70 聖母に抱かれる子供のように
前世のアリエスにしていたのと同じように、ベリーはピナの弱味につけこんで利用しているのだろう。しかしピナはその状況に我慢が出来ず、逆にベリーの弱味を掴んで形勢逆転しようとしているのかもしれない。
それは前世のアリエスには実行出来なかったことだった。頭の片隅に浮かばなかったといえば嘘になるが、アリエスの性格的にたとえ自分を利用している者だとしても、その弱味を握って言うことを聞かせるというのは……やりたくない手段だったのだ。
それをやってしまえば、自分もまたベリーと同じことをしていることになってしまうから。また逆上したベリーが、アリエスの父の事業への支援の取り止めや妨害をしないとも限らなかったからというのもある。
(…………)
どうしようか一瞬逡巡したあと、アリエスはドアの陰から出て教室のなかへと歩を進めていく。
「……やめたほうがいいですよ」
「……っ⁉」
ピナが振り返る。その顔は驚愕と、しまったという感情に彩られていた。その彼女へと近付きながら、アリエスは説得の声を続ける。
「そんなことしても、ベリーさんは怒るだけです。あなたの立場を悪くするだけですよ」
「……っ!」
しかしピナは勢いよく駆け出して、アリエスを押し退けるようにしてドアへと向かっていく。
「きゃっ……!」
彼女の身体がぶつかったことでアリエスは尻餅をついてしまい……。
「ま、待って……!」
アリエスが制止の声を上げたとき、すでにピナの姿は教室にはなかった。
●
「……見られた……終わった……ベリーにチクられる……もう終わりよ……」
学舎の裏、太陽の光が当たらず陰になった場所、誰も来ず誰にも見つからないようなそんな場所で少女の泣き声が聞こえている。
ピナだった。彼女は顔を手で覆いながら、雨のような涙をその隙間からこぼしていた。泣く理由は異なれど、彼女のその姿は過ぎし日のアリエスの姿と重なっていた。
「……ピナさん」
「……っ⁉」
びくりと彼女の身体が震え、声をかけたアリエスのほうへと振り返る。その目は涙で腫れ、ほんのりと赤くなっていた。
「……ここにいると思いました。ここは昼間でも暗くて、誰も来ない場所ですから」
「あたしを笑いに来たの⁉ そこにベリーを連れてきたの⁉」
「……違います。話を聞いてください」
「……っ!」
しかしピナはまた逃げようとする。その手をアリエスは掴んだ。
「離して! 離してよ! だいたい誰なのよあんた⁉」
アリエスは昨日編入してきたばかりなので、ピナは知らないのだ。
「わたしはアリエスといいます。昨日ここに編入してきました」
「離してったら! どーせあんたもベリーの味方なんでしょ! あいつに心酔した信者なんでしょ!」
自分がしていたことを見られたという絶望感から、ピナはちょっとしたパニックを起こしているようだった。何とかしてアリエスの手を振り払おうとする彼女を、アリエスは引き寄せて……温かく抱きしめた。
「……っ……⁉」
「落ち着いてください。わたしはあなたの敵ではありません……わたしは、かつてベリーさんにあなたと同じ役割をさせられた者です」
「……え……?」
思わずピナがアリエスを見、アリエスが微笑みを返す。
「わたしはピナさんの味方です」
「……⁉」
まるで聖母に抱かれる子供のように、ピナは目をつむる。……温かい……彼女に抱かれながら、ピナはそんな安堵の気持ちを感じていた。




