第12話:枝刈りされる未来
山を下りきった先にあるリニア・メトロの駅は、不気味なほどの静寂に包まれていた。
かつては登山の玄関口として賑わっていたはずのホームには、今は人影一つない。
タイルの一枚一枚が、まるでたった今敷き詰められたかのように不自然なまでに滑らかで、汚れ一つない。それは「清掃が行き届いている」からではなく、この駅が誰の観測も受けていないデッドスポットであり、宇宙OSが「汚れ」や「摩耗」といったランダムなノイズの演算を完全に省略しているからだ。
僕とミオは、無言でホームのベンチに座っていた。
風の音すらしない。ただ、五秒に一度、遠くの換気扇から漏れるような一定周期のデジタルノイズが、空気を震わせているだけだ。
「……来るよ」
ミオが呟いた。
数秒後、トンネルの奥から眩い光が差し込み、静寂を切り裂いてリニア・メトロの車両が滑り込んできた。
その光景は、圧倒的だった。
車両の金属光沢、窓ガラスに反射するホームの照明、連結部で擦れるゴムの質感。それらは、山頂の天文台で見たローポリゴンな世界とは比較にならないほど、緻密で、精巧で、そして「重い」ものだった。
管理区域からやってきたその車両は、宇宙OSが膨大な演算リソースを注ぎ込んで維持している「高解像度の現実」そのものだった。
自動ドアが開き、僕たちは車内へと足を踏み入れた。
その瞬間、ミオが短い悲鳴を上げて、僕の腕に縋り付いた。
「――っ!? なに、これ……痛い、目が……頭が割れそう……!」
「ミオ、大丈夫か!? 何が見えるんだ」
僕は彼女の肩を支え、周囲を見渡した。
僕の目には、車内はごく普通に見えた。座席には数人の乗客が座り、それぞれがスマホを眺めたり、車窓の外を眺めたりしている。彼らはゾンビなどではなく、どこにでもいる「普通の人々」だ。
だが、ミオは必死に目を覆い、呼吸を乱していた。
「……文字が、色が……すごい勢いで入れ替わってるの……! あそこの座席に座ってるおじさん、頭の上に浮いてる文字が……さっきからパチパチって弾けて……。見てるだけで気持ち悪い……」
僕は彼女を空いている座席に座らせ、自分も隣に腰を下ろした。
そして、自分の端末を起動し、非公開リポジトリのデバッグ・ログを車内ネットワークに同期させる。
「……見えた。なるほど、これが『管理区域』の真実か」
端末の画面に、ミオが見ているであろう情報の片鱗が、無機質な文字列として流れ出す。
『[Status: Route_Selection]』
『[Status: Gaze_Fixation]』
…………
「ミオ。落ち着いて聞いてくれ。今、君の目に見えているのは、宇宙OSの『スケジューラ』が、人々に行っているリアルタイムの最適化処理だ」
「最適化……? どういうこと?」
「天城理論(標準理論)では、宇宙は決定論的に動いていると教えられてきただろう? でも、それは半分正解で、半分は嘘なんだ。宇宙が全ての粒子の挙動を完璧にシミュレーションするのは、あまりにもコストがかかりすぎる。だから宇宙OSは、効率化のために『枝刈り』を行っているんだよ」
僕は窓の外を見つめる、向かい側の座席の女性を指差した。
彼女は時折、瞬きをし、ゆっくりと視線を動かしている。カイから見れば、それは生きた人間らしい、自然な仕草だ。
「本来、人間には無限の選択肢があるはずだ。右を見るか、左を見るか。何を考えるか。でも、宇宙OSはリソースを節約するために、それらの可能性をあらかじめ計算し、最もエネルギー消費が少ない、作用が最小の『最適なパス』だけを一つ選んで、強制的に実行させている。それが、君の目に見えているステータスの遷移だ」
「じゃあ、あの人たちが今やってることは……全部、決まってるってこと?」
