50 極薄のガラス板
言われて、画商は絵の隅に書かれているサインに目を向ける。何の変哲もない画家のサインだ。
当然ながら筆記体であり、その筆跡は本物や他のレプリカに書かれているサインと同一のものである。画商が以前本物を見た際の画家のサインと同じものが、そこには書かれている。
「……む……むむ……?」
画商は持っていた絵を顔に近付けて、食い入るようにサインに見入った。ドロナやコレートやメイド長は、いったい何が起きているのか分かっていない様子で、画商のことを見ている。
「……これは……このサインは……綺麗すぎる……?」
「どういうことですか?」
つぶやいた画商に、ドロナが説明を求めるように尋ねた。画商は顔を上げると、ちらちらと絵のサインに視線を落としながら言う。
「たとえレプリカといえど、サイン自体は画家が書くことになっているのです。いわゆる直筆のサインですね。このレプリカは複製品ではあるけれど、きちんと作者自らが許可して製作したことを証明するために」
それがレプリカと贋作の違いの一つでもある。
「もちろん例外はあります。作者の死後に遺族や子孫の許可を取って製作された場合ですね。その場合は遺族や子孫のサインや、あるいは正式なレプリカであることを示す証明書が添付されたりするのですが」
夫人が口を開いた。
「まどろっこしいことはいいから、どういうことか教えてくださらない? そのサインがどうかしましたの?」
「あまりにも綺麗すぎるのです」
「綺麗すぎる?」
サインが綺麗なことの何が悪いのか? ドロナが言った。
「それは良いことなのではないですか?」
「言葉が足りませんでしたね。先ほども言ったように、直筆のサインは絵に直接書かれます。そのため、ペンのインクがわずかににじんで、同一作者のサインでも若干の違いが出てきたりするのです」
「それが……?」
だからどうしたというのか? 説明されたものの、ドロナもコレートもメイド長もいまだによく分かっていないようだった。
ただ一人、アリエスだけは真面目な顔で画商に言葉をかける。
「あくまでわたしの推測ですが、その額縁の絵とガラスの間に、もう一枚極薄のガラス板が挟まっているのではないでしょうか?」
「なんですって?」
画商がアリエスのほうを見る。彼女は続けた。
「おそらくはそのガラス板に、精巧に模倣したサインが印刷されているのだと思います。それで、コンパスなどで適当に描いた『白の球形』の絵の上に、そのサインのガラス板を重ねて、あたかもレプリカのように偽造しているのかと思われます」
「……まさか……そんな……」




