勝手に愛されるイコール人生だとさせるな
どうーもイテンサンです。
お久しぶりpart2です。
赤い動画投稿サイトのショート動画で時々、
「君は愛されるために生まれてきたんだよ」
とか言ってくる広告があるんだが、俺はどうしてもこれは結果が良かった強者の言葉だと思ってしまう。内容的には今病んでる人を助けるために行っておることはわかるんだが、さすがに意見の押し付けがすぎると思う。
いま突発的にこの文章は書いているから汚い表現があったらすまん。
さらに内容を掘り下げていくとだ、
「過去を振り返ってみて、愛されてないと感じるかも知れないけど、君は本当は大事にされているんだよ」
と言っている。でも俺は思う。そう思った時点ですでに愛は死んでいるんじゃないかと。ドラマとかで真実の愛とか歌っているものがあるけれどね、結局人の愛はいつか冷めるものだ。親と子の関係の場合、それはさらに酷いものであると思う。実際、俺も親とたわいのない話をしたいのに無反応の時がある。
全く話を聞こうとしてくれないのだ。
あるのは生返事だけだ。それでもあっちはこっちに喋ろうとしてくる時がある。だが大抵の場合それは愚痴か嫌味なのだ。俺はストレス緩和剤ではないのにも関わらずだ。これは愛されていると言えるのか?少なくとも信頼できるという面においてこの話を被っているわけなのだが、これは愛とは言わないだろ。
また広告は、「本当に愛されていて、受け入れられているんだ」
と言っているが、受け入れられているだけで肝心の愛の部分がない。要はこれは義務的思考のようなものなのだ。
次にだ、
「過去に何があったか関係なく、君は価値があるんだ」
これはまぁ正しいと思う。過去がいくらくらいものであっても、今というどん底から上がる以外の選択肢を取り上げられている状態であるから、まだ伸びしろや光沢が隠されているということが多くあるからな。これはあっていると思う。
さて最後にだ。
「だからこそ生きてほしいんだ、生きる意味は必ずあるよ。1人で悩みそうになったら連絡してね」
最初の段階で愛こそが全てみたいなこと語っていたのにいきなり方向を転換して惑わせてきましたね。せめて愛についてもうちょっと解いてくれたら良かったと思う。
あと愛を感じれない人はまじ人を信用できないと思う。愛という感覚を知らない人は人の優しさに触れたことがない、つまり、人生の岩石に頭ガンガンぶつけて脳みそがぐちゃぐちゃになっちゃってる状況で、電話なんてできるとおもうか?無理だろ。大体の鬱の人そんな感じだと思う。
例えば、愛が欲しいなら自分の思う愛をあげればいい。わからないなら君の何かに夢中になっていることこそが愛なのでは?とか日常生活の中にある愛をベースとして、毎日を愛で埋め尽くそう大作戦みたいな感じで提案をしてあげるのが良かったと思う。強制力のない短すぎて常日頃感じられる愛。これが鬱解決の一歩だと俺は思う。
ではこっから広告のことは置いておいて、題名について勝手に語っていこうと思う。愛されるために生まれたのだ!と言っていたが本当に人から愛されることが全てだとしたら、なぜこの世には独身の人がいてさらに増え続けているのだとおもう?自分の好きができたからだ。それは自分の熱なのだ。生物学的に言えば確かに我々の目的は種の繁栄、つまりは愛を育むことなのだが、現代ではそれだけが生きる理由ではないのだ。音楽、スポーツ、文学に研究、さまざまなジャンルの娯楽が開拓されている。つまり、人々の中には愛“する”ために生まれてきた人もいるわけだ。
そしてこの愛という定義はあまりにも大きい。これらを具体化していくと。何かを守ること、何かを信じること、何かを助けることなど、いろんな手段があるわけで、何かを愛して生きがいを得ている人もたくさんいるわけであるのだ。
前半の広告への愚痴パートは長くなったが言いたいことは言えたのでよし!文学作品なので異論は認めまくります。ということで以上です。
以上イテンサンでした。『シャットダウン!』