「そう。宇宙OSが『この女性はここで瞬きをし、次に窓の外を見るのが最も演算コストが低い』と判断した瞬間に、彼女の自由意志は枝刈りされ、選ばれたスクリプトだけが実行される。彼女自身は、自分の意志で視線を動かしていると思い込んでいるだろう。でも実際には、彼女の脳内の電気信号は、宇宙OSという巨大なホストコンピュータによって、常に最適な一本道へと誘導されているんだ」
ミオは震える瞳で、車内の人々を見渡した。
「……怖いよ。みんな、生きてるみたいに見えるのに。みんな、綺麗な顔をしてるのに。……なんで、私とカイ君だけは、あんな文字が出てこないの?」
僕は、ミオの視線の先にあるもの……自分と彼女の間に浮かんでいるであろう文字列を想像した。
「それは、僕たちが宇宙にとっての『例外』だからだ。僕たちは非公開リポジトリの知識を使い、宇宙が予測した『最適なパス』とは別の行動を、自分の意志で選んでしまった。その瞬間、宇宙OSは僕たちを定義できなくなった。……だから、僕たちのステータスは『[Status: Undefined]』、未定義なんだよ」
「未定義……。宇宙が、私を追いかけられない……」
「そうだ。宇宙にとって、未定義のノードは演算を狂わせる致命的なエラーだ。でも、今のミオにとっては、それは最大の武器にもなる。……ミオ。君には、彼らが次に『どのパスを歩まされるか』が、ステータスの変化として事前に入力されているのが見えるはずだ」
ミオは、吐き気を堪えるように胸を抑えながら、僕を見つめ返した。
「……あ、……あそこの新聞を読んでる人。次に、ページを捲る。……『[Status: Action_Queue: Flip_Page]』……」
数秒後、ミオが言った通り、その男性は何の迷いもなく新聞のページを捲った。
「……見えちゃった。彼が自分の手で捲ったんじゃない。あの青い文字が、彼の手を動かしたんだ」
「それがこの世界の『正解』だよ、ミオ。今の君は、宇宙が隠し続けてきた『台本』を直接読み取っている。それは、世界をハックするための最強のセンサーだ。君が、これから起こる『枝刈りの結果』を事前に教えてくれれば、僕はそれを逆手に取って、さらなる大きな例外を叩き込むことができる」
電車は滑らかに加速し、トンネルを抜けた。
窓の外には、高解像度で描き出された巨大な都市――メイン・セクターのビル群が、夕闇の中に美しく輝き始めていた。
かつてなら「綺麗だね」と笑い合えたはずの夜景。だが、今の僕たちには、それが何十億というスクリプトによって維持されている、虚無の行列に見えた。
ミオの視界を埋め尽くす、止まることのないメタデータの奔流。
それは、彼女が「真実」を選んだ代償であり、同時にこの決定論的な牢獄を打ち破るための、唯一の希望だった。
僕は彼女の手を強く握りしめた。
「辛いとは思う。でも、僕が横にいる。……ミオの目が見るものを、僕が論理に変えていくから。二人で、この美しすぎる偽物を終わらせよう」
ミオは蒼白な顔で、しかし力強く、僕の手を握り返した。
電車は、次の駅へと向かってひた走る。
そこは、世界で最も「演算密度」が濃く、そして最も「自由」が死に絶えている場所。
僕たちの、本当の意味での「グローバル・コミット」への挑戦が、ここから始まるのだ。
[SYSTEM LOG]
Local Node Time: 20XX/04/20 17:05
Status: In-Transit (Entering Managed Sector)
Entropy Injection Rate: 0.125% (Stable / Observation Mode)
Node Status [KAI]: Undefined
Node Status [MIO]: Undefined (Escalated)
Environment: High-Density Deterministic Field (Optimized Paths Active)
NEXT GLOBAL COMMIT: 1,275 DAYS REMAINING




