第4話 血の契約と襲撃
鷹の間に戻ると、部屋の中央には複雑な紋様が描かれた巨大な魔法陣が輝いていた。デオルワインはサイラスを一瞥し、重々しい声で命じる。
「そこに膝をつけ」
サイラスは言われるがままに膝をついた。その両腕を、左右に控えていたフェンリルとアダパががっちりと押さえつける。彼らの視線は、サイラスの抵抗を許さないという強い意志を宿していた。
デオルワインは、血がなみなみと注がれた銀のコップを掲げた。深紅の液体が魔法陣の光を反射し、不気味に揺らめく。
「これより、血の契約を始める。吸血鬼の始祖ルスヴンよ。このサイラスに力を与えよ!」
デオルワインが叫ぶと、その声は部屋中に響き渡り、サイラスの口に冷たい血が強引に流し込まれた。鉄錆のような生臭さと、得体の知れない熱が彼の喉を焼く。血を飲み終えると、両脇にいたフェンリルとアダパはサイラスから離れた。
その瞬間、魔法陣がまばゆい光を放ち、サイラスの身体は激しい痛みに襲われた。「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」彼は絶叫し、悶え苦しむ。全身の細胞が軋み、内側から引き裂かれるような感覚に襲われる。しかし、その光が消え去ると同時に、それまでの痛みも苦しみも、嘘のようにすっと消え失せていた。
デオルワインが静かに告げる。
「おめでとう。これで君も私と同じ吸血鬼の力と不死身の力を得た」
サイラスはゆっくりと立ち上がり、自分の手をまじまじと見つめた。見た目には何も変わっていないように思える。だが、身体の底から、今まで感じたことのない歪で闇を帯びた力が、どくどくと脈打ちながら湧き上がってくるのを感じた。それは、まるで彼の内に眠っていた獣が目覚めたかのような、圧倒的な存在感だった。
その時、外からケルベロスの唸り声が聞こえてきた。その低く唸る声は、ただならぬ事態を告げている。サイラスは反射的に窓を開け、躊躇なく下へと飛び降りた。
漆黒の庭に着地すると、周囲には特殊なスーツを装着し、ライフルを構えた謎の集団が屋敷を取り囲んでいた。彼らの顔はヘルメットで隠され、まるで感情を持たない機械のようだ。
「動くな。今すぐ降参しろ」
一人がゆっくりとライフルを構えながら前に歩み出てくる。その声には、冷たい命令だけが込められていた。
ドクドクドクドク。サイラスの心臓が激しく脈打つ。それは恐怖からくるものではなく、彼の内に目覚めた新しい力が、獲物を求めるかのように高鳴っている音だった。考えるよりも早く、彼の身体が動いていた。
一瞬にして男の目の前に現れると、サイラスは迷いなくライフルを奪い取り、何の躊躇もなく投げ捨てた。そして、男の両肩を掴み、その首筋に鋭い牙を突き立てる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
男は絶叫し、首筋から大量の血が噴き出した。サイラスの口元に、生暖かい血が流れ込む。彼の身体に、力が漲っていく。男はジタバタともがき続けるが、数秒後、手足がぶらんと、まるで電池が切れた人形のように動かなくなった。
血を吸って満足したサイラスは、男の身体を無造作に投げ捨てた。その瞳は、まるで深紅の宝石のように鋭く輝き、残りの集団を鋭い眼光で睨みつけた。彼の顔には、先ほどまでの人間の面影はなく、飢えと残忍さを帯びた吸血鬼の表情が浮かんでいた。
その一瞬、集団の動きが止まった。だが、次の瞬間には、指揮官らしき男が叫ぶ。
「怯むな、撃て!」
その合図と共に、一斉にライフルが火を噴いた。銃弾の雨がサイラスめがけて降り注ぐ。サイラスは地面に落ちていた金の塊を瞬時に拾い上げると、それが彼の意のままに形を変え、巨大な盾と化した。盾に銃弾がぶつかるたび、甲高い金属音が闇夜に響き渡る。
