3 千万円への道標(マイルストーン)
西暦2020年2月下旬。
フリマアプリでの転売は、あっけないほど簡単に終わった。
「転売規制法?」
テレビのニュースでその言葉を聞いたとき、俺は既に全在庫の梱包を終え、最後の発送手続きを済ませているところだった。未来の記憶通りだ。
「ギリギリセーフ……いや、完璧なタイミングだった」
純資産は113万円。この一ヶ月で、一度目の人生の数年分を稼いだことになる。しかし、これ以上転売に関わるのはリスクが高すぎる。政府が本気で動き始めれば、いくら未来知識があっても「死に戻り」させられる可能性が高まる。
俺はフリマアカウントを削除し、レンタル倉庫を解約した。
この113万円を次の投資、つまり株式市場に投じる。
一度目の人生で、俺はここで躊躇した。株価が暴落するニュースに怖気づき、数ヶ月間、投資を始められなかった。その間に、市場は反転し、成長株の波に乗り遅れたのだ。
「次は違う。暴落はチャンスだ」
俺は高性能ゲーミングPCを売却した金で、最低限のスペックを持つ中古のノートPCを購入した。このPCは、これから数年間、俺の人生を左右する「戦場」となる。
証券会社の口座を開設し、全額を入金する。
「来るぞ。あの地獄の**『コロナショック』**が」
未来の記憶によれば、世界的なパンデミックへの恐怖から、株価は急落し、歴史的な大暴落を引き起こす。この暴落こそが、資金を十倍に増やすための最大のチャンスだ。
俺は過去五年間の経験から、暴落後、驚異的な回復と成長を遂げる銘柄を知っている。
A社:リモートワークツールの提供企業。世界的な需要増で株価は数倍に。
B社:巣ごもり需要で利用者が爆発的に増加する動画配信サービス。
C社:次世代半導体を開発する、まだ無名だが将来性のある企業。
俺は全資金を投入するシミュレーションを繰り返した。113万円を、A、B、C社の株に最適の割合で分散させる。暴落の底値で仕込み、一年後のピークで売り抜ければ、理論上は1,000万円を超える。
しかし、記憶がいくら正確でも、人間には「恐怖」がある。
2020年3月。ニュース画面が真っ赤に染まった。日経平均、ダウ平均が連日、記録的な下落を続ける。街からは人が消え、誰もが不安に怯えている。
「怖がるな、悟。これは底値だ。これが、お前の欲しい一億への、最高のバーゲンセールだ」
スマホを握る手が汗で滑る。理性ではわかっていても、全財産を「暴落している株」に投じる行為は、本能が警鐘を鳴らす。
一度目の人生で、俺はここで逃げた。二度目の今回は……。
深く息を吸い込み、吐き出す。自分の命がかかっているのだ。躊躇は、死に戻りを意味する。
午前9時。市場が開く。
ドンッ!
俺は震える指で、全資金の投入を確定するボタンを押した。
「目標まで、あと9,886万円。この一手で、一千万円が見える」
モニターに表示されたのは、購入完了の文字。俺は椅子にもたれかかり、初めて、このリスタート後、戦いの緊張から解放されるような感覚を覚えた。
だが、安堵は一瞬で打ち消された。
証券口座の購入履歴を何気なく見ていた俺の視線が、ある一点で止まる。
「……なんだ、これ」
C社の購入数量の下に、見覚えのない**「投資助言サービス利用料」**として、数万円の引き落とし履歴があった。そんなサービスに申し込んだ覚えはない。
『悟様、今回のポートフォリオは完璧です。ただし、次の波に乗る際は、私の助言を求めることをお勧めします。』
突然、PCの画面に、タイピングした覚えのない一文が浮かび上がった。
冷たい機械音声ではない。親しみを込めたような、しかし底知れない不気味さを秘めた日本語のメッセージ。
そして、そのメッセージの下には、たった一言。
『監視者より』
俺は、未来の記憶だけを頼りに生きていると思っていた。だが、どうやらこの「死に戻り」には、俺の知らない第三者が関わっているらしい。
俺の背筋を、氷のような戦慄が駆け上がった。
目標金額100,000,000円
現在資産1,138,350円全額を株式へ投入済
残りの時間1,760日2020年3月上旬時点
稼ぐべき金額98,861,650円目標まで、残り約9886万円!




