第1話 宿命の引退パーティー
あらすじ
大部屋の床には、無数の死体が山と積み重なり、どす黒い血の海が広がる。その凄惨な光景の中、ガレサイラス・スコープは、返り血で染まった黒のダブルスーツを纏い、死体の山の上に静かに腰を下ろしていた。
口にくわえた黒の革手袋をゆっくりと外し、器用に煙草に火をつける。フゥー、と紫煙が吐き出され、血生臭い空気に溶けていく。
「今日もこんなに殺したのか」──その独り言には、疲労か、それとも虚無か、判然としない響きがあった。彼はただ、ぼんやりと広がる血溜まりを眺めていた。
裏社会を牛耳るスコープ家の長男であるサイラスにとって、これは日常の一コマに過ぎない。しかし、この殺戮の先には、父の引退パーティーを巡る家族の悲劇、そして宿敵ジェノサイド家との避けられない戦いが待ち受けているのだった。
スコープ家は、長きにわたり裏社会の闇に君臨してきた。暗殺、人身売買、薬物、武器の輸出――ありとあらゆる非合法な取引を牛耳り、富と権力を築き上げてきたのだ。その六代目の当主、ガレ・ジークムント・スコープは、冷徹な辣腕家として知られていた。
彼には三人の子供がいた。長男のサイラス、病弱な次男ガレスノウ・スコープ、そして才色兼備の長女ガレアレーナ・スコープ。そして、元ヒットマンである妻、ガレジュリア・スコープ。
ジークムントの引退パーティーが盛大に開かれることになったのは、そんなある日のことだった。しかし、その華やかな宴は、彼自身の、そしてスコープ家にとっての「最後」を意味する幕開けとなる。
サイラスは、父の引退パーティーの準備が進む屋敷の中で、いつになく重い空気を感じていた。特に、弟のスノウは、生まれつき病弱で、父ジークムントからの虐待に苦しんできた。いつも母ジュリアが庇っていたが、その夜、彼の中で何かが覚醒する予兆があった。
一方、長女のアレーナは、父ジークムントを憎悪しており、これまで何度も暗殺を試みては失敗してきた。しかし、この引退パーティーの夜こそ、彼女は最後のチャンスにかけるつもりでいた。
そして、母ジュリア。かつては凄腕のヒットマンとして名を馳せたが、引退後は子供たちのために静かな生活を送っていた。この夜、彼女は警備の一員として屋敷にいたが、まさかの不意打ちを受け、命を落とすことになるとは、本人もまだ知らなかった。
血塗られた宴
広大な土地に建設されたスコープの屋敷に、次々と人々が吸い込まれていく。
招待客の高級車が列をなし、きらびやかな服装の紳士淑女が笑顔を交わす。屋敷の周囲では、母のジュリアとその部下たちが目を光らせ、厳重な警備体制を敷いていた。
その一方で、屋敷の中では、父ジークムントが一人ひとりと挨拶を交わしていた。官僚や警察関係者、芸能人など、様々な職業の人間が入れ替わり立ち替わりに彼のもとを訪れ、祝いの言葉を述べていく。
その様子を、サイラスとスノウは離れた場所から見ていた。アレーナは若い男性たちと談笑し、華やかな社交を楽しんでいるようだった。車椅子に乗っていたスノウが、サイラスの腕を引いた。
「サイラス兄さん」
スノウは左目を押さえながら、苦しげに喋った。その様子に、サイラスは違和感を覚える。
「どうした?スノウ、身体の調子が悪いのか」
スノウは首がちぎれるほど横に振る。
「違う。人間じゃない、人間じゃない何者かが紛れている……」
サイラスは視線を父と、父に群がる人々に向けるが、怪しいところは何も見当たらない。
「一体何が紛れているんだ」
「それは…………」
スノウが言いかけたその時、甲高い音が響き渡った。
パリン。パリン。パリン。パリン。