サイラスは、銃弾を防ぎながら真っすぐに敵集団へと突っ込んだ。盾にぶつかり、よろめき倒れる兵士たち。サイラスは間髪入れずに、盾からスピアへと変形させた武器を繰り出した。スピアは彼の意志に呼応するかのようにその柄を伸ばし、倒れた兵士だけでなく、次々と2人、3人と複数人を串刺しにしていく。
サイラスは、串刺しにした兵士たちを乗せたスピアを力いっぱい振り回し、空中に舞い上がらせた。そして、そのまま地面に叩きつけると、兵士たちの身体はどろりと黒い液体へと変化し、闇の中に黒い炎と共に消えていった。
スピアに付着した血が激しく反応し、黄金の表面に黒い線が複雑に入り交じっていく。サイラスは、この武器が自身の新たな力と共鳴していることを理解した。彼の意思とは関係なく、血と戦闘を求める自分がそこにいた。抑えきれない血への乾き。抑えきれない戦いへの衝動が、彼の身体を突き動かしていた。
その時、一人の隊員が肩に担いだバズーカを発射した。砲弾はサイラスに向かって飛来し、空中でネットが広がると、彼の身体の上に覆いかぶさった。ネットからは、まばゆい青白い光と共に凄まじい電流が流れる。
「ぐわぁぁぁぁ!」
常人なら数秒で死に絶えるであろう電流が、サイラスの全身を容赦なく襲う。彼の筋肉は痙攣し、焼け焦げたような臭いが鼻をつく。だが、ただ今は違った。彼の内に宿った吸血鬼の力は、並大抵の攻撃では揺るがない。スピアはサイラスの意思に応えるように、漆黒の刃を持つ巨大な大鎌へと形を変えた。そして、その鋭い刃先は、電流が奔るネットをいとも容易く切り裂いた。解き放たれたサイラスは、その勢いのまま大鎌を振り抜き、至近距離にいた数人の隊員の首を、赤い飛沫と共に刈り取った。
血飛沫と共に、切り離された複数の首が空中に舞い、重力に従って地面に転がり落ちる。噴水の水のように、数秒間、隊員たちの身体から血が激しく噴き出した後、力が尽きたかのようにゆっくりと地面に倒れ伏した。彼らの身体は、たちまち黒い炎に包まれ、闇の中に溶けて消えた。サイラスの足元には、黒い煤と血の跡だけが残されていた。
その様子を見ていた残りの隊員たちは、急に怯えだした。その顔には、ヘルメット越しにもわかるほどの恐怖が浮かんでいる。
「隊長、どうしますか!」
彼らは指揮官に助けを求めるように叫ぶ。指揮官は焦りを滲ませた声で応える。
「待て、もう少しだ……もう少しで終わる!」
その言葉が響き渡る中、突如として三階から絶叫が聞こえてきた。「ぐわぁぁぁぁぁぁ!」それは、紛れもなくデオルワインの声だった。
デオルワインの声を聞いた隊長と隊員たちは、一瞬にして顔色を変えた。
「お前たち、退却するぞ!」
その合図と共に、彼らはまるで影のように一斉に姿を消した。彼らは、サイラスの狂気的な力よりも、デオルワインの絶叫に動揺し、撤退を選んだのだ。
サイラスは、何かに気づいたかのように顔を上げた。あのデオルワインの悲鳴。それは、ただ事ではない。彼は大鎌を地面に突き立て、その勢いを利用して三階の窓へ一気にジャンプした。窓枠を掴み、そのまま軽々と中へと飛び込む。
部屋の中は、まるで嵐が過ぎ去った後のようだった。デオルワインは、床に倒れ伏し、苦痛に喘いでいる。他のフェンリル、アダパ、そして執事の老人に博士のシュタインもまた、無残に床に倒れていた。彼らの身体には、深手を負った跡が見て取れる。
その惨状を、部屋の扉の前で、ニタニタと笑みを浮かべながら見下ろしている影があった。丸太のように発達した両腕を持つ、見るからに強靭な男。その男は、サイラスの姿を認めると、ゆっくりと一歩、また一歩と歩みを進め、サイラスの目の前で立ち止まった。
「なんだよ。まだいたのかよ」
男の言葉には、サイラスへの軽蔑と、わずかな驚きが混じっていた。サイラスは、警戒しながら男を睨みつける。
「貴様は何者だぁ!」
サイラスの問いに、男は自信満々に名を告げた。
「俺はジェノサイド家の長男、グリフィス」
その名を聞いた瞬間、サイラスの頭に血が上る。ジェノサイド家……グリフィス。憎しみの対象が、今、目の前にいる。彼の瞳に、再び深紅の光が宿り始めた。