45 ……本当にそれだけですか?
「じ、実はですね……っ」
無言の圧力に耐えられなくなって、画商は口を開いた。
「わ、私が所属している画商協会では、月の販売ノルマがございまして……もう少しで達成出来るのですが、そのもう少しのところで止まってしまいまして……」
しかしドロナはまだカップをテーブルに下ろさない。夫人はというと紅茶を飲み干して、おかわりを頼んでいた。メイド長が夫人へと近付き、テーブルのポットを手にしておかわりの紅茶を注いでいく。
……本当にそれだけですか? その場の雰囲気は暗にそう問いただしているようだった。見ているだけのアリエスですら、この空気に手のひらにじんわり汗がにじんできている……当人である画商ならば、押し潰されてしまいそうなプレッシャーかもしれない。
そのプレッシャーに負けてしまったのか、画商はとうとう口を開けてつぶやくように声を絞り出した。
「……わ、私達画商や美術商、愛好家の間で、シューグ様は色々な美術品を集めていると知られていますので……わ、私も絵を売って一稼ぎ出来たらいいなと思いまして……きょ、今日、ご訪問させていただいた次第でございます……」
「やれやれ、どうせそんなことだろうと思いましたよ」
「…………」
納得とかすかな呆れを混じらせたドロナの言葉に、画商は負けたといわんばかりにがっくりとうなだれる。ドロナはコレート夫人へと目を向けた。
「貴方、これが分かっていて仕向けましたね?」
「あら、何のことかしら? わたくしは頼まれたから紹介しただけですわ。大変面白く拝見させてもらいましたわよ」
「……相変わらず性格の悪い……」
「お褒めいただきありがとうございますわ」
いまの二人のやり取りにもアリエスは内心びっくりしていた。貴族のお茶会や会合などでは、その場の空気や雰囲気、出席者の面子を重んずるのが暗黙の了解だ。
たとえ自分にとって不服なことや不都合なことがあったとしても、それを口に出して追及したり糾弾したり、ましてや相手を悪く言うことなどまずあり得ない。仮に不利益なことがあったとしても、それを表には出さず、貴族らしく優雅に対応する……それが貴族の会話における基本であり、鉄則だった。
しかしいまのドロナとコレート夫人は、その鉄則を無視して互いに言いたいことを言っていた。そしてそれすらもコレート夫人は面白そうに楽しんでいるようにも見えた。
「さて。いまは夫はいませんし、私も美術品にはあまり興味はございません。本音も聞いてしまったことですし、本来ならば直ちにお帰り願いたいところですが……」
「そ、そんな……」
画商が顔を上げていまにも泣きそうな表情になる。高名なシューグ家を訪れて、その洗礼を受けたのだ、もしかしたら今後の画商業に大きな打撃を受けて失業してしまうかもと危惧しているのかもしれない。
ドロナは溜め息にも似た小さな息を一つついて、カップをソーサーに置くと、仕方ないといわんばかりに口を開いた。
「しかし、正直に本音を話してくれたことと、せっかくここまでご足労いただいたことに免じて、何か買ってみるのも一興かもしれません。無論、私のポケットマネーで」
「…………!」
「ただし、あくまで安いものですが」
「あ、ありがとうございます!」
画商がまたも頭を大きく下げる。今度は落胆としてではなく、ドロナの心遣いに感謝しての動作だった。




