、意識の深層へはコミットされない「幽霊」のような存在だ。


 セクターG12、住宅街。

 街灯が灯り始める中、ミオの自宅の明かりが見えてきた。

 その光さえも、ミオには特定の波長と輝度を指定された『[Light_Source: Standard_Street_LED / Efficiency: 98%]』といった記号の集合に見えているのだろう。


「行こう、ミオ」

「……うん」


 彼女は小さく頷いた。

 僕たちは、決定論という名の絶対的な法則が支配する、日常の深淵へと足を踏み入れた。

 

 残された時間は、あと1275日。

 宇宙が僕たちを「不要なエラー」として完全に抹消しに来る前に、僕たちはこの檻の鍵を見つけなければならない。


 ミオが玄関のドアノブに手をかける。

 その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。


「……あ」


 彼女が何を見たのか、僕にはわからない。

 だが、その震える声が、これから始まる過酷な検証の幕開けを告げていた。



[SYSTEM LOG]

Local Node Time: 20XX/04/20 18:30

Entropy Injection Rate: 0.125% (Stable / Observation Mode)

Node_Status: [KAI: Undefined] / [MIO: Undefined / Debugger_Layer_Active]

Current_Location: Sector-G12 / Residential_Area

Alert: High optimization density detected. Pruning rate at maximum (99.98%).

NEXT GLOBAL COMMIT: 1,275 DAYS REMAINING

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