116 空白の世界
……気が付いたとき、アリエスは周囲一面が空白の世界にいた。
「……ここは……」
つぶやく。いつからここにいたのか、何故自分以外に何もないのか、分からなかった。頭に残る最後の記憶はフレイムタイラントの炎で焼かれたことであり、本当に、ふと気付いたらここに立っていたという感じだった。
『お久しぶりですね』
背後からの声にアリエスは振り返り、そして悟る。そこにいたのはかつて死後の世界で出会った女神であり、だから、つまりここはあのときと同じ死後の世界だということに。
「……女神さま……」
『フレイムタイラントとの激闘、お疲れ様でした。貴方の活躍と犠牲によって、かの者、正確にはその召喚体ですが、それは見事に撃退されました。無論、他の者達の活躍も見事でしたが、とにかく貴方の大切な人々は守られました』
「…………」
それ自体は本当に良かったとアリエスは思う。しかしそれと同時にこうも思う。
「……わたしは……また死んでしまったのですね……」
シャンディー達を無事に守れたのは心の底から良かったと安堵する。だが反面、自分が死んだことで彼らに悲しい思いをさせてしまうと思うと、胸が締めつけられるように苦しくなるのだ。
『これは貴方が覚悟して、そして選び取った結末です。自業自得、その言葉がぴったりでしょう』
「……はい……その通りです……」
女神の言葉は突き放すような意味合いが込められているように感じたが、事実には間違いがないので否定はしなかった。いや、出来るわけがなかった。
むしろ、女神には感謝すべきかもしれない。アリエスは女神へとぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます、女神さま」
彼女の言葉と仕草に、さしもの女神も目を丸くしてしまっていた。初めて見る奇妙なものに接するように、あるいは面白い存在に対するように、女神は微笑みを浮かべる。
『何故感謝するのですか?』
「わたしは本当ならもうとっくの昔に死んでいたはずの人間です。あの世界をもう一度生きられて、シャンディー達と出会えたことだけで、わたしにとっては身に余るような幸運でした。女神さまには感謝こそすれ、文句を言う道理はありません」
『…………』
顔を上げて答えた彼女を、女神はまじまじと見つめる。まるでいままでこんな人間は見たことがないというような、興味と奇特が入り交じった視線。
『もう一度あの世界に生きたい、もう一度転生させてほしいとは思わないのですか?』
「……本音を漏らすことを許していただけるなら、またあの世界を生きたいというのは確かです」
『…………』
「ですが……またあの世界に転生するということは、シャンディー達と過ごしたいままでの日々を、幸福だった日々を忘れさせてしまうということにもなります。わたしは、わたし自身は……そうなってほしくありません」
『とても殊勝な思いですね。しかし逆に考えたらどうですか? 彼らの記憶と引き換えにするだけで、貴方はまたあの世界に転生出来るのですよ。なんなら、これからも死ぬ度に、いままでお世話になった人々の記憶を消していくだけで転生し続けられるのですよ』
確かに女神ならそれが可能だろう。そしてそれは、アリエスにとっては永遠に生き続けられること、正確には異なるが不老不死に近い存在になるということでもある。
人間のなかには、それを切に望む者もいる。アリエスは幸運にも、そのチャンスを手にしているのだ。普通であれば、まず手に出来ない最高のチャンスを。
だがしかし。アリエスは首を横に振った。
「……ご提案、ありがとうございます。女神さまのご提案は、とても魅力的だと思います。……しかし、やはり、申し訳ありません。わたしはみんなの記憶を消してまで、また再び転生したいとは思えないのです」




