86 本当に偶然なのか
「アリエスさん、ごきげんよう。もう咳のほうはよろしいのですか?」
「…………」
表面的には体調を気にする問いの体を取っているが、実際には皮肉、あるいはかまをかけているのだとアリエスには分かっていた。そもそもいまはまだ朝のホームルームの時間帯であり、この場に彼女が現れること自体が、全てを物語っているのだから。
しかし、だからこそアリエスは丁寧に対応することを心がけた。いまこのときでは、先に落ち着きを失い取り乱したほうが相手に飲まれてしまうことになると理解したから。
アリエスはカーテシー……指の先でスカートの端をつまみ上げてお辞儀する仕草を取る。慇懃なメイドのように、もしくは高貴なお嬢様のように。
「ご心配いただきありがとうございます、ベリーさん。おかげさまで、咳は収まってこうして登校することが叶いました」
「……あらそう、それは良かったわ」
ベリーは笑顔を張りつける。返答に一拍の間があったのは、アリエスの落ち着いた態度を見て、ふてぶてしいと思ったのかもしれない。落ち着きをなくして、焦って自分から沼に落ちると踏んでいたのに、と。
ベリーに問答の主導権を握られないようにするためか、アリエスは続けて問いを重ねる。
「ですがベリーさん、どうしてこちらに? いまはまだ朝のホームルームの時間帯ではなかったでしょうか?」
その問いには、なぜここが分かったのかという質問としての意味の他に、まさかあなたともあろうかたが朝のホームルームを抜け出したのですかという、疑問の反撃の意味も含まれている。
無論、ベリーがこの程度のことで動揺するわけはないのだが……攻勢の姿勢を示唆すること自体が、わたしはあなたの思い通りにはなりませんよという、遠回しの意志表示を含ませていた。
ベリーは肘に手のひらを当てるようにして腕を組みながら、面白そうに口角を少し上げた。大人しい子犬だと思っていたら、鋭い牙をほのめかす子狼だと認識を改めたからだ。
「ええ、もちろんいまが授業前の朝の大事な時間だということは存じていますわ。ですが、ワタクシは心配になったのです。もしかしたらアリエスさんが、そこにいる彼女にあることないこと唆されているんじゃないかと思いまして」
「……わたしがピナさんに……?」
ベリーがピナに目を向けると同時に、アリエスははっとその言葉の意味するところを理解した。やはりベリーは、アリエスとピナが結託していることをすでに知っていたのだ。
「実はワタクシ、昨日見てしまいましたの。勉強に必要な参考書を借りに図書館に行ったときに、偶然貴方達が一緒にいるところを」
「…………」
アリエスだけでなく、ピナもまた「……っ」と内心でうかつだったと思っていた。ただしアリエスはそれだけでなく、それは本当に偶然なのかとも。




