62 記憶の片隅にも
その声に、アリエスは一瞬びくりとしてしまう。彼女の周りに集まっていた生徒達は一斉に声のほうに振り返り、アリエスに浴びせていたよりも一段と高い声とテンションをそちらに向けた。
「ベリー様!」
「おお! 今日も麗しい!」
「道に迷っていたおばあさんを助けていたなんて、さすが学園の聖女様ですわ!」
そしてアリエスのことなど完全に忘れたように、ベリーのほうへと駆け寄っていく。教室内にいた他の生徒達も彼女へと群がり、そうではない少数ですらベリーに尊敬や憧れの眼差しを注いで嘆息をついていた。
「あぁ、ベリー様は今日も素敵ねぇ」
「ベリー様、お綺麗……」
ぽつんと取り残された形になったアリエスだったが、それに対する文句や不満よりも……いやそんなことは特に思ってはいなかったのだが……それよりも彼女の脳裏によぎった思いは。
(まさか……ベリーさんもこのクラスだったの……っ)
思い出してみれば、確かに朝の自己紹介の際、いま自分が座っている席とは別に、もう一つ空いている席があった。それがこの隣の席であり……そしてベリーの席だったということだ。
大勢のクラスメイト達に囲まれて笑顔を振りまいていたベリーが、ふと、ようやくのことでアリエスに気付いた。
「あら? そちらの方、見ない顔ね? 転校生かしら?」
アリエスが答えるよりも早く、ベリーの取り巻きが答えていく。おそらく彼女の気を惹きたいのかもしれない。
「今日編入してきたアリエスさんですわ。あのシューグ家のメイドさんをしていらっしゃるそうですわ」
「まぁ、シューグ家のメイドさんっ⁉」
びっくりした様子を見せたベリーは、海を割るように左右に退く取り巻き達の間を進んで、アリエスの席までやってくる。その手を取って、身を乗り出すように顔を近付けて言うのだ。
「ワタクシ、ベリーと申します。僭越ながらこの学園では聖女と呼ばれて親しまれておりますわ。これから学園のクラスメイトとしてよろしくね」
にっこりと笑顔を浮かべる。万人受けするような、慣れきって張り付けるのが得意になったような、そんな笑顔だった。
「は、はい……よろしくお願いします……」
ベリーの登場、および人懐こいその動作に、アリエスは戸惑いながらも挨拶を応じる。転生前の、アリエスを悪役令嬢に仕立て上げたときのような、ズル賢い雰囲気は微塵も漂っていなかった。
のみならず。
(もしかして、一週間前のことも忘れているのかしら……?)
一週間前、つまりアリエスが転生したばかりのころ、アリエスはベリーと一度再会していた。シャンディーが彼女にぶつかってしまい、一悶着あったときのことだ。
ベリーの様子から、彼女はそのときのことすら忘れているらしい。こんなに間近に顔を向かい合わせているのに、気が付いている様子は全くなかった。
(これも女神様の力の影響? ……いえ、シャンディーやシューグ家の皆さんはそんなことないし……ということは……)
すなわち、ベリーは素で完全に忘れているようだった。あの出来事もアリエス達のことも、取るに足らない些細なこととして記憶の片隅にも留めていないということだった。