屋敷の天井にある巨大な窓ガラスが砕け散る。無数のガラスの破片が雨のように降り注ぎ、招待客の悲鳴が上がる。そして、割れた窓から、数十体の翼のついた怪物が現れた。パニックに陥った人々は、一斉に出口へと押し寄せた。扉が開くと、骸骨の馬に乗った骸骨の戦士が、凄まじい勢いでなだれ込んできた。
「お前ら、人間を皆殺しにしろ!」
骸骨の戦士が鎌を高く掲げると、他の扉からもノロノロと、しかし途切れることなく、大量の腐敗した怪物たちが部屋になだれ込んできた。近くにいた人間を次々と襲い始め、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる。骸骨の戦士も、逃げまどう人間たちを無慈悲に襲い始めた。
「兄さん、早く逃げないと!」
腕を引っ張るスノウに、サイラスは毅然と言い放った。
「俺は親父を救う。お前は早く逃げろ」
「でも……」と迷っているスノウの肩を掴み、サイラスは強い口調で促した。
「いいから、早く行け!」
サイラスの言葉に、スノウは黙って車椅子を自走させ、部屋を出ていった。サイラスは腰に装着したホルスターから銃を抜き、両手に構えながら走り出す。
銃とレイピアで怪物と戦っているアレーナの横に立つと、サイラスは襲いかかる怪物の頭を的確に撃ち抜いた。
「大丈夫か?」
アレーナは血しぶきを浴びながら、冷めた目でサイラスを見つめた。
「あなたこそ、大丈夫?余裕がなさそうだけど」
彼女は話をしながらも、次々と怪物を倒していく。その顔には、この地獄のような状況を楽しんでいるかのような、歪んだ笑みが浮かんでいた。
「あなたはお父様を助けなさい」
「一人で大丈夫なのか」
アレーナはふふっと笑うと、背を向けたサイラスに言葉を投げかける。
「私を誰だと思っているの。ほら、早く行きなさい」
その言葉に背中を押され、サイラスは階段の方へ向かった。
階段の踊り場では、父ジークムントが怪物と戦っていた。彼は銀のスピアを床に突き立て、息を整えている。
「親父、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
ジークムントはため息交じりに答えると、サイラスを真っ直ぐに見た。
「まさか、引退パーティーがこんなふうになるとはなぁ、サイラス。こんな時に渡すのは憚られるが仕方ない」
そう言うと、ジークムントは無理やりサイラスの手に何かを渡した。
「これは……」
渡された金の棒を握ると、それはジークムントが持つそれと同じ、金のスピアへと変形した。その持ち手には、スコープ家の紋章が刻まれている。
「今日から、サイラスを七代目スコープ家の当主とする。いいな」
ジークムントは肩の荷が下りたのか、晴れ晴れとした顔をした。そして、何かを察したのか、サイラスに強い視線を送った。
「いいか、生き延びろ。いいな」
その言葉を言い終えた瞬間、ジークムントの背後に黒い死神が音もなく現れた。死神は巨大な鎌を振り下ろす。
「ぐわぁぁぁぁぁぁ!」
不意を突かれたジークムントはなすすべもなく倒れ伏し、彼の身体から魂だけが光の塊となって現れた。その魂を、死神が小さな鳥籠に閉じ込める。そして、死神は音もなく姿を消した。
「嘘だろ、おい親父!」
サイラスは倒れているジークムントを揺さぶるが、反応はない。その様子を見ていたアレーナは、信じられないものを見たかのように呟いた。
「嘘でしょ。そんな……」
その時、再び空中に現れた死神が、手に持った大鎌をアレーナに向けて振りかざした。
「危ない!」
サイラスは大声を上げるが、遅かった。死神の大鎌は、アレーナの身体を無慈悲に引き裂いた。しかし、血は出ず、彼女の身体から光の塊となった魂が抜け出した。
「やめろ!」
