8 少女
「た、助け……っ!」
ばしゃばしゃと、川のなかで少女が溺れていた。この川の流れは早くはないが、少女は流されてアリエスのいるほうへと近付いてくる。その少女が向かう先には、頑丈な石で出来た橋の支柱がそびえ立っている。
(このままじゃ……⁉)
そのまま少女が流されれば支柱に硬い支柱にぶつかり、大怪我を負うだろう。溺れていることも相まって、川のなかに沈んで命を落としてしまうかもしれない。
朝早いせいで付近に人の姿はいなく、少女が溺れていることに気付いているのはアリエス一人だけだった。
迷っている暇はなかった。一着しかない服が水に濡れることを気にする余裕もなかった。
あの少女をいま助けられるのは自分だけで、そうしなければ死んでしまうのだから。
だから、アリエスは欄干を乗り越えて川のなかへと飛び込んだ。
(…………っ!)
川の流れは早くはない。しかし服が濡れて重くなり、また身体にまとわりついて思うように手足を動かせない。学園の授業で服を着たまま水のなかに入らないようにと言われたことがあるが、その意味をいま身をもって理解出来た。
もし川の流れが早かったら、助けに入ったアリエスもまた成す術なく流されていたかもしれない。だがこれくらいの早さであれば、慣れていないもののなんとか泳げそうだった。
(あの子が来る……受け止めなくちゃ……)
アリエスは立ち泳ぎをしながら、橋の支柱に背中を当てるようにして少女が流れてくるのを待つ。少女は川の流れで自然とアリエスのほうへとやってくるので、下手に動いて体力を消耗したり捉え損ねる危険を冒すよりも、支柱に直撃しないように受け止めたほうが確実で賢明だと判断したのだ。
「きゃ……あ……」
「……っ!」
そしてアリエスの判断通りに少女はやってきて、アリエスは彼女を受け止めることに成功した。ただし、その際の衝撃で自分の背中を支柱にぶつけて、鈍い痛みが走ったが、いまはそんなことを気にしていられない。
「あ、ありがとうございます……」
「お礼はあとで。まだ川のなかなのだから。泳げそう?」
「い、いえ、その、足がつってしまって……」
「そう……じゃあわたしの身体から離れないようにね」
「は、はい……」
そうして二人は、流れる川のなかを進んで岸へと向かっていく。川の流れが早くなかったことが幸いして、少女を連れた状態でもなんとかアリエスは泳ぐことが出来、そして岸へと辿り着いた。
「はあ……はあ……」
「お姉さん、ごめんなさい……わたし、重かったよね……」
思いのほか体力を使い息を切らすアリエスに、少女が落ち込んだ顔で言う。二人とも全身びしょ濡れで、川の水の独特な匂いもして、身体の下には水溜まりが出来ていた。
だけど、助かった。少女を助けられた。それだけでアリエスは満足し、良かったと思えた。
暗い顔でうつむく少女へと、アリエスは手を伸ばし、彼女の頭にそっと手を置く。
「あなた、名前は?」
「……シャンディー……」
泣きそうな声で答えるシャンディーへと、アリエスは天使のような微笑みを向けながら。
「シャンディー、こういうときはね、助けてくれてありがとう、って言うのよ」
「……!」
顔を上げたシャンディーは、アリエスの綺麗な微笑みに陰鬱な気持ちが氷解していくようだった。シャンディーもまたアリエスへと、なんとか笑顔を浮かべて。
「うん! ありがとうお姉さん!」
そう答えた。
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