サイラスは絶叫し、死神に向けて発砲するが、弾丸は虚しくその身体をすり抜ける。死神はケタケタと高笑いすると、再び姿を消した。
倒れているジークムントとアレーナの姿を見て、サイラスはただ立ち尽くした。そして、その胸の奥から湧き上がる絶望と怒りが、叫びとなってほとばしる。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
部屋にサイラスの絶叫が響き渡ると同時に、周囲で暴れ回っていた怪物たちが一斉に振り返った。獲物を見つけた動物のように、その目はギラギラと輝いている。
一体の骸骨戦士が、鈍い音を立てながら階段を駆け上がってきて、剣を振りかざした。しかし、サイラスが手にしていた金のスピアが、その身体を容赦なく貫通する。貫かれた骸骨の戦士は、金の炎に包まれ、あっという間に焼き尽くされて消えた。
サイラスは、金色のスピアを携え、階段を一歩一歩降りていく。その圧倒的な威圧感に、怪物たちは後ずさりする。しかし、骸骨の馬に乗る鎧騎士が、冷酷な声で号令をかけた。
「ジェノサイド家に逆らう者は殺せ!」
その言葉を合図に、怪物たちは一斉にサイラスに襲いかかった。サイラスは、骸骨戦士の猛攻をスピアで受け止めながら、愛用の拳銃で的確にヘッドショットを叩き込む。頭を撃ち抜かれた怪物は、金の炎に焼かれて消えていく。いつの間にか、彼が持つ拳銃も、スピアと同じく金色へと姿を変えていた。
テーブルからテーブルへと飛び移りながら拳銃を連射する。命中した怪物たちは、次々と金の炎に焼かれていく。
音もなく背後に立つ気配。死神が再び現れ、大鎌を振りかざす。しかし、その違和感を瞬時に察知したサイラスは、ノールックで金色のスピアを背後へと突き刺した。
死神は絶叫の中、金の炎に包まれ、今度こそ完全に消え去った。
「さすが、唯一、ジェノサイド家が恐れるスコープ家。だが……」
鎧騎士の声が響く。彼の前に連れてこられたのは、ぐったりとした様子の母ジュリアと弟のスノウだった。二人の首元には、骸骨戦士の剣が突きつけられている。
「母さん、スノウ!お前たち……」
サイラスが一歩前に出ようとした瞬間、彼の喉仏に、別の骸骨戦士の剣がぴたりと当てられた。
二人の生命は、明確に奴らの手に握られていた。
「さぁ、持っている武器を床に置け」
鎧騎士の命令に、サイラスは屈辱に顔を歪める。
「くそっ……」
彼は、金色のスピアと拳銃をゆっくりと床に置いた。武装を解除したサイラスの前に、一体の骸骨戦士が立つ。そして、その剣を、何の躊躇もなくサイラスの胸に突き刺した。
「ぐわぁぁぁぁぁぁ!」
サイラスの悲鳴が、広間に響き渡る。
「兄貴!」
「サイラス!」
スノウとジュリアの声が響くが、彼らもまた拘束されている。黒のダブルスーツが、瞬く間に真っ赤に染まっていく。ゆっくりと剣が引き抜かれると同時に、サイラスは床に崩れ落ちた。大量の血が床に広がっていく。彼の意識は、急速に闇へと沈んでいった。
「今日をもって、スコープ家の血は途絶えた。そして、我々ジェノサイド家が、裏社会の支配者となる!」
鎧騎士の勝利の雄叫びが、屋敷中に響き渡る。怪物たちは勝どきを上げ、歓喜に沸いた。スノウとジュリアは、骸骨の馬に乗せられ、部屋から連れ去られていく。
「ま……待……て……どこ……へ……行……く……」
薄れゆく意識の中で、サイラスはかろうじて手を伸ばそうとするが、力尽き、その腕は床にだらりと垂れ下がった。
その場に、ふと誰かが現れた。その男は何も言わず、血溜まりに倒れるサイラスを、その両手で静かに持ち上げると、そのまま音もなくその場から消えた。残されたのは、血の海と、崩壊した屋敷だけだった。